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ケネディ大統領/wikipediaより引用

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アメリカ 歴史・戦国NEWS

歴史は繰り返す……あのケネディ大統領も白人至上主義者に悩まされていた!

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人間の愚かしさと言うか、どんな苦い体験も一世代経てば薄まりますし、更に年月が経てば、体験そのものが忘れ去られる。
そんな一例を、あのワシントン・ポストが指摘しております(2017年8月22日付け)。

アメリカで白人至上主義者と、それに反対する人たちの衝突が報じられ、トランプ大統領が悩んでいますが、全く同じ問題が50年以上前に起きていたと、同紙では指摘しています。

そう、あのケネディ大統領も悩んでいたのだそうです。

 

着任早々からの難題となっていた

今日と違うのは、人種差別が当たり前の時代だったところでしょう。

何しろ、マーチン・ルーサー・キング牧師が「アメリカの中心的なモラルのジレンマ」と定義していたほどの状況。
南部では特に酷く、就任間もないケネディを悩ませました。

この問題について、本人の姿勢は遅々としていました。
というのも、南部の強力な上院議員が、抵抗勢力として立ちはだかっていたからです。

本人が公約として掲げていただけに、人権活動家やアフリカ系のアメリカ人を怒らせる結果になっていたそうです。

ケネディと面会するキング牧師/ノース・ダラス・ガゼットより引用

焦燥感に駆られたキング牧師が、当時の2000万人のアフリカ系を代表して大統領と面談。
その巧みな弁舌で、大統領の心を動かします。

やがて、公約の実践方法を思いつきます。

アフリカ系アメリカ人へのリンチなどの暴力を、法に則り厳正な処罰を下そうというのがそれ。1963年7月11日、ホワイトハウスから国民に向け、演説を行いました。

「我々が向き合っている喫緊の問題とは、モラルだ」と、冒頭から宣言。アメリカの憲法にも明文化されている問題であり、隔離主義や人種差別や白人至上主義などは、そうした憲法の理念や建国の父らによる精神に背く考えだと訴えかけました。そして、こう続けます。

「この問題の核心は、全てのアメリカ人が権利や機会の平等を与えられるかどうかにかかっている。そして、我々が望むような扱いを、隣人に与えられるかどうかにもかかっているのだ」

トドメは、次の一節でしょう。「自分が学んだ事がある。人を傷つける行為や差別について、アメリカ人は深く考えてこなかった。自分たちが傷つけたり、差別したりしている事が何を意味するのかを、深く考えてこなかった」と。

「肌の黒いアメリカ人は、レストランで皆の前で昼食が取れない。子供に良き教育を受けさせられないとしたら、投票が出来ないとしたら、つまりその人は我々全てが臨んでいるような自由を満喫できないとなるのだ。肌の色が変わって、そうした境遇になってしまって満足できる人(つまり白人を指す)が、どれだけいるだろうか?」

翌年の選挙を控えての発言です。下手したら落選していたかもしれないのですから、勇気がありますね。同時に、今日の白人至上主義者にも突きつけられるべき言葉でもありましょう。

 

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公民権運動の初期の、騒然とした時代の演説

この演説があった前後の歴史についても触れておきましょう。演説数週間前に、バーミングハム運動というのがありました。

ウィキペディア日本語版より引用させていただきます。

バーミングハム運動(Birmingham campaign)は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアと南部キリスト教指導者会議 (SCLC)が組織し展開した、公民権運動の中の戦略的運動のひとつ。アラバマ州バーミングハムにおけるアフリカ系アメリカ人に対する不平等に注目を集めた。この運動は1963年[1]春に行なわれ、黒人の若者と白人側の市当局との対立を広く知らしめることになり、最終的には市政府に差別的な法律を変えさせる圧力となった。キング牧師率いる運動家らは、不公正と考えられる法律に対して、非暴力による直接行動の戦術を用いた。
1960年代初め、バーミングハムは米国でも最も人種分離の激しい都市のひとつで、黒人市民らは暴力による報復と同様に、法的および経済的な格差に直面していた。この運動では、全ての人種に雇用機会を与え、公共施設やレストラン、店舗における人種差別を終わらせるために、企業家に圧力を与えるボイコットが採用された。
企業家らがボイコットに抵抗すると、SCLCの運動家ワイアット・ティー・ウォーカーとバーミングハム住人のフレッド・シャトルワース牧師は、Confrontation(対立)の頭文字Cをとって「プロジェクトC」と名付けた一連のシットインとデモ行進を開始し、大量逮捕の誘発を目論んだ。大量逮捕によって運動に参加する大人のボランティアが足りなくなると、SCLCのジェイムス・ビーヴェルに訓練された高校生、大学生、さらには小学生らがデモ行進に参加し、数百名の逮捕者を出した。抗議活動をやめさせるために、ユージーン・"ブル"・コナー署長が率いるバーミングハム警察は、子供たちや無関係の見物人に対しても消防用の高圧放水と警察犬を用いた。これらの出来事を伝えるマスコミ報道によって、南部の人種差別は非常に強く注目されるようになった。
運動で繰り広げられた暴力的なシーンには世界から抗議の声が上がり、ジョン・F・ケネディ政権による連邦政府の介入まで引き起こした。運動の終結までにキングの名声は高まり、コナーは失職し、バーミングハムでのジム・クロウ法を示す標識は取り外され、公共の場所は黒人にとってよりオープンになった。

この運動には6歳の子供までが参加していたそうです。それだけ差別への怒りが激しかったのですね。

なお、ウィキペディアでは触れていませんが、アラバマ州では運動後も差別が続きました。ケネディが演説した同じ日に、アラバマ州知事のジョージ・ウォレスが、アフリカ系アメリカ人学生2人のアラバマ大学入学を阻止しようと、校舎正門前に仁王立ちになったのです。

この人は、ケネディと同じ民主党の選出。ただし、1962年の州知事選挙では「今ここで人種隔離を!明日も人種隔離を!永遠に人種隔離を!」(I say segregation now, segregation tomorrow, segregation forever.=ウィキペディア日本語版より)という公約を掲げて当選していました。中央と地方政治は違うとは言え、あんまりな公約ですね。

ケネディは座視せずに、特使を派遣して事無きを得ました。

 

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遅かったものの、高い評価を与えるワシントン・ポスト

同紙では以下のようにこれを高く評価しています。

「2年以上もかかるなど、歩みは遅かったものの、この日夜の演説でケネディは隔離主義を禁ずる法律を導入する計画を表明したり、人種差別や偏見に対して道徳面から過去の大統領よりも強い口調で非難した。市民の権利の向上という重大な時代をもたらしたのだ」

なお、心配された国民の反応についてですが、予想に反して歓迎されたそうです。

ただ、この日はアラバマの騒動だけではすみませんでした。演説の数時間後、ミシシッピ州のジャクソンでNAACP(全米黒人地位向上協会)の外勤役員だったメドガー・エバースが自宅に帰る途中に狙撃されます。

弾丸は背中を貫通し、自宅の窓に。そのまま貫通し、コーヒーポットが割れるなどの事態に発展しました。よほどの威力があったのでしょうね。なお、狙撃距離は200フィートほどだったと推定されています。

本人は何とかして自宅にたどり着いたものの、午前1時14分に絶命しました。

メドガー・エバース/wikipediaより引用

あまりに悲しい、差別主義者の返答。

それからほどなくして、ケネディにも同じ運命が襲ったのは、皆様もご存知でしょう。

 

今なお続く根深い問題と、同紙は指摘

ケネディが対決した問題は今なお続く――と、ワシントン・ポストは提起しています。
当時も今も、良心と慈悲と、同じアメリカ人による受け入れに、全てがかかっていると論じています。

ケネディ政権の閣僚の多くは、アフリカ系から不信の目で見られていました。
しかし、本人は政治家として、また、一人の人間として目覚めていったと、記事は続きます。この事は今のアフリカ系も認めており、多くの家庭でキリストとキング牧師とケネディの肖像が置かれているそうです。

もしケネディが静観していたなら、今なお人種面での醜業が続いていただろうとしています。

ケネディは、こうも訴えていたそうです。
「だから、我々は国としても、1人の人間としても、モラルの危機に直面しているのだ。それは警察の抑圧で解決されないし、デモの増加を防げもしない。おざなりな行動や発言でも、どうにもならない。中央の議会で、州で、市区町村で動くべき時が来たのだ。我々全てのために」

格調の高さを訳せずにすいません。ただ、危機感と良心から来る怒りはお分かりになって頂けたらと思います。

最後にケネディの言葉を、もう1つだけ引用いたしましょう。

「法律だけでは人を正しい方向に目を向けさせられないのだ」

この見解はキング牧師も共有し、「法制化と教育の両方が必要とされるのだ。宗教と教育が、人の心に変化を起こすのだから」と述べています。
この2人が凶弾に倒れた事と、今なお騒乱が続いている事は重たい。

記事も、こう結ばれています。

「50年を経て、なお我々は作業の途上なのだ」

南如水・記

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【参考】ワシントン・ポスト

 





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