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タイタニック号/wikipediaより引用

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実はタイタニック号の生き残り乗客でした……さりげない墓が語る意外な歴史

更新日:

以前、東京に行った時の話。
若くして世を去った市川雷蔵のファンだったワタクシメは、大田区の池上本門寺にあるお墓に参ったことがありました。

随分と探すのに苦労した挙句、ようやく見つけたのですが、本名での埋葬。
しかも全然スターらしくない、一般人と変わりない外観に拍子抜けした記憶があります。

ただし、ピカピカに磨き上げられていました。
何でも、ファンの方がボランティアで手入れなさっているのだとか。
人気の凄さを思い知らされました。

さて、今回紹介するのは、さりげない外観の墓に秘められた歴史的な事実という話です。

アメリカ・アラバマ州にある墓が、あのタイタニック号で助かった人のもので、しかも想定外の墓碑だったのですって。
事実を突き止めたアラバマのal.comという報道サイトの記者もびっくりしています(2017年9月20日付け)。

 

タイタニック号に関心のあった記者の好奇心から始まった取材

記者さんはケリー・カゼックという名前の方。
かねてからタイタニック号に関心があり「アラバマ州の人も乗っていたはずだ」と見当を付けて取材していたそうです。

その見立てはドンピシャでして、ファーストクラスに乗り組んでいたアーチバルド・グレースという軍人がいた事を突き止めました。

アーチバルド・グレース/al.comより引用

しかも、この軍人さんは一旦は助かったものの、8ヶ月後に糖尿病が原因の合併症で急死していたそうです。人生の運を使い果たしてしまったのでしょうかね。

ともあれ、そうした「その後」と、アラバマ州のブロンクスという街にあるウッドローン墓地に埋葬されているという記事を配信したところ、結構な反響があったそうです(写真は、その記事のHPから引用させていただきました)。

今回は柳の下の泥鰌を狙った格好ですな。
ま、現職時代に似たような事した記憶があるワタクシメとしては、「分かる分かる」としか言い様が無いのですけど(苦笑)。

 

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2人の読者から「他にも似た例がありますよ」との指摘が

きっかけは、記事を読んだ読者2人からの指摘だったそうです。

「バーミングハムのオーク・ヒル墓地にも埋葬されている人がいますよ」。

記者が調べたところ、アルビス・エーマン・モックという女性と、旦那さんのフィリップ・エドマンド・モックという方である事が判明しました。

質素すぎて分からない作りですね。しかも相当小さそう。こりゃ見つけるのに苦労したでしょうね。
で、旦那さんがタイタニック号に乗っていたのですって。

旦那さんは1951年まで、奥様は1963年まで生きておられた事が分かります。
軍人さんとは違い、その後も運があったようですね。

記者さんは、墓の管理協会の方に掛け合い、写真撮影などの許可を取って取材を続けました。
その結果、生前の夫妻の写真も入手しました。

タイタニック生き残り/al.comより引用

 

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意外な展開、通説と違う真相が明らかに

そうこうする内に、意外な展開を見せました。

アメリカでは「タイタニック号の生存者のその後」を追跡している人が少なからずいるそうで。
そういう人たちの間では
「フィリップはフロリダのディトナ・ビーチで亡くなり、死後火葬に付された。灰は撒かれて埋葬されていない」
という話になっていて、しかも向こうの関連サイトの多くで事実として語られているのだとか。

ところが管理協会のディレクターであるスチュアート・オーテス氏によると「1963年に遺灰はバーミングハムに送られていました」」との事。実際、墓がありますよね。

つまり、通説をひっくり返すかもしれない新事実っぽい展開になっておるのです。
カゼック記者は、慎重な筆致で「追加情報を求む」と、記事で呼びかけています。

 

墓の質素さが、謎を更に呼び…

不思議なのは、墓の質素さ、であります。
ディトナ・ビーチと言えばアメリカ屈指の保養地ですし、そんな所で亡くなるぐらいですから死んだ時点で金はあったと推察されます。
オーテス氏によると、「墓地には著名人の墓がリストがあるのですが、ご夫妻は入っていません」。それもそれで謎ですね。

そもそも、どんな人だったのか。

フィリップは裕福なドイツ移民を親に1881年に生まれました。
優秀な方だったらしく、ミニチュアのペインティングを仕事として成功。親の資産をすりつぶす事も無く順調に商売を広げていたようで、タイタニック号に乗ったのも欧州でのビジネス出張の帰りに利用したからだったそうです。

ただし、当時は別の女性と結婚していました。

また、事故当時には妹さんのエンマ・シャーベットという方も同乗していたのですが、この方は離婚を決意し帰国したら協議に入る予定だったのですって。

となると、ファーストクラスを利用したのは「商談が上手く行った自分へのご褒美」と言うより、「愚痴りまくる妹をなだめる意味で、エエ部屋にしとこう」といった感じだったのでしょうか。

結果的に、それが助かる原因となったようです。
部屋の場所がEデッキの28号室でして、ここが氷山と衝突した箇所が近かったらしい。
他のファーストクラスの客が悠長に構えていたのに対し、乗船していた妹さんともども衝撃にギョーテン。

「これはただならぬ事態だ!」と感じ、即座に避難にかかったからです。

避難の途中で2人ははぐれ、救命艇に乗れとすすめるクルーに対し、「フィリップが見つかるまでは嫌!」と抵抗します。
結局、降ろされる途中の別の救命艇に飛び乗ったのを見届けてから自分も乗り組んだのだそうです。

al.comより引用

 

落ち着いたので離婚し、人生の再出発?

その後、フィリップの救命艇はカルパチア号に発見され、一命をとりとめます。

「救い出された女性が、愛する人が助かっていないか一生懸命探しては、虚しく終わり、しょげている姿を見るのは辛かった」
と、後に振り返っています。

なお、離婚を考えていたエンマの旦那さんは、事故の一方に接して驚愕。直ちにカルパチア号に電報を送り、無事を知らされます。
この電報は、今なおタイタニックのコレクションとして現存しているそうです。

…で、喜んだのも束の間だったかどうかまでは知りませんが、エンマは旦那さんと離婚。フィリップも離婚し、1914年に再婚します。
それが上記のアルビスだったのです。
落ち着いたので人生の再出発といった感じだったのでしょうか。

なお、BhamWiki.comというサイトによると、結婚後の2人はニューヨークに引っ越し、フィリップは銀行員に転職していたそうです。

夫妻に子供は無く、1935年に引退してフロリダに移住しています。
フィリップの死後、アルビスはアラバマに戻り、この地で最後を迎えました。ちなみに、アルビスの墓に合葬される格好になっているそうです。

夫の死後、金を使い果たしたのか。
あるいは、「あのタイタニック号で生き残った人たちのその後というネタで記者に追い掛け回されるのは嫌! まして、死んだ後でネタにされるのは嫌!」って感じだったのか。

だとしたらすいません。
ネタにさせて頂きました。
カゼック記者さんともども、謝ります(汗)。

南如水・記

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【参考】al.com

 





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