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欧州旅行を楽しむケネディ(右は父親)/エストニア・ワールドより引用

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「若き日のケネディが我が国を訪れていた」エストニアのサイトが意外な歴史を紹介

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ジョン・F・ケネディと言えば、第二次世界大戦で魚雷艇を指揮しており、日本の駆逐艦に体当りされ九死に一生を得たという英雄エピソードが有名ですね。

が、その少し前の青春時代はどうだったのか?
というのは、案外知られていないでしょう。かく言うワタクシメも、全然知りませんでした。

そんな若かりし頃の意外なエピソードを、バルト三国の一つであるエストニアのサイトが紹介しています。

東欧各国やナチス・ドイツを訪問し、様々な見聞を広げていたのですって。その1つがエストニアだったと、同国のサイトが紹介しています。

「へー」って感じですよね。

 

第二次世界大戦勃発の、ギリギリの時期に

紹介しているのはエストニアン・ワールドというサイト(2017年9月15日付け)。

「政治家としての原点になった海外旅行だった」としています。

出発したのは1939年1月。まだハーバード大学の3回生でした。
この時に7ヶ月かけて欧州旅行をしたのですって。

当時、父親のジョゼフ・ケネディは駐英大使として赴任しており、息子の旅行のアシストをしたそうです。

 

欧州旅行を楽しむケネディ(右は父親)/エストニアン・ワールドより引用

セレブとして注目されており、旅行はマスメディアが大々的に取り上げていました。
今でもそうですが、アメリカの新聞には社交界欄というのがありまして、そこでの格好のネタだったんですね。

例えば、クリスチャン・サイエンス・モニター紙は、1939年1月24日付けで以下のような報道をしています。

「外交の世界で、実際に海外で働くという経験。それは、駐英大使の次男に、将来政府系機関で働くかどうかという答えを与えるだろう。来週、ジョン・F・ケネディ氏はアメリカの使節としてパリやロンドンを訪れるため、ハーバードを発つ。若きケネディ氏は、パリに直接赴いて1月半過ごしたいとしている。その後でロンドンに行く予定だ。何をしたいかは決めていない。本人は『皆さんは私を栄光のオフィスボーイと呼びたがるに違いないでしょうね』と語っている」

これに似たような記事を、ニューヨーク・タイムズなどが載せています。
戦争直前の嵐の前の静けさを彷彿させる筆致ですね。

 

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エストニアでは駐在大使を表敬、モデルにも

なにしろ政界大物の息子ですから、受け入れ先でも気遣ったようですね。

バルト諸国の訪問にあたっては、駐エストニア兼ラトビア大使のジョン・C・ウィレー大使がアレンジ。
後に本人が1962年に記した回想録によると、以下のように綴られております。

「当時若かったケネディ氏はリガ(ラトビアの首都)を訪問した際、私は敬愛する聖人であるリジューのテレーズの祭壇を作っていた。この祭壇は聖人の生涯を描いた小さなパネルから構成され、その1つは後にカトリックでない人たちにすら愛された書籍を執筆中だった彼女に天使が身を乗り出す光景だった。私には天使のモデルが必要だった。そして、若きケネディ氏のカーリー・ヘアーは正にうってつけだった。モデルとして忍耐強く応じてくれて、完成した作品はバチカンにある」

ほへ~。どんなものか見てみたいですね。

その後1939年5月19日にエストニアのウィレーは首都タリンを訪問。先回りしているケネディの世話をするためでした。

ケネディ本人はタリンに2日間滞在しました。その後、再びリガへ。
ポーランド航空を利用した事がわかっているそうです。

なお、タリンで過ごしたウィレーの家は、戦火を逃れて現存。今は市庁舎として使われているのですって。

ウィレーの家/エストニアン・ワールドより引用

なお、「とんでもない大物が滞在中だぞ!」と、エストニアの新聞社が気づいて追いかけ回したので、旅行計画は変更を余儀なくされたそうです。

ウィレーは警戒したのか、地元の政府関係者には一切知らせなかったらしく、国境警備隊の関係者だけがケネディの身元を知っていたのだそうですが…やっぱり何時の世もマスメディアの鼻は利くものなのですね~。

 

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風雲急を告げる中、それでも14カ国を訪問

とまぁ、旅行につきもののトラブルはあったものの、それでも全部で14カ国を回ったそうです。

具体的には、英国とフランス、ソ連、チェコスロバキア、リトアニアにポーランド、ハンガリー、ルーマニア、そしてナチス・ドイツでした。
この他にもエジプトとトルコ、パレスチナも訪問していたそうですから、精力的だったと言えましょう。

なお、欧州滞在中の9月1日にナチスがポーランドに侵攻。
政治学を学んでいる本人には、生々しすぎるほどの現実政治を見せつけられた格好となりました。

帰国は9月21日。パンアメリカン航空の機上の人となり、無事戻りました。

なお、翌年の卒業論文は、英国のナチスへの宥和政策を題材にしました。
旅行中の見聞が情報として役に立ったのは言うまでもありません。
なお、父親の勧めもあって、この論文は書籍化され、1940年に「なぜ英国は眠ったのか」というタイトルで出版され、ベストセラーになります。

これこの通り、今でもアマゾンで購入可能ですから、ロングセラーにもなっている事にもなります。

こうして見ると、順風満帆の青春時代だった事が分かります。お金持ちのお坊ちゃんに有りがちな放埒な生活を過ごしていたわけではなく、将来のバックボーンを築いていた事も分かります。

やっぱり、大統領になろうかという人は違いますね~。

南如水・記

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【参考】エストニアン・ワールド

 





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