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G7や首脳会談でお馴染み「サミット」という言葉 あのチャーチルの造語だった!

G7や米朝首脳会談でお馴染みとなった「サミット」という言葉。

英語での綴りはsummit。
本来は「頂上」「山頂」などという意味ですが、これが今のような各国トップ同志の会談に使われるようになったのは、第二次世界大戦で英国を率いたウィンストン・チャーチルが言い出したからなんですって。

最近、映画にもなりましたし、立て続けに首脳会談も行われた事もありますので、ひとつ緊急寄稿してみましょう。

 


造語の天才だったチャーチル

チャーチルに関する書籍は多々ある中、近刊で面白かったのが、この「チャーチル・ファクター たった一人で歴史と世界を変える力」(ボリス・ジョンソン著、小林恭子訳/プレジデント社)です。

著者のボリス・ジョンソンは、英国政治家の大先輩に当たるチャーチルに対し、殆ど心酔とも言える筆致で絶賛しています。
それと共に、同時代の政治家や庶民の声などによる、チャーチルへの厳しい声も紹介しながら、バランスを取っています。

戦場に届いたBBCのラジオ演説が必ずしも兵士の間では好評では無かった事や、その弁舌が立ちすぎるが故に、仲間の政治家からは警戒されていた事などを、本書を通して初めて知りました。

そうした初めてのエピソードの中で「へー」と思ったのが、この「サミット」という言葉。
同書の114ページから115ページにかけて、次のような一節があるのです。

チャーチルは、近年最高の言葉の発明家の一人だった。今日、世界の指導者たちが危機的な状況について議論をするとき、「サミット」の場で「中東」について話したり、あるいは新たな「鉄のカーテン」を引く危険性を取り上げたりすることがあるだろう。この三つの造語はチャーチルが発明した、あるいは流行させたものである。

折しも、シンガポールの米朝首脳会談(開催地のシンガポールで発行されているストレーツ・タイムズではTrump-Kim summitと表記していますし、ツイッターでのハッシュタグでは#TrumpKimSummitでした)の会見が間延びしていて、テレビを見ながら退屈しのぎに本書を読み返したら、この箇所に出くわし「あぁ読み落としていた」「神様が『このテーマで書け』と命じているんだろうな」という気持ちになりました。

 


ウィキペディア英語版でも言及されていた

なお、このサミットについては、ウィキペディア英語版でも言及されていました。
以下、拙訳してみます。

サミット会議(あるいは、ただの『サミット』)とは、国のトップや政府が主催する国際会議のこと。
通常はメディアによる取材がある一方で、セキュリティが厳しい中で行われ、アジェンダが事前に設定されている。
著名な例としては、第二次世界大戦中のフランクリン・D・ルーズベルト(Franklin D. Roosevelt)、 ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)、ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)らが参加したサミットだ。
サミットという言葉自体が一般化したのは1955年に開催されたジュネーブ・サミットであった。

元祖とされているのが、1941年8月9日から12日に行われた大西洋会談。
英語ではAtlantic Conferenceなのですが、これを最初のサミットと定義する書籍がこちらです。

「初のサミット:プラセンティア湾でのルーズベルトとチャーチル」(現代戦研究)
The First Summit: Roosevelt and Churchill at Placentia Bay, 1941 (Modern War Studies)

セオドア・A・ウィルソンという方による1991年7月に出された著書です。
同書の紹介を拙訳してみましょう。

真珠湾奇襲4ヶ月前、ウィンストン・チャーチルとフランクリン・D・ルーズベルトは、ニューファンドランド沖に停泊した軍艦で密かに会った。

これは第二次世界大戦期の最初のサミット会談だ。
やがて来る大きな出来事(アメリカ参戦)が影を落としていたものの、プラセンティア湾の1941年の首脳会談では劇的な成果が生まれた。

サミットでは英国への物質的援助の方針が確認され、「大西洋憲章」を制定。枢軸軍の破壊に繋がる同盟の基礎が築かれた。本書の改訂版では、歴史学者のセオドア・ウィルソンが大幅に改稿している。

初版の発行後、入手可能な一次史料の他に、新たな資料が追加された。ウィルソンは1941年8月に開催されたサミットを分析し、ルーズベルト大統領が完全に主導していた訳ではなかったと結論づけている。

近現代史に詳しい方なら、この時の舞台となった英国の戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」が、太平洋戦争の開戦直前にシンガポールに回航されたものの、日本海軍航空隊の集中攻撃を受け、海の藻屑と消えた事を御記憶でしょう。

おぉ、ここでもシンガポールが出て来る!
何の偶然でしょうか?

 


今回のサミットをチャーチルの歴史に重ね合わせるメディアも

ちなみに、今回の米朝サミットは世界中のメディアが注目していましたが、中には過去の暗い歴史と重ね合わせる新聞社もありました。
イスラエルのハァレッツ紙の報道がそれです(2018年6月11日付け)。

記事の見出しは「分析:トランプと金の歴史的サミットの『語られざる事態』 チャーチルからニクソンまで、指導者は互いの国の人権状況に言及しないものだが、トランプと金も例外では無い」=(Analysis The 'Unspoken Condition' of Trump and Kim's Historical Summit  From Churchill to Nixon, leaders rarely talk about human rights within each other’s countries – and Trump and Kim will be no exception)と、辛辣です。

以下、抄訳してみました。

ウィンストン・チャーチルは、ドイツが77年前の今月にソ連に侵攻したとの報道に接すると、
「ヒトラーが地獄に侵入すれば、下院で私は悪魔に少なくとも有利な言及をするだろう」
と、私設秘書に語ったと報じられていた。

同じ日に、英国民向けのラジオ放送で、チャーチルは、
「過去25年間、私は誰もより一貫して共産主義に反対してきた。その事について弁解はしない。だが、全ては現在展開中の光景の前に消え去る。過去は、その罪と共に、愚行や悲劇ともども吹き飛んだのだ」
と演説した。

この時点で、ナチス・ドイツは「ユダヤ人問題の最終的解決」にてういて最終的な解決策を実行しておらず、ソ連の占領地で虐殺を実行していなかったが、チャーチルはヨシフ・スターリンの方がヒトラーより遥かに残忍である事を明らかに知っていたはずだ。ナチスは数多くの残虐行為を犯したが、東欧では何百万人もの遺体が山積みされるのは先の話だ。
スターリンは1930年代にウクライナで人民を意図的に飢えさせ、「大粛清」を実行し、何百万人もの殺人を指揮していたのだ(ほとんどの歴史家は第二次世界大戦の終結までに、ヒトラーは1100万人の非戦闘員を虐殺した。これによってヒトラーは大量殺人犯とされている)。

だが、この時にスターリンが大量殺人犯だった事に疑問の余地は無かったのに、チャーチルの優先順位は明快だった。

「我々の目的は、ただ1つであり、撤回不能である。ヒトラーとナチスの体制を跡形も無く破壊するのだ。これについて一切の変更は無い」

記事では、チャーチルの名前が14箇所も出てきます。
多くのユダヤ人が虐殺されたという過去を持つ民族だけに、人命や人権がないがしろにされるのには厳しい視線を注いでしまうのでしょう。

救いとなるのは、今回のサミットで日本人の拉致問題をトランプ大統領が取り上げた事でしょうか? もっとも、共同宣言には盛り込まれていません
また、日本人拉致以外の問題として、体制を保証すれば2500万人の北朝鮮国民の人権が弾圧されたままとなります。

それで良いのか?
ふー、重たい結論になってしまいますね。

文:南如水


【参考】
チャーチル・ファクター たった一人で歴史と世界を変える力

 



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