今夏の日本列島は、地下と大空から、度重なる災害にみまわれました。
・大阪北部地震(6月18日)
・西日本集中豪雨(6月28日~7月8日)
・台風21号(9月4日上陸)
・北海道胆振東部地震(9月6日)
亡くなられた方のご冥福をお祈りすると同時に、今なお過酷な状況で苦しまれている方に心からの励ましの言葉をお届けします。
と同時に、歴史を取り扱う本サイトとしては、文化財へのケアも気になるところであり、今回は、京都と大阪における被害状況のルポ報告です。
全容については、今なお分からないというのが実情。
それだけ、途方も無い規模だったと言えるでしょう。
関係者には、今なお過酷な夏になっているのです。
目次
石清水八幡宮(京都府八幡市)
7月1日午前10時。
神戸の自宅から、JRや京阪を乗り継いで約1時間半かけ、石清水八幡宮を訪ねました。
最寄り駅の京阪電鉄八幡市駅の北側には、多くの家屋にブルー・シートが敷かれていました。
まず、この事に驚かされました。
標高123メートルの男山頂上にある、八幡宮。
歩いてでも上がれますが、多くの人が使っているのが、八幡市駅と直結しているケーブルカーです。
「当日は6時間運休しました」(駅員さんの話)
そのケーブルに乗り、本宮へ。権祢宜の梶貴嗣さんに案内して頂きました。
折りしも、台風7号が近づく中の蒸し暑い京都でしたが、男山の頂上は爽やかな涼しさでした。
八幡宮は、鶴岡、宇佐と並び称されるだけあって、平成の大修造を24年に終え、28年に本社10棟が国宝に指定。
この他にも、国指定重要文化財(若宮社や東総門など)や京都府指定文化財(石清水社や木像神像)、京都府指定天然記念物(神苑南側の楠など)、 八幡市指定美術工芸品(松鳩図絵馬)と、様々な指定がされています。
男山そのものが京都府の歴史的自然環境保全地域に指定されています。
正に、歴史と自然の宝庫と言えましょう。
今回、そうした文化財に被害が無かったのは、本当に幸いでした。
ただ、480基ある石灯籠の内、40基が擬宝珠の落下物や微壊の被害にあいました。
訪ねた際には、相当数が元通りにされていたものの、
「1トン近くあるものについては、業者によって直してもらうしかない」(梶さん)
との事で、完了とはいかない状況でした。
地震発生時には、約30人の神職の内、普段から泊り込んでいる方が、境内におられたそうです。
その方々や、参拝者も含めて死傷者が出なかったのは、本当に良かったとしか言い様がありません。
頑丈な地盤が幸いしたようです。
「8時前という発生時刻が、もう後少し遅かったら…」と、梶さん。
これもまた、不幸中の幸いでした。
なお、この言葉は、後で回った様々な文化財の関係者が口になさっていました。
以下に紹介していく写真を見れば、誇張でも何でもない事がお分かりになられるかと思います。
ちなみに、八幡市の震度は5。
七夕を控えた地元では、お祭りの準備の最中でしたが、男山の麓の公会堂では、提灯を掲げながら、その一方で入り口で罹災証明書の受付を行っていました。
それが、非常にシュールリアリスティックな光景に見えました。
取材を終え、昼食に立ち寄った店で、「壁にひびが入ったし、台所がむちゃくちゃになった」と話される地元の老夫婦の方と一緒になりましたが、奥様が「ホンマ、高槻と茨木以外も被害を受けてるんやけどな」と、寂しげに語っていたのが印象に残りました。
松花堂庭園(京都府八幡市)
ブルー・シートを屋根に被せた家が次第に増える中、その八幡宮から南に歩いて約45分。
松花堂庭園に着きました。
江戸時代初期に寛永文化を牽引した文人僧で、茶の湯を通して小堀遠州や沢庵和尚などと交流のあった松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)。
亡くなる2年前に当たる寛永14年(1637年)に建てた方丈を起源とします。
また、いわゆる「松花堂弁当」の発祥の地でもあります。
2万平方メートルの規模を誇る庭園は、現在は公益財団法人やわた市民文化事業団が運営。
国の史跡として「松花堂およびその跡」が、また、「松花堂及び書院庭園」が、国の名勝に、それぞれ指定されているほか、「草庵・松花堂」が京都府指定文化財に、泉坊書院が京都府登録文化財に指定されています。
地震後、松花堂庭園は休園中ですが、松花堂美術館やミュージアムショップ、京都吉兆松花堂店は通常どおり開館、営業されています。
閉ざされた庭園ゲートから、副館長の西山龍夫さんの御案内により、園内に入る事となりました。
地震発生後、倒木もあったそうです。
「当日は休館日だったので」(西山さん)、運営スタッフやお客様に負傷者が出なかったのは、不幸中の幸いでした。
ただ、名勝指定範囲や、文化財のある内園は再開の目処が立っていません。
「八幡市をはじめ、国や京都府、関係機関の協力のもと、出来るだけ早く復興し、お客様をお迎えしたいと考えています」
取材時には、八幡市の文化財保護課の関係者が、被害状況を視察していました。
なお、文化財保護課の職員さんが執務する八幡市立ふるさと学習館でも、2階の展示室の土器や瓦が割れてしまったとの事です。
揺れの凄さを、今更ながら感じざるを得ませんでした。
枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館(枚方市)
翌日訪れたのが、JR学研都市線の藤阪駅にほど近い、枚方市立旧田中家鋳物民俗資料館。
大阪府の指定有形文化財です。
「国内でただ一つ、江戸時代の姿を残す鋳物工場です」(パンフレットより)と、珍しい歴史遺産だけあって、それほど交通アクセスが良くないにもかかわらず、平日に多い時は30人が訪れます。
元々は、上之町という遊園地で有名な「ひらかたパーク」近くにあったのを移築。
施設内には、同じ市内の田口山遺跡で発掘された弥生時代の住居跡も、移築・再現されています。
歴史好きな人には、お得感のある施設です。
田中家は、戦国時代から江戸時代にかけて全国の鋳物師を支配した真継家から独占的な営業を許され、河内國の惣館鋳物師として栄えました。
昭和35年頃に廃業しましたが、残された施設や本家の跡地を枚方市が買い取りました。
74坪の鋳物工場には、土間に鋳型を作る型場や踏鞴場、甑炉等があった他、風通しを良くし、熱を逃がすために格子戸を多数設置する一方で、屋根には風袋と呼ばれる設備もあります。先人たちの知恵には、驚かされるばかりです。
こちらも、当日は休館日で、6人のスタッフは難を逃れました。
中の展示物が若干ズレたりしたものの、破損する事はありませんでした。良かったですね。
ただ、壁にはヒビが入ってしまいました。枚方市教育委員会では、「8月中の修復完了」を目指したいとしています。
枚方市立枚方宿鍵屋資料館(枚方市)
京阪電鉄枚方公園駅を北へ徒歩数分の場所にある資料館。
江戸時代には東海道のお江戸日本橋から数えて56番目だった「枚方宿」。
あのシーボルトをして「故郷のマイン河の渓谷を思い出させる」(江戸参府紀行より)と賞賛されたロケーションにあります。
宿屋として栄え、更に時代が下った幕末期には淀川三十石船の「船待ち宿」としても繁盛した「鍵屋」(平成9年まで料理旅館でした)をリニューアル。
昭和3年に作られた別棟には、広さ63畳の大広間があり、様々なイベントに使われています。
年間の来訪者は1万2000人。
京街道に面した「鍵屋」だけを見る人も入れれば1万5000人になるだろうとの事でした。
それなのに
「被災後に取材に来られたのは、初めてです」(スタッフ)
という状況だそうです。
……正直、被害が甚大だとは言え、余りに高槻や茨木の方ばかりにメディアの取材の目が向きすぎているのではないかと思わされる一言でした。枚方や寝屋川だって、損壊した家屋があるというのに。
出来の悪い、落ちこぼれの新聞記者の成れの果てながら、恥じ入ってしまいました。
枚方市側の史料調査を基に、徹底した考証を行った結果、主屋は江戸時代の佇まいを残した貴重な遺産として、市の指定有形文化財となっています。
今回の取材で初めて知ったのですが、江戸時代には木製のシャッター(摺り上げ戸)があったのですね。
「屋根裏の滑車とおもりで、板戸が持ちあがる仕組みです。開き戸や引き戸のように、板戸が壁にならず、表通りに対して広く空間がとれるため、開放的な店構えになっています」(HPより)。
非常に貴重な、その摺り上げ戸が、今回の地震で建物に歪みが生じたらしく、ほとんど上がらなくなっていました。
この他にも、うだつに亀裂が入った他、石灯籠がご覧のように倒れています。
当日は開館準備中で、臨時休館を余儀なくされました。
なお、掃除のスタッフさんがおられましたが、幸いにも怪我は無かったのは、繰り返すフレーズながら本当に良かった。
大阪城(大阪市)
説明を要するまでも無いビッグネームで、こちらも被害を免れませんでした。
天守閣には被害が無かったものの、西の丸・高麗門の石垣に剥落がありました(大阪城パークセンターによる)。
この程度で済んだ当たり、流石は天下の名城と言うべきなのでしょうか。
なお、高麗橋は西の丸庭園の奥にあるのですが、そこから北西の京橋口を抜け、天満橋に向かう途中に、こんな光景が。
テレビ大阪の本社の看板にネットが被せられていました。今回の被災との関連性は不明ですが…。
大阪府立中之島図書館(大阪市)
こちらも、説明を要するまでもありませんね。
55万冊の蔵書を誇り、重要文化財にも指定されている中之島図書館です。
一番南側の柱の一部が、このように剥離してしまいました。
ただ、こちらも開館時間前とあって、利用者は不在。
「約61万冊の蔵書の内、一部が折れ曲がったりした」(同館総務課・藤原起彦主査)ものの、掃除に当っていた株式会社アズウェルのスタッフさんともども、居合わせた6人の内、誰1人怪我はありませんでした。
築114年から115年を経ての建物で、この程度で済んだのを奇跡の一言で片付ける訳にはいきません。
阪神淡路大震災の際に、書架が倒れるダメージを受けたのを教訓に、平成27年までに閲覧席の安全工事を終わらせ「今回は、ほぼダメージがなかった」(藤原主査)となっていたからです。
思わず「本当に、良かったですね」と口にしたところ、「職員待機業務スペースの耐震工事が、まだなんです」との事でした。
早めの対応が望まれますね。
大阪市立愛珠幼稚園(大阪市)
その府立図書館から歩いて程ない地にあるのが、大阪市立愛珠幼稚園。
近くには、適塾の跡地もあるような、近代大阪の息吹を伝える地です。
明治13年(1880年)6月に創立された、我が国屈指の歴史を誇る市立幼稚園です。
「木造園舎は日本最古であり、また、現役の園舎であることが高く評価され、園庭の廻旋滑り台と共に、平成19年6月18日に国の重要文化財に指定されました」(園のHPより)。
ちなみに、卒園生の1人が、俳優の角野卓造さんでした。
ご覧のように、教室内の漆喰などに割れ目が出来た以外は、建物への致命的な影響は無し。
建物を一旦解体し、2年1ヶ月間かけて耐震工事を行ないました。
見えない場所での強化などを徹底し、それが「今年3月に終了した」(井谷正美園長)とのことで、やっただけの事があったと言えましょうか。
大阪市内に在住していれば、入園は可能。
ただし、私立の幼稚園のように送迎バスは無いそうですから、震災発生時は、親御さんが「そろそろ園児の支度を」と思っていた頃合いだった格好となります。
本当に、危ないところだったと繰り返すしかありません。
国立民族博物館(大阪府吹田市)
まだまだ、ビッグネームが続きます。
吹田市の万博公園にある民族博物館です。
収蔵され得ている展示物は1万2000点で「本館の展示物21点が破損した」(総務課広報係)そうです。
ただ、幸いにも修復は可能。
防煙施設に剥離があったり、エントランスゾーンの防火壁のガラスが割れるなどの被害はあったものの、スタッフには怪我がありませんでした。
なお、8月23日から部分的に展示を再開しています(同館のHPより)。
一刻も早い完全再開が待たれますね!
今城塚古墳(大阪府高槻市)
宮内庁の指定する継体天皇陵とは別に、本物の継体天皇の陵墓だとされているのが、この今城塚古墳。
全長340メートルで、6世紀前半に造影されたと推定されています。
これまでにも何度となく調査が行われ、はるばる熊本から運ばれた馬門石を含む巨大な石棺や、副葬品などが見つかっています。
今では地元の高槻市民の憩いの場になっています。
ただ、この古墳、災害に弱い。
前方の中央が突出した、剣菱(けんび)型の形状で、近畿には他にも似たような形状の古墳がある事から「何らかの意図があっての設計・造営」と考えられていたのですが、一連の調査から、伏見の大地震によって崩落したもののようだと推論されているのです(高槻市教育委員会の2001年調査報告より)。
そして、今回も無事では済まなかった。
ご覧の通り、濠の一部が崩落。シートが掛けられている状態でした。
なお、宮内庁によると、継体天皇陵を始めとする近畿の古墳群は無事でして、「正倉院の持仏堂の屋根瓦の一部がずれる」(総務課報道室)程度の被害で済んでいたそうです。
明暗を分けたとなりましょうか?
真横にある今城塚古代歴史館は、道向いの家屋の多くに、ブルーシートが被せられているのを見やりながらの取材となりました
高槻市の専門官に調査を仰ぎ、被害状況を徹底点検し、再開にこぎつけたのが7月3日。
展示物の幾つかが、揺れによって割れてしまいました。
そうした状況を写真に収め、メインエントランスで展示していました。
痛々しいですね。こちらも、壁にヒビが。
ただ、安全性に支障は無いとの事です。
なお、こちらもスタッフの皆さんは、いずれも無事。何度も繰り返しますが、本当に良かった。
闘鶏野神社(茨木市)
その資料館の方に教えてもらって向かったのが、市境を越えてすぐの闘鶏野神社。
見るなり、絶句してしまいました。
多くの説明を要しないですよね。
2週間近くを経て、まだこんな状況でした。
あまりの暑さで、自分の目と頭がどうにかなってしまったのかと思ってしまうほど。
なお、ここには地域特有の事情がありますので、後述します。
太田神社(茨木市)
更に、そこから程ない場所の太田神社。継体天皇陵の真横とも言うべきロケーションにあります。
延喜式にも出てくる歴史を誇る古い神社なのですが、ご覧の通りの状況でした。
ただ、住人の方によると、「事前に、こういう風に撤去していた」との情報もあります。
残念ながら、裏が取れずじまいでしたが、参考情報として記載しておきます。
いずれにせよ、痛々しいですよね。
余りの規模の大きさに「全容掴みきれず」
さて、この特集記事。
一旦脱稿したものの、その直後に今度は西日本を集中豪雨が襲い、再取材となりました。
関西の神社庁や仏教会に電話取材しながら、被害状況把握の為に、関係者が捕まらない状況。
で、待った挙句に再度の電話取材をしたら、今度は「被害の状況を掴みかねる」と、関係者すら途方に暮れている事を知りました。
何しろ、京都府神社庁によると、
「各地の宮司さんから電話を受けているが、何しろ1500社から1600社ある」
のだそうで、全容が把握しきれていないのです。
神職のいない神社については、掛け持ちの宮司さんが見に行こうにも「道路が寸断されているので無理」なのですって。
また、大阪府仏教会によると、あくまで任意団体で、ダメージがひどかった茨木市には、そもそも「仏教会そのものが無い」とのことです。
つまり、最初から全容がわかる仕組みになっていない。
無論、この事を責める訳にはいきません。
かくて、無駄に時間だけが過ぎてしまいました…。
その後、大阪府教育委員会によると、府では集中豪雨後に、新たに5件の被害報告があったそうです。
「地震で被害を受けた文化財ではありませんでした」というのを、ダブルパンチを回避できたのでホッとするべきなのか、それとも新たな被害が増えたのを憂うべきなのか?
私は後者でした。
では、こうした被害を受けた、文化財や国宝の修復はどのような流れで行われるのか?
まず、文化庁で、各都道府県の被害報告を受けて、現地調査。
その上で、申請を審査して、採択していきます。
こうした被害の把握を担当する職員が約50人ほどいるそうで、豪雨後は、被災の把握に忙しい日々を過ごされています。
ただ、取材当時は、被災した自治体が人命救助やインフラ修復を優先していたので、全容が把握できておらず、「今後増えるだろう」という状況でした。そりゃあそうでしょうね。
そして、修復予算については、通常は総事業費の半分までを支給。受けた事がある関係者によると「そもそも書類の作成が大変だし、経年劣化分は出してくれない」ものなのだそうです。
その上、余程ひどい場合には追加しますが、それでも上限は85%で、全額じゃあないんですって。
また、そうした場合は、修復に当って専門家のアドバイスを受け、「それも予算に盛り込む」のだそうです。
ボランティアではないのですから、当然といえば当然です。
ちなみに、文化庁の平成30年度予算に於ける関連の予算は278億円で、この中から災害復旧費を捻出していきます。
年5回、予算要求がありますが、直近で言いますと9月なのだそうです。
これだけ豪雨や台風が続くと、「お金大丈夫なの?」という気持ちにさせられます。
国や自治体から金が出ない寺社の苦悩
もっとも、金が出るだけマシと言えるのかもしれません。
市区町村単位での指定も受けていない神社仏閣は、こうした修復の費用はすべて自腹です。
前出の闘鶏野神社が、その1つです。
総代は7人。お一人に聴いた話が、実に気の毒でした。
このように、名神高速道路を跨ぐ形で参道が出来ているのです。
「修復に関してはNEXCO西日本と協議していかねばならないでしょう」と、むせ返るような暑さの中で、お答えでした。
NEXCO西日本の話によると、名神高速道路の開通時に橋をかけ、平成7年の12月に参道の形で整備したそうです。
「高速道にも影響があると考えられますので、大阪高速道路事務所が検証し、高槻市の管理課とも協議しています」との事でした。
なお、総代の方は「修復費用の話は、正直したくない」。
こちらも、ブルーシートがかかる周囲の家屋を見て、それ以上は聴けませんでした。
★
畳み掛けるように襲いかかる今年の災害を思えば、こうした、都心というロケーションならではの問題を抱える神社仏閣が、この闘鶏野神社以外にもあるかもしれません。
また、その後の、今に至るまでの酷暑を思うと、天を呪いたくなります。
何故、こんな辛い思いを、地域の歴史や文化を担う人達がせねばらないのか?
ともあれ、関係者の暑い夏が続きます。
何らかの策を講じられないものか、この武将ジャパンの読者の皆様に知恵の拝借を仰がずにはいられません。
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南如水・記















































