規格外の英雄その名は曹操!乱世の奸雄は66年の生涯で何を夢見ていたか?

その死後

リア王:
この私は罪業を犯したというよりも、存在そのものが罪業なのよ
『リア王』第三幕第二場

ここまでが、正史での遺言ではあるのです。ここから先は、彼の墓が出来上がってからのこと。

 

曹操、追悼文で失望され、墓で見直される

陸機(261ー303)の『弔魏武帝文』(魏武帝=曹操追悼文、『文選』)では、いきなり曹操は失望されています。
陸機は呉・陸遜の孫とはいえ、それを差し引いても、ともかくがっかりしています。

それは、その遺言のせいでした。
陳寿も裴松之も、見て見ぬ振りをしたのかもしれません。理由は……お察しください。

「妻たちは銅雀台で住まわせてくれ(中略、細かい指示あれこれ)。そこから墓を見てくれればいいよ」
「余った香は、夫人で分けてね。暇潰しなら、靴でも作って売るといいんじゃない。官僚としての綬(現在ならば社員証やバッチ的な理解で)は、蔵の中にしまっておいて。余った服も適当な場所にしまってね。俺の余った持ち物は兄弟みんなで分けていいよ」

やたらと細かい。
形見はメルカリで売ってね♪ みたいな話じゃないですかーッ!

これに対する陸機は、がっかり感を素直に書きました。

「死ぬ間際まで、妻や家族に対して細かい指示を出していて、なんかセコくてバカみたい……すごい人なのにこれはないわ……キモくて英雄イメージが台無し……」

時代を超えたがっかり感があるといいますか。
現代人が同じことを言っても、どうかと思われそうではある。

この遺言があまりにしょうもないので、貶めるために偽造された説もあるようですが、どうでしょうか。
卞夫人にイヤリングを贈った時の逸話を始め、あってもおかしくないような気がします。強調されたり、加筆されたりといったことは考えられますが、元ネタはあったのでは?

このあとも、曹操はしょうもない誤解をされ続けます。

「『魏武注孫子』って、あの曹操が、いろいろなんか加筆訂正しているんでしょう?」

いや、そういう回りくどいことは、むしろやらないと思いますよ。

『魏武注孫子』とは曹操が『孫子』に注釈をつけたもの! 一体何が書かれている?

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そしてこれだ!

「あの悪どい曹操のことだから、墓にはお宝どっさりなんでしょ?」
「しかも、墓を盗掘されたくなくて、偽物の墓を作ったらしいぞ」
「盗掘に入ったら、いきなり罠があって死んだってさ……」
「曹操怖いいぃぃぃっ!」

はい、これについては、孟徳さんの代弁をしましょう。

「わざわざ、そんなめんどくさいことしねえし! お前ら、俺の遺言読みなおせ!!」

それからいろいろありまして、曹操の墓について明かされる日が訪れたのです。

曹操の墓
葬儀も墓も地味が一番!乱世の奸雄・曹操の墓はリアルに質素だった

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よかった。
デストラップダンジョン説だの、あれやこれやは払拭されました。
曹操の墓には、せせこましい罠ではない、大きな特徴があったのです。

◆遺言通り。当時の形式に沿った豪華な副葬品ではなく、質素な食器類が多い
→ふーん、薄葬(=地味思考)だね……では終わりません。
・曹操の遺言の方が、当時の儒教的な慣習よりも上だというプレッシャーを曹丕以下感じて守ったのです。
・そしてこれは、当時あった迷信や宗教を否定することでもあります。

◆曹操はオカルト思考を断固拒否する、現実主義者だったと証明される
→漢代の墓から出土する【金縷玉衣(=金糸で玉を繋ぎ合わせた衣】がない。遺言通り、平服で埋葬されたのでしょう。
こうした特殊な副葬品は、死後の世界をふまえているものです。
始皇帝陵はじめ、多くの墓にある大規模な兵馬俑の類もない。
現在でも残されている、死後の世界で使う【冥銭】の風習。
あるいは、日本でもある仏壇および墓へのお供え物すら、否定するかのよう。
ともかくぶっとんだ現実主義者なのだと、改めてわかってきたわけです。
もちろん、盗掘と墓そのものの真偽については、今後も考えねばなりませんが。

→この時代の常として、曹操の性格を知らない臣下が、予言を持ち出すことがありました。曹操は喜ぶどころか、塩対応であったそうです。曹丕や劉備ですら占いを気にしていたのに、曹操は違いました。

→曹操は全力で主張したいことは、詩でも言葉でも、そして行動でも全力で出してゆきます。
例えば『蒿里行』とは、漢代では死者を悼み、霊魂を歌い上げる、現代に至るまである人類の心理に基づくものですが。
それが曹操『蒿里行』では、漢王朝の政治腐敗、反董卓連合のまとまりの悪さ、地面に散らばる自分が見てきた白骨によって表現します。
霊魂じゃない。現実にある白骨にまで、大転換をしてきました。曹操は徹底して、運命は天でもなく、地でもなく、人が決めると信じて生きてきたのです。
あのやたらと細かい遺言も、そういう現実主義の表れかもしれませんよ。

→曹沖の【冥婚】も、そうした行動原理に沿っています。亡くなった者同士で結婚させるということは、傷ついた親として区切りをつけることにもなりますし、生々しい配慮も感じさせます。我が子の追悼にまで、そういう自分の性格が出てしまうのでしょう。

そんな彼の言動から残された思想と、墓は、一致するのです。

◆曹操、やっぱりもろもろが辛かった……
→そんな副葬品から、彼が悩まされ続けた頭痛治療用の【石枕】も見つかりました。これは誰にも使い道がありませんし、埋葬されたのでしょうね。
発掘した頭蓋骨からは、虫歯と歯周病の後もあります。これは医学未発達な時代であれば、さほど珍しいことでもありません。
ただ、酒を飲みすぎた結果、糖分で悪化した可能性は考えられなくもありません。ストレスを大酒で晴らすから、そんなことになったんじゃないですかね。昔の酒は現在のものより糖分が高く、歯に悪いものです。
曹操の逸話には、発作的な暴力行為が残されています。心身不調のせいで、本当に色々と辛かったのでしょう。
ならば、治療する名医・華佗を殺さなければよかったのに、って? それはその通りです。

◆曹操は新技術が好き、墓が発掘されただけで歴史を覆す
→玉がない代わりに、曹操の墓からはとんでもないものが出てきました。
【白磁】です!
陶器よりも技術的に難易度が高く、それまでは6世紀後半から作られたとされてきたもの。それが、曹操の墓から出てきたおかげで、歴史そのものがひっくり返ったのです。
曹操は、定番かつ発掘される玉(=翡翠等の貴石、半貴石類)ではなく、新技術を好んだのでしょう。新しもの好きなんですね。

考古学的な発見により、曹操見直しの機運も高まっています。

「しょうもない罠を仕掛けたわけじゃないんだ、よかったね!」
「清貧思想があってえらいぞぉ!」

そういう論調もありますが。
これもどうでしょうね。ここで孟徳さん代弁でもちょっと。

「いや、そもそも遺言でそう主張してきたわけだし。そんな回りくどくてあざとい清貧アピールするつもりはないし。噂を流されて、それを否定されて、再評価おめでとうと言われたところで、意味不明すぎるだろ……」

 

曹操の目指した世界はどこにあるのか?

エピローグとして、曹操の人生とその考え方を探ってみましょう。

阿瞞(嘘つきちゃん)と呼ばれた少年。
大人がああしろと言っても、聞くそぶりもない。どうしようもなくチャラい(軽佻浮薄)とあきれられていた少年。

そんな彼が、少年期の終わりに、橋玄と出会って評価されました。
彼の中にある才能を見てくれて、曹操は感激したのです。

それでも、許劭からはこう釘を刺されてもいます。

「平時ならば、きみは名官僚になる(=【治世の能臣】)」
「将来、世が乱れた時。きみのような【乱世の英雄】こそ、役に立つだろう。けれども、一歩間違えると【乱世の姦賊】になってしまいかねない。気をつけなさい」

振り幅が広い。橋玄が見出した、見たことがないほどの才能。
それは、役立つこともあるし、凶器となって血を流すことにもなりかねない。そう言われたのです。

後漢王朝が断末魔をあげる中で、曹操は戦い抜きました。
そんな将軍がいたと墓碑銘に刻まれたら満足だと願い、彼は奮闘していたのです。

そして、何顒の評価でつながりもあった、あの荀彧が現れました。

曹操は劉邦。荀彧は張良。そうなろうと誓い合いました。
袁紹の事績を見ていくと、彼は王莽のあと、漢を復活させた光武帝を意識していた形跡があります。

曹操は違う。
彼はあくまで高祖・劉邦、新王朝の創始者をめざしていたのです。

乱世を戦い抜いていたのに、【赤壁】の大敗戦で崩れてしまう。
後継者にしたいと愛していた曹沖も、夭折してしまう。
曹操が夢見た世界は、崩れてゆきます。

それでも曹操は倒れることもできずに、歩いてゆくしかない。
そこまでタフではない荀彧は、先に世を去りました。

彼の張良はもう、いない。
劉邦のように全土を統一した皇帝となる道も、もはやない。
中途半端で、砕けた夢の中で、曹操は歩いてゆくしかない。

文章の中に、美しい世界を描く曹植。
そんな個性を、後継者に選ぶことも挫折しました。

曹操の夢見た世界の続きは、曹丕以降に託されたのです。

それが叶うことはありませんでした。

曹丕が頼りにした司馬懿は、荀彧ではなかった。
張良となることではなく、自らが劉邦となることを目指していたのです。司馬懿にとって、曹魏への恩義はさらさらない。あったとしても、燃え尽きたのです。

曹操が夢に見た世界。
隣に張良がいて、後継者の座には曹沖か曹植がいた世界。

その世界は、永遠に訪れることはなかったのです――。

悲しいことです。もし実現していたら、どうなっていたことか。
さぞや素晴らしかったことでしょう……と、締めくくると思いましたか?

いや、その点については全く残念でもありませんし、その世界がよかったとも思いませんし、曹操の夢は挫折したとも思っていません。
もうちょっとだけ、おつきあいください。

 

曹操の話をすると、曹操がやって来る

曹操の目指した世界とは?
その価値観のかけらは、魏晋南北朝に残されました。

東晋建国者・王敦(266ー324)は、気持ちが高ぶって来ると痰壷をボコスカ如意棒(=マッサージ器具)で殴りながら、こうシャウトしていたのです。

「老いたる馬は厩にいようと、志は千里の彼方にある! 勇者は年を取ろうと、やる気は常にあるんだよ!」

これは曹操『歩出夏門行』の一句です。

本稿でもさんざん引いた『世説新語』は、倫理観がふっとんだ魏晋南北朝時代の、わけのわからないエピソードを大量に集めております。
やりすぎ贅沢セレブライフ、美食マニア、ドラッグ中毒、アルコール中毒、レジェンド腐女子、美男追っかけ女子、下駄コレクター等……ありのままの奇行を見せています。

彼らは乱世で精神状態が悪化して、奇行を繰り返していたわけではありません。
意図的に、儒教規範やそれまでの正常範囲を破っていた形跡がいくつもあります。

そういうぶっとんだ人の個性を賞賛する、そんな流れがそこにはありました。

普通じゃいられない。ありのままに生きる。
そんな曹操はじめ多くの人が蒔いた、既成概念を破壊する価値観が花開いてゆくのです。

時代がくだっても、この流れは曹操とともに残り続けました。
中国文学史上最低最悪のスーパーヴィランとして、講談で、小説で、劇で、語り継がれてゆくのです。

こうした曹操を描いて、飯の種にしていたのは、科挙に合格できずにドロップアウトした士大夫たちでした。

何かずれているのか、運が悪いのか、どうしたって官吏になれない。就職できない。
そういう士大夫たちは、自分の想像力と文才を生かして、曹操をネタにするわけです。
もちろんネタは曹操だけでもありませんが、曹操が見たら「わかる、お前らセンスあるわ!」と喜びそうなものにも、彼らが関わっているのです。

中国五大小説(中国四大奇書+1)
◆『水滸伝』
→やっていることは黒社会抗争劇だから……。百八星が集う梁山泊とは、アウトローの溜まり場ですからね。

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◆『三国志演義』
→ひゅーっ、曹操がスーパーヴィラン、ヒャッハー!

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◆『西遊記』
→儒教の「怪力乱神を語らず」(真人間はオカルトホラーにハマるのはやめたまえ)を、正面切って無視。

◆『金瓶梅』
→中国文学史上、燦然と輝くポルノ。ありとあらゆるバラエティに富むエロスが出てくるわけですが、ここであの真理を思い出してみましょう。
「新しい時代には新しいセックス!」

『金瓶梅』は中国一の奇書?400年前の『水滸伝』エロパロが今なお人気♪

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◆『紅楼夢』
→中国文学史上、燦然と輝く美少女萌え小説です。
ただの趣味ではなく、
「中国では伝統的に年齢が上、かつ男性を尊ぶ。だが、この世界では年齢が下、かつ女性こそが至高なのだ!」
という、価値観の逆転に挑んでいるのです。そういう挑戦的な作品だということは、重要です。美少女萌えは正義です。

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現代だって、魯迅と並ぶ国民的作家は、武侠小説の巨匠・金庸です。

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中国の歴史とは、真面目に儒教的な道徳を守りたい人々だけが、築いていたわけではありません。

ドロップアウトした人たちも、それぞれ元気よく生きて、いろいろなことを考えていました。
その結果、こういうエンタメが生まれてくるわけです。

こういう奇書は、
「おもしろいけど、教育上、健康上(※ハッスルして体調不良になる)、風紀上(※ハッスルして暴力行為等に及ぶ)よろしくありませんから、ほどほどに……」
と禁止されるほど。それほど中毒性が高かったのです。

今だって、中国で知らない人がいない、国民的作家とされる故・金庸氏も、武侠作家であるわけでして。

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そんなエンタメにおいて、曹操は長いことスーパーヴィランの王者でした。
中国統一を果たした皇帝にはなれませんでしたが、フィクションにおける悪役部門では紛れもなく永世皇帝でしょう。

先の周瑜の記事では、『三国志演義』系のフィクションでの彼の像は、無視していいと言い切りました。
造形が雑なかませ犬で、見るべきところをあまり感じないから。
呉はそういう傾向があります。

では曹操は?
どの曹操も、みんなちがってみんないいと思います。

『三国志演義』は、羅貫中がかなり考えてキャラクターを造形しており、魅力はあるものです。
周瑜はじめ呉の人物とは違って、曹操の場合は正史においてもどうしようもない悪行の数々、しょうもないミスを連発しています。自業自得ですので、そこを弁護する気は全く湧いてきません。

誇張はあるにせよ、その根本的な理由は理解できます。
コテコテした悪意あるセリフも、曹操ならば言っていてもおかしくなさそうな、本質を突いているものがある。羅貫中はじめ、文人が頑張った結果です。

それに、古今東西を問わず、曹操のような極端なところがあり、ともかくスケールがでかくて、かつ世界の根底を変えたがるキャラクターというのは、ヴィラン向きです。

『X-MEN』のマグニートーとか。『ジョジョの奇妙な冒険』のDIO様はじめとするラスボスとか。

「素晴らしいこの俺が世界を支配してこそ、素晴らしい世の中になるのだッ!」
と主張する系ですね。そこに不満は一切ありません。

曹操本人も、建安15年(210年)にこう回想しています。

「俺が王になったことに文句があるのか? 俺がいなければ、もっと自称皇帝だの王だの、うじゃうじゃしていたと思うがな」

本人にとっても、スーパーヴィラン扱いは予想範囲内です。
そんなスーパーヴィランとなった曹操ですが、嫌われるだけではなく、どの時代にもごく少数のちょっと変わった人がこう言っている形跡もあるのです。

「曹操って、そこまで悪い奴かなぁ?」
「大きな声では言えないけど、個人的にはいいと思うよ……」
「俺こそが現代の曹操だーっ!」

曹操を再評価するという意見もありますが、実は定期的にそうなされてはいるのです。

「墓の発掘で、曹操再評価の流れが!」
という論調もありますが、定期的な話ではありますね。

現在も、ドラマ、映画、ゲーム、漫画、人形劇……ありとあらゆるメディアに曹操は出てきています。
これはアジア、ひいては世界的にもそうなのです。

日本の場合、曹操が主役の漫画『蒼天航路』が転換点とされがちではあります。
そう単純な話でもありません。

正史ベースの陳舜臣氏『秘本三国志』は、この際ちょっと横に置きまして。作品としては大傑作ですとも。

日本ならではの現象として『三国志演義』と吉川英治版『三国志』の混同が起こりがち。
横山光輝版も、人形劇も、『三国志演義』ではなく吉川版のバイアスが入っていることは、ご留意ください。

吉川英治氏は、諸葛亮と曹操の二人をメインに据えておりますので、この作品の流れをくむ曹操は十分カッコいいのです。悪いと言えば、そうなのですが。

フィクションにおける曹操は、どの立場に依ろうがどれも面白い。
とはいえ、一番面白くてありのままの曹操は、彼自身の詩にある。是非とも読んでみてください。

 

曹操って結局、何でしょうか?

『三国志』の時点で陳寿が、
【超世の傑】(時代を超えた傑物)
と言い切っているからには、それで決着がついているとはいえます。

ただ、陳寿はオブラートに慎重に包みつつも、曹操の行動を褒めるだけではなくて、困惑し批判していると感じられます。
語彙の選び方や記述に、そんな仕掛けを仕込んでいるのです。

他の人物の伝まで読むと、敵対者だけではなく臣下であっても、曹操に困っている様子も伺えます。
人間ってそういうものではありますが、振り幅が大きい。

注をつけた裴松之は、包み隠さずけなしておりますし。
正史の時点で、褒められてばかりでもないと。

曹操をプラス評価するか、マイナス評価するのか?
どちらでもできますし、できないとも言える。

【超世の傑】にせよ。
【治世の能臣、乱世の姦賊】にせよ。
振り幅があまりに大きくて、本人ですら理解できていない。
飴と鞭を使い分けていたとか、英雄だから全てをコントロールしていたとか。そういう見方もありますが、それはどうにもしっくり来ません。

彼自身、自分自身を理解できていなかったのでは?

規格外であるがゆえに、図抜けて素晴らしくもあり、残酷でもあった。
歴史を引っ掻き回し、ろくでもない思想を中国史に植えつけていった。

曹操の前の歴史と、その後の歴史は違う。
そういう規格外の人であったことは、伝わってきます。

ですから、私は曹操がすごかったと言うつもりも、ろくでもなかったと言うつもりも、一切ありません。

規格外の人物――。

それでいいと思うのです。
彼の最大の味方は彼自身であり、彼の名前もキャラクターも、現在でも残されているのですから。

曹操は、ついにはことわざにまでなっています。

【曹操の話をすると、曹操がやって来る(说曹操,曹操就到=噂をすれば影)】

死んでから何年経っているんだよ……まだ来るのかよ!
そう突っ込まざるを得ませんが、定着したのだから、これはもう仕方ない。

これもある意味、真実かもしれません。
曹操のことを考えるたびに、あなたの近くに曹操のかけらが飛んできてしまう。
曹操の肉体は朽ち果てていますが、彼が誇りにしていて他とは違う、頭の中身はまだ生きているのではないでしょうか。

ここで、王敦がシャウトしていた『歩出夏門行』を読んでみましょう。

神亀雖寿 神亀は寿(いのちなが)しといえども(神亀は寿命は長いというが
猶有竟時 なお終る時あり(死ぬときは死ぬ
騰蛇乗霧 騰蛇は霧に乗ずるも(龍は霧に乗って空を飛ぶっていうけど
終為土灰 終には土灰となる(死ねばただの土と灰だ
老驥伏櫪 老驥は櫃に伏すも(歳をとった馬は厩で寝たきりでも
志有千里 志 千里にあり(気持ちは千里を駆け巡っている
烈士暮年 烈士暮年(やる気がある奴ってのは歳をとっても
壮心不已 壮心已まず(元気な心が終わらないんだぞ!
盈縮之期 盈縮の期(寿命というのはだな
不但在天 独り天のみに在らず(天命=運命だけにあるもんじゃない
養怡之福 養怡(い)の福(健康管理っていう手段があるわけで
可得永年 以て年を永くす(そこさえ気がつけば長くもなり得る
幸甚至哉 幸甚の至り哉(そこに気づいた俺ってラッキーだよな
歌以詠志 歌を以て志を詠ぜむ(テンションあがったので歌って志を詠んでみた!

健康管理で寿命が延びるって、健康診断後の指導ですか……というツッコミはやめてあげてください。
当時としては、画期的なことなのです。いい目の付け所ですよ!

寿命は運命じゃない、人間の心がけ次第というわけですから。

この詩を詠んでいると、曹操の言うことがわかってきませんか?
肉体が滅びようが、衰えようが、精神だけは元気ハツラツ、そのへんにある。千里にある、世界中を飛び回っている。

曹操は、自分の肉体が土と灰になって、頭蓋骨が踏んづけられようが展示されようが「あっそう」で終わりそうではあります。
そんなことは、どうでもいいんだ。

だって、彼の精神は、今も千里を飛び回っているから。

橋玄が認めた知能が、頭の中身が、いろいろな形でそこにあるから。
彼にとって、こんなに楽しいことってあるのでしょうか?
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