三国志その他

極寒の三国志 あまりの寒さに曹操が詠んだ詩が凍えるほどに面白い

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寒さに強い人馬一体、それが北の雄

何進は宦官によって殺され、そのあと本当の悪夢が、董卓によって到来します。

袁紹や曹操は「反董卓連合」を結成するものの、惨敗を喫しました。徐栄と戦った曹操は乗っていた馬まで倒れる中、傷を負って脱出するほど苦戦するのでした。

「黄巾の乱」でそれなりに活躍した武将たちが、董卓はじめ北の雄にまったく歯が立たない、地獄としか言いようのない事態です。彼らは武力行使ではなく、内部分裂を狙い、倒すしかありませんでした。

このあと董卓は、呂布の手にかかりはてます。フィクションでは貂蟬を投入する羽目になるほどのあっけない最期です。

董卓がなぜそんなにあっさり倒されたのか?

そこも気になるところですが、考えてみればそういう展開でもなければどうしようもないほど、彼らは滅法強かったのでした。

董卓が倒れた後も、北の雄たちは天下を揺るがし続けます。

劉備に馳せ参じた、人馬一体の「錦馬超」。

呂布の配下から曹操のもとに転じ、電光石火の急襲で呉を震撼させる。「遼来遼来」の張遼。

「白馬義従」を従えた公孫瓚。

そして『三国志』最強の武勇を誇る、呂布。

彼らがどうしてそこまで強かったのか?

フィクションの影響もあり、どうしても個人的武勇を想像してしまいますが、それだけではありません。

第一に、その機動力があげられます。寒冷化した大地になじみ、駆け抜ける騎兵を率いた北の雄は、まさしく時代の申し子でした。

もちろん、彼らに欠点がないわけでもありません。

後漢の流儀や人脈を形成した、名士やブレーンの取り込みができない。結果、前述の英雄たちも呂布や公孫瓚のように破滅を迎えてしまった者もいるのです。

 

曹操、気候に苦労する

北の雄・董卓に歯が立たなかった群雄も、策を練り対抗してゆきます。

袁紹は物量と攻城兵器を用い、公孫瓚を撃破。

曹操は、策を練り呂布を撃破。曹操は歴戦の中で、騎馬戦術を身につけ、かつ応用していたのです。

その成果が、馬超との対決でも発揮されています。

袁紹と曹操の両雄は【官渡の戦い】で激突し、曹操が勝利をおさめます。

この「官渡の戦い」のあと、曹操は袁家の残党征伐の際、凍結した黄河を割って進軍する羽目になっています。

建安9年(204年)、船で進もうとして、凍っているからまず割らねばならない。なかなか揉めており、厳しい事態であったと伝わってきます。

あまりにつらかったのか。

逃走を試みたある作業員が曹操の前に引き出されてくると、こう言いました。

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