絵・小久ヒロ

『出師表』こそ孔明の罠だ!現代人の心をも動かす名文には何が書かれている?

三国志』で人気上位の人物といえば?

時代や国による違いもあり、歴史の影響もあります。

ただ、確実にランク上位に入る人物も何人かいて、その一人が諸葛亮ですね。

たとえ『三国志』に興味がなくとも、字の“孔明”はなんとなく聞いたことがおありでしょう。

最近は、タイムスリップをして現代で活躍する漫画もあるほどですが、

一体なぜ諸葛亮はそれほどまで人気を得ているのか?

実は日本では、明治以降人気が急上昇した以下の記事にて書かせていただきました。

「待てあわてるな」日本人は天才軍師・諸葛亮をどんな目で見てきた?

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フィクションでは話が盛られすぎて、結果、被害を被ってしまう他の人物が多数いることもまた特徴です。

三国志フィクション作品による「諸葛亮 被害者の会」一番の被害者は誰?

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要するにフィクションで誇張された――と言いたくなりますが、実はそれだけでもありません。

諸葛亮と曹操には、大きな特徴があります。

文才です。

例えば関羽や張飛は、正史を読むとそこまで記述がなくて、ちょっとガッカリしたりするものです。どういう人なのか?ということすらわかりにくい。

一方、諸葛亮と曹操は違います。

彼らが自分で考え、きっちりと残した文章があるがゆえに、どういう人柄か見えてくるのです。

そんな文筆家・諸葛亮としの名文といえば、やはり『出師表(すいしのひょう)』です。

「これを読んで泣かない人はいるか!」

「これぞまさしく忠義!」

そう熱く語られてきた格調高い名文であり、内容も感動的で、書道の題材としても人気があります。

まさしく諸葛亮を知るための格好のテキストであり、中国史に残る名文とされてきました。

◆楷書前後出師表巻(かいしょぜんごすいしひょうかん)東京国立博物館蔵、祝允明筆(→link

※英語版もあります

 

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出師表

建興5年(227年)、諸葛亮が劉禅に対して、出陣前に提出したものです。

以下に私なりの意訳を掲載させていただきましたが、あくまでわかりやすさを優先したものであり、ご興味を持たれた方は各自読み下して翻訳に挑んでいただければと思います。

三国のうちでも、最も資源に乏しく、苦境に立たされている蜀。

どうすれば敵である魏に勝てるのか?

そう悩み苦しみつつも、漢の再興こそが主である劉備の遺志であると思いつめた諸葛亮。

「三顧の礼」から半生を振り返り、危機感と悲愴感を劉禅に伝える――そこに込められた思いが、今でも人を動かす。

読む者を感動させてきた名文が、そこにはあります。

 

出師表 書き下し文

臣亮言す。先帝業を創(はじ)めて未だ半ばならずして、中道に崩殂(そうそ)したまえり。今、天下三分し、益州罷弊(ひへい)せり。此れ誠に危急存亡の秋(とき)なり。然れども待衛の臣、内に懈(おこた)らず、忠志の士、身を外に忘るるは、蓋(けだ)し先帝の殊偶(しゅぐう)を追いて、之(これ)を陛下に報ぜんと欲すればなり。

誠に宜(よろ)しく聖聴を開張し、以て先帝の遺徳を光(かがやか)し、志士の気を恢弘(かいこう)すべし。

宜しく妄(みだ)りに自ら菲薄(ひはく)し、喩(たと)えを引き義を失いて、以て忠諫(ちゅうかん)の路(みち)を塞ぐべからざるなり。

宮中府中倶(とも)に一体たり。蔵否(ぞうひ)を陟罰(ちょくばつ)するに、宜しく異同あるべからず。若し姦を作(な)し科(とが)を犯し、及び忠善を為す者有らば、宜しく有司に付して其の刑賞を論じ、以て陛下平明の理を昭(あき)らかにすべし。宜しく偏私して、内外をして法を異に使(せし)むべからざるなり。

待中、待郎の郭攸之(かくゆうし)、費褘(ひい)、董允(とういん)等は、此(これ)皆良実にして志慮忠純なり。是を以て先帝簡抜(かんばつ)して以て陛下に遺せり。愚以為(おも)えらく、宮中の事は、事大小と無く、悉(ことごと)く以て之に咨(はか)り、然る後に施行せば、必ず能く闕漏(けつろう)を婢補(ひほ)し、広益する所有らん。

将軍の向寵(こうちょう)は、性行(せいこう)淑均(しゅくきん)にして、軍事に暁暢(ぎょうちょう)せり。昔日に試用せられ、先帝之を称して能と曰いたまえり。是を以て衆議、寵を挙げて以て督と為せり。愚以為(おも)えらく、営中の事は、事大小と無く、悉(ことごと)く以て之に咨(はか)らば、必ず能く行陣をして和睦し、優劣所を得しめん。

賢臣に親しみ小人を遠ざくるは、此れ先漢の興隆(こうりゅう)せし所以(ゆえん)なり。小人に親しみ賢臣を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽(けいたい)せし所以(ゆえん)なり。先帝在りし時、毎に臣と此の事を論じ、未だ嘗(かつ)て桓・霊に嘆息痛恨せずんばあらざるなり。待中、尚書、長史、参軍は、此れ悉(ことごと)く貞亮にして、節に死するの臣なり。願わくは陛下之に親しみ之を信ぜば、則ち漢室の隆(さか)んならんこと、日を計りて待つ可きなり。

臣は本(もと)布衣(ふい)、躬(みずか)ら南陽に耕す。苟(いやし)くも性命を乱世に全うし、聞達(ぶんたつ)を諸侯に求めず。先帝、臣の卑鄙(ひひ)なるを以てせず、猥(みだ)りに自ら枉屈(おうくつ)し、三たび臣を草蘆(そうろ)の中に顧(かえり)み、臣に諮(はか)るに、当世の事を以てしたまえり。是(これ)に由(より)て感激し、遂に先帝に許すに駆馳(くち)を以てせり。後に傾覆(けいふく)に値(あ)い、任を敗軍の際に受け、命を危難の間に奉ずるに、爾来(じらい)二十有一年なり。先帝は臣が謹慎なるを知る。故に崩ずるに臨(のぞ)み、臣に寄するに大事を以てしたまえり。

命を受けて以来、夙夜(しゅくや)憂嘆(ゆうたん)し、付託の效あらずして、以て先帝の明を傷つけんことを恐る。故に五月濾(ろ)を渡り、深く不毛に入れり。今、南方已(すで)に定まり、兵甲已(すで)に足る。当(まさ)に三軍を奨率(しょうそつ)し、北のかた中原を定むべし。庶(こいねが)わくは駑鈍(どどん)を竭(つ)くし、姦凶(かんきょう)を譲除(じょじょ)し、以て漢室を興復して、旧都へ還(かえ)さん。此れ臣の先帝に報いて、陛下に忠なる所以の職分なり。

損益を斟酌(しんしゃく)し、進んで忠言を尽くすに至っては、則(すなわ)ち攸之(ゆうし)、褘(い)、允(いん)の任なり。願わくは陛下、臣に託するに討賊興復の功を以てせよ。功あらずんば、則ち臣の罪を治(ち)して、以て先帝の霊に告げよ。若し徳を興すの言無くんば、則ち攸之、褘、允等の慢(おこた)りを責めて、以て其の咎(とが)を彰(あきら)かにせよ。陛下も亦(また)宜(よろ)しく自ら謀りて、以て善道を諮諏し、雅言を察納(さつのう)して、深く先帝の遺詔を追うべし。臣、恩を受け感激に勝(た)えず、今、遠くを離るるに当たり、表に臨みて涕零(ていれい)し、言う所を知らず。

 

出師表 意訳

先帝(劉備)は、創業をして志半ばにしてお隠れになりました。

今、天下は三分しています。私たちの益州が、一番苦しい状態にあります。

もう、これ以上の予断はできない。危急存亡のときという状態です。

それでも、我々家臣たちはあきらめません!

仕事に励み、戦場では忠義のために命も惜しまぬ勇士が任務を果たしております。それはやはり、先帝への恩顧あればこそなのです。

だからこそ、陛下にきっちりとこの臣下の言葉が届くことを祈っております。私も真剣に訴えますので、どうかお聞きいただければと思います。ご自身を過小評価なされないでください。言い逃れをして、諫言を避けぬよう、お願いする次第です。

宮廷にいる帝とその近臣と、丞相周辺に意見の相違があってはいけません。

給与や待遇、罰則規定において善を賞し悪を罰することにおいては、(宮廷と丞相府とで)差があってはならないのです。

もし犯罪行為、違法行為をする者、忠誠心を発揮する優秀で善良な者には、役人に命じて、罰則なり恩賞を決めて、私たちこそしっかりした公平正明な政治をしていると、天下に向けて示しましょう。

待中、待郎の郭攸之(かくゆうし)、費褘(ひい)、董允(とういん)等は、どなたも誠実で、考えることも正いものです。だからこそ、先帝が選んで陛下に残したのです。宮中の事は、そのスケールや重要性に関わらず、どんなことでもこの人たちに相談した上で実行すれば、間違えてしまうこともなく、ちゃんと成功するはずです。

将軍の向寵(こうちょう)は、人当たりが良く誠実で、しかも軍事的な才能に溢れています。かつて先帝が採用された際には、「彼は有能だ」と認めていたのです。だからこそ推挙され、近衛軍長官としてつとめあげております。軍事についてか彼にご相談のうえで、実行に移しましょう。そうすれば全軍チームワークを発揮し、目標を達成することができるでしょう。

賢臣を優遇し、しょうもない者はを遠ざけたこと。これが前漢が成功した原因です。

これとは逆に、しょうもない者をえこひいきして、まともな家臣の言うことを聞かなかった結果が、後漢の没落です。

そもそも私は一介の平民でした。

南陽で自分が食べていけるだけ農作業をする。どうせ乱世だし、無事に生きてゆければよい。そう投げ出しながら諦めて生きる存在であったわけです。

なまじに諸侯に仕官して名を挙げるよりも、自分なりの生き方を模索する方がよいと思っていました。

そういうただ生きているだけの私の元へ、先帝(劉備)はわざわざ訪れて来ました。あんなに立派な方なのに、粗末な私の家まで三度も訪れ、今後の取るべき道について意見を求めてきたのです。

もう感動しかありません……。

だから、私は、この先帝について身を捧げると決めて、何がなんでも働いて尽くすと決めたのです。そのあと当陽で曹操に敗れてしまい、敗走する途中で、命令を受けて呉まで使者として参りました。思えばあれからもう、二十一年も経つのですね。

先帝は、私が謙虚であることをご存じであったのか、最期にこの国を託してくれました。

その遺命を受けてから、あとはもう、朝から晩までこの国のことを考えて、一日として心休まる時はありません。

引き受けたことに応じられなければ、先帝の立派な志まで傷つけてしまう。そのことが怖いのです。

だからこそ、五月には瀘水(ろすい)を超えて、南の地まで遠征し、反乱を抑えたのです。

今、南方は従い、兵も武器も十分に準備できております。今こそ我らの軍により、この老体に気力を満たし、北の中原まで平定しなければなりません!

漢の王室を復再興し、洛陽を奪還せねばなりません!

これぞ先帝の志であり、陛下への忠誠心のあかしなのです。

損益を考えて、誤りのない助言をする者は、郭攸之(かくゆうし)、費褘(ひい)、董允(とういん)です。

ですから、この私には魏を討つべく、お命じいただければと思います。もしそれが叶わない時は、この罪を問い、先帝にご報告なさってください。

もし助言が得られなければ、郭攸之(かくゆうし)、費褘(ひい)、董允(とういん)の怠慢を責め、その罪を明らかにしてください。

陛下はわからない点があれば、臣下にお尋ねください。正しい意見は取り入れ、先帝の御遺志を実現すべく、努力してゆきましょう!

私にはあつい恩義があります、この感激が絶えることはありません。

今、遠征するにあたり、この文を書いているだけで涙があふれ、もう、これ以上何も申し上げることはございません。

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