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週刊武春 伊達家

伊達政宗の側近・片倉小十郎が敵に寝返りを薦める書状発見!

更新日:

 

伊達政宗の育て役で、政宗政権の「外務大臣」兼「陸軍長官」だった片倉小十郎景綱(1557~1615年)の書状が宮城県大崎市の旧家にあることが判明しました。地元紙の河北新報が報じています(リンク)。

全文が直筆かどうかは不明ですが、ただの書状ではありません。
なんせ、政宗が会津を征服した一大決戦、摺上原(すりあげはら)合戦において敵の重臣に帰順するよう求める「戦国らしい」内容に、ネットでは「読みたい!」「達筆すぎて読めない!」と興奮のるつぼです。

小十郎は、初代と二代がいまして、仙台市博物館に飾られている小十郎のよろいなど、「小十郎」のものの多くは2代目のものです。
初代のほうの書状は10通に満たないそうで、今回寄贈を受けた市博物館も持っていませんでした。

以下、一部報道を引用します。

書状はことし1月、仙台藩の事跡に詳しい東海林恒英・元仙台市博物館長らが鑑定し、署名から景綱のものと判明した。日付は「六月九日」とあり、政宗が猪苗代湖北岸で会津の芦名氏を破った摺上原合戦=1589(天正17)年旧暦6月5日=の4日後に書かれたことを示している。
宛先は、芦名氏の居城黒川城(会津若松市)の西にある柳津(福島県柳津町)を守っていた、平田惣右衛門という芦名家の重臣。冒頭の文は次のように書かれている。

たけつやないつへうち入られ候間、御ふみそれかしみ申候てこゝもとへははしりめくり御はんあひとゝのへこし申候。
たけつ(打月斎)という伊達家の家臣に攻め込まれたことを訴える平田の手紙を景綱が読み、平田の生命財産を保証する政宗の御はん=安堵状=を急いで用意したことを伝える内容だ。(引用おわり)

河北新報の取材に、菅野正道市史編さん室長は「文面はいかにも急いで書いたという感じで、右筆が書く文章と比べ、内容が整理されていない印象だ。景綱直筆の可能性がある」と答えています。(ちなみに河北新報では名前を正直としていますが正道さんですね。記者も興奮のあまり間違えちゃったのでしょうか)

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ここからツイッターでの反響を掲載します。

 





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