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東日本大震災時の震度分布図/気象庁HPより引用

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週刊武春 災害・事故

日本が想像以上の地震大国でマジ怖い M6.1以上の地震歴史まとめ

更新日:

 

日本は地震大国です。
『んなこたぁ、わかっとるわい』
と、思われるかもしれませんが、では具体的にM6.1以上の大地震が、有史以来、どんな頻度で起きてきたか、ご存知でしょうか?
もちろん私も知りませんでした。
なので、今回、ちょいと調べてみたら、(((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブルガタガタブルブルの結果となりましたので、地震の記録マトメを時代別にご報告したいと思います。

 

初めての地震は『日本書紀』に記されていた 

日本で最初の地震が記録されたのは『日本書紀』であります。
今回参考にさせていただいた『理科年表』(国立天文台編)では、その地震を「416年」としておりますが、実はこの時代の記述は大変曖昧で、どのような規模でどんな被害だったのかという内容を含めて、真実のところは不明です。
ただ、わざわざ書かれるということは、それなりに大きな揺れだったのでしょう。

では、M6.1以上の地震は有史以来、何回起きていたかご想像つきますか?
答えは303回です。

つまり、最初の地震から数えて5年に1度は大地震に襲われている計算になりますが、これはあくまで最小数。戦国時代以前は、記録に残されなかった地震が相当あったと思われ、もし正確に観測できていたらヘタすりゃ数倍の1000回を超えちゃうかもしれません。

なお、理科年表には気象庁などの情報をもとに、M6.0以上の主な地震が掲載されておりますが、当記事ではあえてM6.1以上を拾っていきたいと思います。
というのも古い時代のマグニチュードは推測の部分が大きいからです。ゆえにM6.0と診断されたものについては、ギリギリで中規模地震と判断しました。
前置きが長くなって申し訳ありません。そんなわけで本編へ行きましょう。

 

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第一章 古墳・飛鳥・奈良・平安(416-1191年)

聖徳太子が中央集権体制をすすめ、聖武天皇が鎮護国家のための大仏を作り、藤原氏が月も欠けることがないと調子こいて武士に主役を奪われることになったこの時代には何回の地震が起きたのか。まずは数字のマトメから見て行きましょう。

下記の通り、M6.1以上の地震は28回です。
記録をすべて計上すると、775年間で37回ですから、20年に一度って感じでしょうか。
決して「異常に多い!」とは思わないかもしれません。

M6.1以上の地震……24回
M8.0-9.0クラスの超巨大地震……4回
M6.0(M5.0-6.0含む)の地震……3回
規模不明の大地震……7回
総数……38回(775年間)
1年あたりの地震回数……0.049回

ただ、これはあくまで『記録に残された地震のみ』ですので、現代の観測技術があれば軽く数倍になったような気すらします。というのも、この時代、特に地震が沈滞していたとかではなく、後に東日本大震災が千年に一度と呼ばれる由縁にもなった巨大地震の貞観地震が869年に三陸沖で起きているのですから。

あまり語られないのが、このときの貞観地震からわずか18年後には南海トラフ大地震が起きており、貞観地震の4年前には富士山が歴史に残る大噴火していることでしょう。
そして、先に述べておきますと、「1年あたりの地震回数」はこの後、鎌倉、室町、江戸時代・・・と進むにつれて、確実に数字が伸びていきます。年を追う毎に詳細な記録が残されていくようになるためです。

◆なお、この時代のもう少し詳しい解説はコチラの記事になります。

M7クラスの大地震は過去に何回発生したか? 日本の【地震歴史まとめ】 古墳~平安時代編

船が内陸まで運ばれた記述は、歴史書にも登場します

船が内陸まで運ばれた記述は、歴史書にも登場します/写真 live73

 

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第二章 鎌倉・室町(1192-1602年)

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源頼朝さんが征夷大将軍になったかと思ったら北条氏に実権を奪われて源氏涙目となり、足利義満が金閣寺、足利義政が銀閣寺を建ててたら戦国時代となって下克上ウハウハな時代には何回地震が起きたのでしょうか。

前項で触れましたとおり、鎌倉から室町時代に「1年あたりの地震回数」は0.081回と2倍近くに増えます。以前より記録を残しやすい環境になったせいでしょう。

M8.0-9.0の超巨大地震は減っておりますが、それでも200年に一度は発生しています。東海地震・東南海地震・南海地震の3つの地震域を持つ南海トラフが原因です。

M6.1以上の地震……18回
M8.0-9.0クラスの超巨大地震……2回
M6.0(M5.0-6.0含む)の地震……回
規模不明の大地震……10回
総数……3回(407年間)
1年あたりの地震回数……0.081回

南海トラフ地震は非常に厄介です。
東海地震・東南海地震・南海地震と3つの震源域があり、東海地震が起きてその後に南海地震が来たり、3つ同時に起きたりと、とにかく頻繁に発生しております。
地震学者たちは2040年ぐらいまでにM9.0クラスが来る可能性は非常に高いと警鐘を鳴らしているのは、過去の歴史から見ても、こうして一定に揺れているためです。
学校の歴史の授業でも、この辺はカリキュラムに入れるべきではないでしょうか?余計なお世話かもしれませんが。

◆中世についてもう少し詳しい解説はコチラ

そして鎌倉大仏も豊臣秀吉も恐怖に怯えた 【M7級地震まとめ 鎌倉~戦国時代編】

南海トラフで怖いのは津波も同様です/写真 live73

南海トラフで怖いのは津波も同様です/写真 live73

 

第三章 江戸(1603-1867年)

安定した幕藩体制により、地震の記述が急増します

家康が豊臣家を滅ぼし、徳川の封建体制で安定したこの時代はマツケンサンバが白馬に乗るなど、平和を謳歌しながら、最後は毛利と島津の怨念が復活して、頂点から引きずり降ろされてしまいました。
幕末は、井伊直弼が政権を握っていた頃、とてつもない震災が江戸と近畿を襲い……。

江戸時代になると、大地震の回数は急激に増えます。1年あたりの地震回数は0.69回と、鎌倉・室町と比べて10倍近く。おおよそ2年に一度は日本のどこかで大きな揺れを観測しました。
これは幕藩体制となり、諸藩の記録が詳細に残されたせいでもあるでしょうし、平和が続き、物資(紙や硯)の流通が安定したせいでもあるでしょう。
そしてこの時代は大きな被害の地震が頻繁に起き、富士山も大噴火をしております。

M6.1以上の地震……103回
M8.0-9.0クラスの超巨大地震……6回
M6.0(M5.0-6.0含む)の地震……40回
規模不明の大地震……38回
総数……184回(264年間)
1年あたりの地震回数……0.696回

上記をご覧いただければおわかりのとおり、江戸時代はたびたび超巨大地震に襲われました。M8.0以上の地震のみを抽出します。

◆1611年 M8.1『慶長の三陸沖地震』
東日本大震災と同じ規模と目されている。伊達藩で多数死者
◆1703年 M7.9-8.2『元禄地震』
江戸時代の関東大震災。小田原での被害が大きく津波も発生
◆1707年 M8.6『宝永地震』
日本最大級の地震の一つ。高知に巨大津波。これも南海トラフ
◆1793年 M8.2『寛政地震』
伊達藩が再び被災。宮城県沖での巨大地震。家屋損壊は1千軒以上
◆1854年 M8.4『安政東海地震』とM8.4『安政南海地震』
再び南海トラフが連続して……

まるで地震のタイミングを計ったかのようにハリスが押し寄せて、日米修好通商条約の締結へ

まるで地震のタイミングを計ったかのようにハリスが押し寄せて、日米修好通商条約の締結へ

1854年辺りは、まさに呪われた時期でした。
このM8.4の2つは南海トラフ地震ですが(1日ズレて発生。恐ろしい……)、 これに先立って7月9日にもM7.25の地震が伊賀・伊勢・大和(近畿地方)で発生。さらに翌1855年にはM7.5『江戸地震』が起きて、日本の東西で大打撃を受けるのです。

実はこの時代、安政の大獄で暴れまくった井伊直弼さんが恨みを買いまくり、桜田門外の変で殺されるという事件が発生します。現代の歴史授業で、井伊直弼さんは、どちらかというと悪者扱いです。
が、地震への対応などを見ると、むしろ有能な方だったのではないか?という疑問がふつふつと湧いてきます。なんせ、明治維新後に政権を取った人々にとって、彼は悪者でなければならない存在でしたので、そういう印象操作もあるのでは……と思ってしまうのです。蛇足でごめんなさい。

◆南海トラフ巨大地震の翌年に富士山大噴火の悪夢 【M7クラス地震歴史まとめ 江戸時代編】
では明治・大正へ!

 

第四章 明治・大正(1868-1926年)

期間は短いですが頻度は上がる明治・大正

薩長土肥が政権を握りながらも一部で内戦が起きたり、実は結構ドロドロだったところから国を立て直し、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦へと勝利を重ね、大正デモクラシーにモボ・モガというなんだか意外に自由な雰囲気のときに……。

明治・大正時代で最も衝撃的な地震は、間違いなく関東大震災でしょう。日本の首都圏を襲った直下型地震は、現在でもその危険性が指摘されており、政府や首都圏自治体はたびたび防災・減災訓練やアイデアを出しております。

1923年の関東大震災は、実際、どれぐらいの被害だったのか? 死者・行方不明者は約10万5000人、住居全壊約10万9000戸(半壊10万2000戸)、焼失約21万2000戸。熱海を襲った津波は12メートル。現代だったらどうなってしまうのでしょう。

M6.1以上の地震……43回
M8.0-9.0クラスの超巨大地震……4回
M6.0(M5.0-6.0含む)の地震……10回
規模不明の大地震……2回
総数……59回(58年間)
1年あたりの地震回数……1.017回

明治・大正期には、日本の内陸地震としては最大の『濃尾地震』が起きております。
岐阜県西部を震源としたM8.0の地震で建物の全壊が約14万戸(半壊が約8万戸)、死者が約7200人、1万箇所以上での山崩れも起きるなど、凄まじい揺れを起こしております。
このときは岐阜県を中心に北北西―南南東方向に総延長約76kmの断層が出現したとのことです。ハンパじゃない……。

◆四国で最大震度5強の『芸予地震』は江戸時代から7回目になる…【M7クラス地震歴史まとめ 明治・大正時代編】

 

第五章 昭和・平成(1926-2012年)

昭和と平成で地震をまとめるなら、当然ながらポイントは2011年3月11日の東日本大震災となるでしょう。

しかし、忘れてならないのは、1933年に起きたM8.1の『三陸沖地震』です。揺れでの被害は少なかったものの、大きな津波が太平洋岸を襲い、死者・行方不明者は3064人。綾里湾(りょうりわん・岩手県大船渡市)では約28メートルの高さに達したといいます。

同地域では、東日本大震災のときにも30メートル規模の津波がやってきたといいますから、その恐ろしさもご理解できるでしょう。
東北の三陸沖は千年に一度ではなく、江戸時代や昭和の始めにも大規模な揺れを生じていたのです。

M6.1以上の地震……91回
M8.0-9.0クラスの超巨大地震……8回
M6.0(M5.0-6.0含む)の地震……14回
規模不明の大地震……0回
総数……113回(86年間)
1年あたりの地震回数……1.313回

超巨大地震の回数の割に印象が薄いのは、北海道沖などの地震が多く、被害が少なかったためでしょう。同地域からロシアのカムチャッカ半島にかけては、現代においてもたびたび大きな地震が発生しておりますが、ときに北海道東方などに被害をもたらすため警戒されております。

【追記】 また、東日本大震災と同様、われわれ現代人が決して忘れられないのが、阪神淡路大震災でしょう。内陸の横ずれ断層型地震のため、津波ではなく揺れによる被害が大きく、建物や高速道路が倒壊した姿は今でも脳裏に焼き付いております。そのとき私は都内で徹夜アルバイトをしており、早朝、何気なくテレビを見て、本当に言葉をなくしました。2013年4月13日にも、淡路島ではM6.3の地震があったばかりです。

明治・大正時代を過ぎてから、「1年あたりの地震回数」が年1回を超えてきました。長い地球の歴史から見れば、たかだか100年ちょいの統計など意味をなさないかもしれませんが、少なくとも古代から中世、近世、近現代と増加傾向にあるのは、地震が少なかったからではなく、記録漏れという推察でほぼ間違いないでしょう。

第六章では全データを統合して総論とさせていただきたいと思います。

 

第六章 総論

それでは数字をまとめてみましょう。

M6.1以上の揺れは何度ありましたか?

古墳~平安 M6.1以上……28回
鎌倉~室町 M6.1以上……20回
江戸     M6.1以上……109回
明治~大正 M6.1以上……47回
昭和~平成 M6.1以上……99回
合計 303回(416~2012年)

本当に恐ろしいのは超巨大地震です

古墳~平安 M8.0以上……4回
鎌倉~室町 M8.0以上……2回
江戸    M8.0以上……6回
明治~大正 M8.0以上……4回
昭和~平成 M8.0以上……8回
合計 22回(416~2012年)

最後に総数を見てみましょう

古墳~平安 総数……38回(775年間で)
鎌倉~室町 総数……33回(407年間で)
江戸    総数……184回(264年間で)
明治~大正 総数……59回(58年間で)
昭和~平成 総数……113回(86年間で)
合計 427回(416~2012年)

あくまで妄想の話ですが、聞いてください。
古代や中世、近世日本には、地震の測定技術や記録がなかっただけで、本当は1500年間でM6.0以上の地震は1500回以上発生していたのではないでしょうか?

明治以降は観測技術が発達したため、年に1回以上の大地震を記録しております。
古き日本は京都があくまで記録の中心で、地方まではカバーしきれておりません。取りこぼしの方が多かった、あるいは記録そのものが消滅してしまったという可能性が非常に高いです。

幸か不幸か我々には他国には想像もできない地震への耐性があります。
今後、何が起きても対応できるように、日頃から防災・減災についての意識だけは持っておきたいと思います。

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文 五十嵐利休

 





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