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一本ずつ毛を抜く血まみれの苦行……なぜ武士はチョンマゲ・月代スタイルだったのか?

更新日:

 

幕末、日本にやってきた異国人はチョンマゲ姿の日本男児を見て、こう驚いたそうです。
「うわっ、なんだ!? あいつら頭の上にピストルを乗っけていやがるっ!」

ご丁寧に、頭頂部分だけきれいに剃った月代(さかやき)にしちゃって、その上に棒状の黒いピストルが乗っているんですから、たしかにアレは現代の私達から見ても珍妙と言わざるを得ません。
しかし、なぜあのような奇抜なヘアスタイルが誕生したのでしょう?

文久遣欧使節の一行/wikipediaより引用

 

毛が多いと不都合が起きる、最も原始的な理由

鎌倉幕府が滅び、南北朝時代を経て応仁の乱が起きた室町時代。
それまでの幕府守護体制や荘園公領制がことごとく崩壊し、日本は戦乱の世へと突入していきます。
旧勢力は没落し、新勢力が台頭する「下克上」の世で日本各地に戦国大名が現れると、武士だけでなく農民や商人などからも合戦の参加者が現れ、みんなが刀を持ち鎧兜を揃えるようになります。

那須与一/wikipediaより引用

当たり前ですが、合戦では兜をかぶって戦います。
平清盛や源頼朝、足利尊氏の時代も当然そうでした。

しかし、戦国時代になると新兵器・鉄砲が出現したため、その攻撃から身を守るためには兜の形が頭全体をすっぽりと包まなければならず、長い髪を束ねて兜をかぶると、ある問題が生じたのです。
頭が痒い、痒い、痒すぎる!
ゆえに頭頂部は剃らざるを得なかった。
高校球児が坊主頭にするのと理屈は同じでしょうか。違うかな。

 

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武道の先生にも聞いてみました

この回答で十分マトを得ている気もしますが、他にも説はございます。
江戸中期の武家故実の第一人者・伊勢貞丈の説です。

「サカヤキはサカイキが訛ったもの。戦場で兜をかぶると気が逆さに上る。このイキを抜くために頭頂をハゲにしたのである」
ん?「気が逆さに上る?」とは……?

武道の先生に聞いてみました。
当時の日本人は自然と一体になり、神仏を厚く信仰することで、今の私達が失ってしまった能力、宇宙や地球、人の体に流れる「気」を感じることができたそうです。
剣術などの武道も腕力だけで戦っていたのではなく「気」を鍛えることにより、本来持っている身体能力以上のパワーを発して戦っていたそうです。
特にイライラしたりカッカした時に頭に血がのぼってしまう状態を「気が頭に上ってしまう」と言い、この状態を「心火逆上」(しんかぎゃくじょう)と呼び、そうなってはいけないと強く戒めたそうで……。

なるほどー。確かに戦場で頭に血が上ってしまうと集団ヒステリー状態になってしまい、冷静に戦うなんて無理ですね。
頭を冷やすためにハゲにする。うむ。理に適っておりますな。

 

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一本一本抜きました それも木製の毛抜で

ところで皆さん、そんなハゲ部分の月代ですが、どうやって整えたかご想像つきます?

刀で剃った?

ブブー!

専用の剃刀があった?

ブブッ、ブブー!

答えはなんと、木製の毛抜で一本一本抜いたのです!
なんという恐ろしい所業。
これは江戸初期の風物を記した『慶長見聞集』にも、その様子が「黒血流れて物すさまじ」と記されています。昔の武士は毎日激痛に耐え、血だらけになりながら頭頂の毛を抜いていたのです…。そりゃ切腹なんて文化が生まれてくるワケですよね。

ただ、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げた頃からはカミソリで優美な形に整えられるようになり、日本男子達もやっと血だらけのゾンビ状態から解放されます。

こうした苦行が背景にあったからでしょうか。合戦を前提とした月代という髪型は、「いつでも主君のために戦える!」という意思表示でもありました。月代を剃らないということは主君をないがしろにし、自分は武士ではないと言っているようなものだったのです。

それこそが、江戸時代にも丁髷(ちょんまげ)と月代が続いた理由であります。

 

東洋の神秘・SAMURAI

江戸時代は徳川幕府により260年も平和な世が続きました。
ただ、いくら平和だったとはいえ、社会の根本システムは武力による封建体制。侍は弱体化したとの声に抗うように、彼らは常に帯刀し、日々文武両道に励んで月代を剃り、武士道精神を重んじていたのです。

いつでも戦うぞ!

そんな心構えが残っていたためでしょうか。幕末に異国が次々と来航した時も国を守ることができたのかもしれません。
腰には刀を差し、頭のテッペンには鉄砲を載せている日本男児。
ペリーをはじめ、日本に来航した欧米列強の面々にとって、そんな武士の姿は、さぞかし威圧的な姿だったでしょう。

彼らの目には、まさに「気が満ちた」東洋の神秘に映ったかもしれません。

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