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週刊武春

「007」ジェームズ・ボンドの作者のほろ苦い秘話を追う

更新日:

 

南如水です。今回は、あの「007」の作者にまつわる秘密エピソードです。

そう、有名なイアン・フレミングですね。

イアン・フレミング/wikipediaより引用

ロイター通信という、今なお世界を代表する通信社で働かれた後、第二次大戦中はBSCという英国の諜報機関で働き、戦争終結後にそれまでの経験を生かして、かの007シリーズを書き始めました。

…と書くと、映画に出てくるようなアクションだの破壊工作だのも、そうした実体験に基づくのかと言えば、どうやらそうでも無さそう。と言うのも、今年3月になって、イギリスのBBC放送で当時の部下のお孫さんが証言をなさっているからです。しかも、このお孫さん(ラスティン・ローラット氏)はBBCの記者。奇妙な縁と言えましょうか。

しかも、明かされた新事実は、映画や小説とは違う、ある種のほろ苦さを秘めていたのでした。

患者が発した謎めいた問い「あなたのおじいさんは…」

きっかけは、ひょんな事からでした。ローラット氏の従兄弟に当たる、アレクサンダー・イオニデス氏が、ロンドンの病院で眼科医として勤務していた時の事。ある日、患者の1人が奇妙な問いかけをします。

「変わったお名前ですが、ひょっとしてお爺様の名前はセオでは?」。

「そうですけど」と答えたアレキサンダー氏に、趣味が歴史研究だと言う、その患者さんは、更にこう畳みかけました。
「第二次世界大戦に出征なさっていませんでしたか?」
これにも「そうですけど」と答えると、驚くべき事を打ち明けました。
「御存知かどうか、あなたのお爺さんはね、あのイアン・フレミングが編成した秘密部隊の一員として抜擢されていたんですよ」。

アレキサンダー氏にも、伝え聞いたローラット氏にも初耳でした。以後、ジャーナリストとしての血が騒いだローラット氏の追跡が始まります。

セオ・イオニデス氏は1900年生まれ。患者さんが訝しがるように、英国風の名前ではありませんが、これは先祖がギリシャから移民してきた事に由来します。

第一次世界大戦が始まると、若きセオ氏は海軍に志願。しかし、実戦に参加できぬまま終戦となり、戦後はオックスフォード大に進みます。そこでエンジニアリングを専攻したものの、結局は中退。1920年代に入ると、今度はギリシャ系の商船会社に入社し、インドで勤務し始めます。

ところが、折悪しくも世界大恐慌時代となり、インドでの業務も左前となり、閉鎖となります。ロンドンに戻って来たセオ氏は、当時最先端のテクノロジーだったドライ・クリーニングをマスターし、店を経営し始めます。

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007作家の部下となる

そうこうする内に、第二次世界大戦が1939年9月に勃発。
「今度こそ」と思ったのでしょう。英国海軍予備員(Royal Navy Volunteer Reserve)の中尉として任官。もう39歳でしたので、当時としては若くもない年齢でした。
ついた綽名もラスティー(Rusty)。「錆び付いた」とか「なまくらになった」とか言う意味がありますが、一方で「赤茶けた」てな意味合いもあります。恐らく、こちらの意味だったかと思われます。
というのも、非常に危険な任務に就いていたからです。何しろ各種の欺瞞戦を行う訓練を施され、実際に派兵されたりもしたと言うのですから「なまくら」なら務まらなかったでしょう。

配属された部署は第30突撃部隊。今で言う特殊部隊でして、俗に30AUと呼ばれていたそうです。大胆かつ勇敢で殊勲も多く立てましたが、そして、この部隊創設を進言したのが、あの007の作者のフレミングだったのです。 

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発想はシンプルに ドイツから「盗もう!」

さて、イオニデス氏が配属された当初の30AUはと言うと、英国の弱点の洗い出しに追い回される日々でした。実際、開戦当初はドイツ軍が優勢で、そのテクノロジーも色んな点で上回っていたからです。

そうした中で、フレミングは、極めてシンプルな着想をします。

「盗もう!」

しかもプラン自体が1ページに収まるという行数だったそうです。

当時のドイツの諜報活動の最も傑出したイノベーションは、ドイツ海軍諜報部によるものだったそうで、まずはそこから文書や暗号 文その他を相手が処分とかする前に入手しろと言うのがフレミングの基本プラン。ちなみに、署名はFだったそうです。「このような良く組織化された『特殊部隊』な ら上手くやると信じている」とは書いてあったそうですが…。

で、これをお目付役のジョン・ゴッドフリー提督に見せた所、「了解」とのゴーサイン。以降、30AUの長い長い冒険譚が始まります。

要は、自軍の主力部隊が前進する前に敵陣に忍び込んでは諜報機関の文書や設備、場合によっては人も拉致して来いという事なのですが、言うは易し、行うは何とやら。

訓練も、パラシュートの使い方や小さなボートの扱い方、ブービー・トラップの仕掛け方などに変わっていきます(この辺、今のアメリカのネイビー・シールズと同じですなぁ)。

運命のノルマンディー上陸作戦が迫ってきた

ところが、初陣のディエップの戦い(1940年8月)では、ドイツ側に察知されて大敗(なお、この戦いにのみ、フレミングは参加しています)。そのショックも覚めやらぬまま、今度は北アフリカの「トーチ作戦」に参加以後、シシリー島上陸作戦やイタリア本土上陸作戦にも参加していきます。

最初こそコケたものの、以後は立ち直り、各種の暗号書や秘密文書、更にはイタリア海軍の提督の身柄まで掠っています。

なお、セオ氏はシシリー島で新型魚雷の内部装置を入手し、ロンドンの海軍省に持ち帰ります。エンジニアリングの腕を買われ、訓練の末、器用に敵の兵器を分解して無力化出来るようになっていたセオ氏にとっては、中年のハンディを克服しての大殊勲。「恐らくこの時、祖父の手柄をフレミングが見ていた可能性がある」とローラット氏は推測しています。

やがて、セオ氏を含む部隊員は、運命の時を迎えます。そう、あのノルマンディー上陸作戦が間近に迫っていたのです。

オーバーロード作戦とのコードネームを付けられた上陸作戦を行うに当たり、地中海方面で活動中だった部隊を西サセックス州のリトルハンプトンに配属。ここで兵員を追加補充し、特殊訓練に当たらせました。

何しろ、今回の作戦は秘中の秘となりますから、部隊員全員が国家秘密法(Official Secrets Act)に署名させられます。当然、家族にも秘密でした。奥様には、本省に勤務していて、実に退屈だと答え、煙に巻いていたほどでした。

そんな訳で、家族に会うのにも欺瞞工作を施した模様。ロンドン南西部にあるハンプトン・コート公園で陽光まぶしき中を、奥様と2人の娘さんと共に過ごします。娘さんのペネロープさんが、ローラット氏のお母さんに、もう1人のアテナさんがアレキサンダー氏のお母さんになりますが、そうした未来をセオ氏が知る事は遂にありませんでした。

 

「爆弾の破片だと思う。即死状態だったんではないかな」

30AUの部隊は、Dディの4日後にユタ・ビーチに降り立ちます。それ自体は順調だったのですが、その夜、奥に進んだ部隊を悲劇が襲います。

ドイツ空軍が攻撃を仕掛けたのです。しかも、新型の対人爆弾で。

生存者の聞き取り調査で判明した所によると、ハミングするような音と共に、大きな鎌のようなものが回転しながら落ちて来たのだそうです。

21人が、この爆撃で負傷しました。そして、3人が亡くなりました。1人が、イオニデス氏でした。

生き残ったアレン・ロイル氏は、当時を次のように思い出しています。仲間が何とかイオニデス氏を助けようと、シャツを脱がせたところ、動脈から血が噴き出していたそうです。

「イオニデスさんの肺などが傷ついているのが分かった。爆弾の破片だと思う。即死状態だったんではないかな」

この新事実が明らかにした後、ロイル氏はユタ・ビーチに再び足を運びます。そこで息子のニック氏ともども部隊の行軍跡を辿ってくれたそうです。地図に書き記してくれた情報を基に、今度はローラット氏が現場に向かうと、祖父が最期を遂げた場所に農夫が佇んでいました。英国の特殊部隊の兵士が、そのような最期を遂げていた事を全く知らなかったそうです。

ローラット氏は、祖父を誇りに思っています。セオ氏と、その仲間がここで戦死した事も高貴だと信じているそうですが、一方で残された祖母の戦後の苦労を思うと、複雑な思いになったのだとか(そりゃそうでしょうね)。

なお、30AUは痛手を受けたものの、任務は続行。ドイツ海軍の文書を入手し、それが後のニュールンベルグ裁判で証拠として提出されたとの事ですから、ここでも大手柄だったのですね。この他にも、ドイツの科学者が隠そうとしていたテクノロジーが記載された文書を入手したり、あのカール・デーニッツ(ヒトラーの後継者)の生け捕りにも一役買ったそうですから、セオ氏も天国で喜んでいると信じたい所です。

さて、こうした経歴が後々のフレミングの007にどのような影響を与えたのでしょうか?

これまでにも触れたように、フレミング自身が特殊部隊で実戦を経験したのは1度きり。後は後方での指示となったようですから、主人公の007そのものより、どちらかと言えば上司のMに近い役周りだったのでしょう。

ちなみに、小説に出てくるMですが、性格面などの描写にはゴッドフリー提督にインスパイアされる所があったようです。非常に怖い性格の方でもあったとか。ウィキペディアの英語版によると、こんな感じの方だったそうです。

ウィキペディアによると、海軍少将としてフレミングらを束ねながら諜報部の指揮を取っていましたが、1942年に当時まだ植民地だったインド海軍に将官として転出したそうですから、セオ氏の戦死については知っていたかどうかは分からないと言って良いでしょう。

45年に退役後は、各地の病院の理事や財団の役員などを務め、諜報部時代の記憶などを盛り込んだ回顧録をケンブリッジのチャーチル・カレッジに寄贈し、1970年に没します。つまり、最晩年には007の映画を見ていた可能性があるって事ですね。どんな思いだったのでしょう。

歴代のボンドは、赤茶けた感じではありませんが、キャラクターの内面にはセオ氏らを含む30AUのメンバー1人1人が織り込まれていると信じたい所ですね。

南如水・記

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