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週刊武春 豊臣家

豊臣秀頼は秀吉の実子ではなかった!? 天下人に降りかかった衝撃スキャンダル!

更新日:

 

大の女好きである秀吉の最大の不幸は、子供に恵まれなかったことでしょう。
片っ端から色んな女に手を付けまくったのに、「秀吉を父とする子」を産んだのは、晩年に側室になった淀殿ただ一人。
現代の医療なら、男性側の生殖能力に問題があると判断して、受胎の可能性がない場合、海外では精子をもらって体外受精したりすることもありますが、歴史学者の服部英雄九大名誉教授は2012年刊行した『河原ノ者・非人・秀吉』で、長男の鶴松はもちろんのこと、次男の秀頼の父親が秀吉ではないと断言しています。
こんな歴史の秘密がつい最近まで封印されていたのです。

最初に確認しておきたいが、秀頼の父親が秀吉である確率は、医学的にいえば限りなくゼロなのである。

正確な数はともかくとして、秀吉が常人に比すれば、はるかに多くの女性と愛し合うことができたことは間違いない。けれど、こうした環境にもかかわらず、秀吉は一人の子も授からなかった。

この二人の組み合わせのみに、それほど都合よく子どもができるものなのか。秘密があるとみるべきだろう。

秀吉との間では子ができなかったが、別の男性との間ならば、子を産めた女性が少なくとも三人は確認できる。

豊臣秀頼

本物のお父ちゃんはドコにいるんだい?(Wikipediaより)

 

「家」の維持を重んじて行われたダンナ公認の浮気

かつての日本では、こうしたケースは決して稀ではなく、その際にはイベントで各家の子宝を分けあっていました。そう舞台は夜祭です。
「家」の維持が大事だった昔は、祭りなどで体外受精の場を求めたのです。いってみればダンナ公認で、浮気してしまうというわけ。神社や寺のお祭りなので、神様仏様、つまり社会の公認でもありました。
その際に、重要なのは、驚くべきことに複数と交わること!

秀吉自身がかかわり、秀吉が命令して、生物学的には秀吉の子ではない子を、茶々に産ませた。それならば不義でも密通でもない。断罪もされない。

子ができない夫婦に、どのようにして子ができるのか。民俗事例でいえば参籠(さんろう)がある。
子宝が授かるように神仏に願掛けをして、通夜参籠(おこもり)をする。
毎日毎夜の読経三昧で宗教的な陶酔が頂点に達すると、妻が法悦を体験し、やがて子が授かった。
参籠の場がしばしば男女交情の場になったと指摘している。
どうしても子に恵まれない夫婦にも、いよいよのときは子が授かる仕組み・可能性が民間につくられていた。
通夜参籠と同じ装置が設定された。聚楽城または大坂城の城内持仏堂が参籠堂となったか。宗教者が関与したと想定する。
宗教的陶酔をつくり出すプロは僧侶ないし陰陽師だった。
(服部前掲書)

ただ、父親が特定の誰かと分かってしまうと、後に「◯◯は私の子供だ」あるいは「◯◯はアイツの子供だから私に養育義務はない」などと問題になってしまう。そのための「複数の無名の男性と交わる」わけですが……。うーむ。。。。まさに「聚楽よーん」な世界。

淀君は、こうしたイベントにより、2度、(表向きは)秀吉の子を産んでいます。

 

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朝鮮出兵のとき淀君が秀吉に内緒で祈祷を・・・

1回目は秀吉公認でした。城内のお堂で、たくさんの男たちと淀殿がナゾの祈祷をしていており、そこが受胎の場だと考えられています。が、この時、生まれた男の子「鶴松」はすぐに死んでしまいました。
秀吉は、これでもう実子は諦めて、養子を育てようと決めました。
ところが、朝鮮出兵のため九州へ行っているうちに、淀殿は勝手に「祈祷」をしてしまい、またもやご懐妊してしまったのです。

これにはさすがの秀吉もキレ、彼女に辛辣な手紙を送りつけました。

「おめでとう(棒読み)。お前の乳で育てなさい」

これのどこがキレているのか?

昔、地位があった女性は、自身の母乳で育てるなんてことは一切せず、他人に任せていました。
母乳で育てるというのは、身分の低い人間のすること。実際、彼女が1人目を産んだときは、母乳で育てるどころか、手元から子供を取られて、直接育ててすらいないのです。
それゆえ、自身の母乳をあげるということは、淀殿にとっては、つらーいお仕置きとなる…、ハズだった。

淀君

絵・くらたにゆきこ

 

これが思わぬ方向に転がっていきます。

彼女は自分の乳をあげて育てているうちに、異常な愛情が芽生えてしまい、秀頼を完全なマザコンへと育ててしまったのです!

そして、母子は子離れ、親離れできずについに滅亡してしまう。秀吉の死後、豊臣家の存続のチャンスは何度もあったというのに…。
ちなみに、秀頼の実父はどうなったのでしょうか。

 母子面会のひと月半後からは悲惨なばかりが続く。
秀吉留守中に起きた不祥事に関して、唱門師(陰陽師)が追放された。
これがこの先、数年に及ぶ唱門師大弾圧の始まりである。
唱門師はシャーマンとして心理を操り、トランス状態を招くことができ、霊的処術が可能だった。いかがわしい魔術もあったかもしれない。

(粛清された*注)女たちは大坂城内の全員ではない。「若公ノ御袋家中女房衆」すなわち淀殿周辺にいる女房らだと明記している。
唱門師追放の翌日からは淀殿付き女房の処刑が開始された。(服部前掲書)

懐妊後、秀吉は淀殿の側近や「祈祷」にかかわったとみられる陰陽師らを徹底的に殺戮してしまいました。一晩(あるいは数晩?)の営みのために、この世から消されてしまったのです。おぉ、怖っ!

 

*この事件がとうとう漫画化!(笑)

聚楽第落書き事件~捨丸の父は誰? 何人たりとも秀吉の暴走は止められねぇ 【戦国boogie-woogie vol.114】

聚楽第落書き事件

*NHK大河ドラマ「真田丸」で茶々の懐妊が分かった回(5/22日放送)の辛口レビューは放送後に公開

*NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で茶々の懐妊が分かった回39話(9/28日放送)の辛口レビューはこちら
48話(11/30放送)はこちら

【関連記事】殺生関白・豊臣秀次に対し、豊臣秀吉は切腹の命令など出していなかった!?

※この記事は筆者の川和二十六が『戦国時代100の大ウソ(鉄人社)』に寄稿したものに加筆しました。

 

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