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週刊武春 伊達家

「仙台ブス」伝説の祟りが解けた!「貞子」化した花魁の墓で分かった伊達家の秘密

更新日:

日本三●●ってありますよね。

日本三景は松島、天橋立、厳島。三名城は熊本城、名古屋城、姫路城、大坂城(4名城?)

三大遊郭は京の島原、江戸の吉原、大坂の新町、三大お家騒動は黒田騒動、伊達騒動、加賀騒動。

面白い所では三大県民歌が秋田県民歌、山形県民の歌、長野県民歌、三大悪妖怪が酒呑童子、玉藻前、崇徳天皇(妖怪枠なんですね……)などなど。

厳島神社

日本人は実に三●●が好きだなあと感じる訳ですが、すごい、面白いと思えるものがある一方で、自分の出身県が選ばれているとがっかりするような三●●もあります。
その内の一つ、「三大不美人」。これに残念ながら選ばれてしまったのが仙台、水戸、名古屋の三都市です。
関所や口留番所がそこかしこにあって、「入り鉄砲に出女」だった江戸時代ならいざ知らず、居住移転の自由が保障され、かつ女性の美しさに関する感覚がかなり変容した現代において三大不美人がどれ程の意味を持つのか微妙ですが、今回は不本意ながら三大不美人に選ばれてしまった三つの都市の内、仙台の噂の真相に迫ってみたいと思います。
仙台不美人説はいつ頃から言われているのか?その根拠は?

虚実が入り乱れた歴史を紐解いてみると、意外な愛の物語が浮かび上がってきたのです。

伝説を広めたのは坂口安吾?

まず、「仙台不美人説」がいつ頃から言われているものなのかと言いますと、はっきりとした記述としては小説家の坂口安吾がその随筆「美人の消えた街」(ひどい)で「仙台に美人はいない、それは高尾の祟りであろう」と述べています。
お前が犯人か。(↓)

仙台人としては思わず彼を追求したくなりますが、ここで大事なのは美人がいないという事よりも「高尾の祟りである」という部分です。
「高尾の祟り」。東京都八王子市の高尾山、ではなく、祟るからには生き物じゃないかと当たりをつけ、今度は歴史書の方を覗いてみます。坂口安吾よりも前の時代で「高尾」という名前の生き物(おそらく人)を探してみると、これが意外に有名人で、すぐに「高尾」という名前の持ち主を割り出すことができました。

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殿様にキレられ斬られたトップ芸者

「高尾」は吉原の花魁の大名跡(代々襲名される名前)で、京都島原の「吉野太夫」、大阪新町の「夕霧太夫」と共に、江戸の三名妓と言われた絶世の美女です。
美女と簡単に書きましたが、花魁はただの美女じゃありません。花魁とは超・高級遊女であり、人買いや女衒によって日本のあちこちから集められた娘達の内、抜きんでた美貌を持った者が見込まれて、和歌、立華(生け花)、書道、箏、舞、茶道、囲碁、将棋、古典文学etc.などを徹底的に仕込まれ、落籍するためには数千両(現在価値にして数億円)の金子が要ったそうです。
それにしても、才色兼備、容姿端麗、傾城傾国を地でいく江戸一の花魁「高尾太夫」が、雪深い陸奥の仙台の女性陣にどんな恨みがあると言うのでしょう?

花魁道中 / Minamie's Photo

読者の方は山本周五郎先生の小説「樅ノ木は残った」や歌舞伎「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」落語「反魂香」などをご存じでしょうか?
これらの作品の中に、高尾太夫は主人公ではないものの、ストーリーを構成するために必要欠くべからざる人物として登場します。

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酒乱の殿様が藩主の座を追われた腹いせに?

時は万治三(1660)年。幕府から天下普請による小石川堀のインフラ整備を命じられた仙台藩第三代藩主伊達綱宗公は、屋敷と普請現場との行き来の合間に吉原へ通うようになります。
吉原通い自体は当時の大名としては決して珍しい行為ではなく、そう咎められるような事ではないのですが、どうもこの殿様、生来多少の酒乱の気があったようです。

伊達綱宗公 ウィキペディアより

伊達綱宗公 ウィキペディアより

遊郭三浦屋の花魁高尾太夫に惚れ込んで政を放り出し酒色に耽ること数ヶ月、とうとう藩の重臣や叔父である一関藩主伊達宗勝などの連名で幕府に乱行を訴えられてしまいます。
幕府の命により強制蟄居の身となった綱宗の跡を継いだのは当時まだ2歳の幼児だった亀千代。後見人となったのは前述した伊達宗勝でしたが、これがまた悪い奴で……と、彼の酒乱が原因となり、三大お家騒動の一つである伊達騒動が幕を明けるのです。
伊達騒動をモチーフとした歌舞伎などの創作物の中では、綱宗はそうとうキちゃっているお殿様として描かれ、七千八百両(5~8億円)で落籍した高尾が「実は将来を誓った男がいる」と告白すると、逆上して高尾を隅田川の船の中で吊し斬り(!)にしてころしてしまったりしています。

吊し斬り。そりゃあ祟りたくもなるってもんですよね。それは仕方無いなあ~うん、って
なんで仙台男に殺されたからって仙台女に祟るのさ!

 

(伊達の殿様もちゃんとこういう本を読んで勉強してもらいたいものですね)

やっとこさ仙台女に掛けられた呪いの原因に突き当たったと思いきや、まさかの太夫の逆恨みエンディング。この流れでいけばもちろん綱宗公の横恋慕の方が悪いのですが(一番悪いのは金だけ受け取った遊郭三浦屋の主人四郎左衛門です)、どうして仙台男に殺されたからといって女の方を不美人にせねばならないのかさっぱり分かりません。
しかも都内で殺されたっていうのに祟りがはるか遠方へテレポート。年季が明けるまで、もしくは落籍されるまでを籠の鳥で過ごす高尾には、仙台がどこか当たりが付いたのでしょうか。
まあ幽霊のすることに一々文句を付けても始まりません。これが「高尾の祟り」であるからには、綱宗公に殺された高尾太夫が(どうしてか)その恨みを仙台女にぶつけたのでしょう。すごいとばっちりです。

呪いを解こうと墓参りしてみたら別人の女性の墓だった!

さてこの呪いが本当だと言うのなら、どうにかしてこれを解く方法がないものか。そうだ、墓参りに行こう。一説には高尾は落籍されてから綱宗公の下向に伴われて残りの生涯を仙台で暮らし、仙台市荒町にある仏眼寺に葬られたと言われています。仙台の女性を思わず呪ってしまう程の怨念を抱えながら嫌々ついて来たのでしょうか。

伽羅先代萩 高尾の吊し斬り役者絵(仙台市博物館HP)

伽羅先代萩 高尾の吊し斬り役者絵(仙台市博物館HP)

仏眼寺は伊達家との関わりも深く、伊達家由来の品なども納められている由緒正しい寺院です。江戸一と謳われた花魁であり、仙台藩藩主伊達綱宗の側室であった高尾太夫の墓。どんな華麗な装飾を施された墓があるのかと思いきや、そこにあったのは小さくて飾り気のない、綱宗の側室であった女性の墓でした。

「椙原品(すぎのはらしな)」。元は播磨の赤松家に仕えた椙原という家の出で、赤松家の亡びた後、仙台藩の江戸屋敷に女中として上がり、その縁で綱宗公の側室となった女性です。

品が20歳の時、19歳であった綱宗公の側に上がり、その後彼が21歳で家督を嗣子の亀千代に譲り、72歳で歿するまで、品は蟄居を命じられた江戸の品川屋敷からほとんど出ることなく、52年もの間を綱宗公に仕えて過ごしています。
綱宗公の死後仙台へと戻って来た品は、78歳で亡くなると前述した仏眼寺に葬られることとなるのですが、それがどうして江戸一の花魁の墓だと噂されるようになったのでしょうか?

愛を貫いた殿様と側室の「お品」さん

一つには、綱宗の強制蟄居から始まる一連の伊達騒動をモチーフとした物語が、江戸時代に大流行したことが挙げられます。
当時の庶民にとっては、大藩である伊達家の家督争いというものは今の芸能人のスキャンダルのように面白いもので、これを題材とした歌舞伎「伽羅先代萩」や「実録仙台萩」「伊達競阿国戯場」など、十以上の演目が短期間の内に次々と作られ、江戸のあちこちで演じられるようになりました。

そうなると江戸一の花魁である高尾太夫は、末を誓った男に操を立てて殺された絶世の美女として非常な人気を博し、「高尾の墓」という名所があちこちに作られました。これが綱宗の側室であった「椙原品」の墓が「高尾の墓」だと言われるようになった原因のようです。

そして騒動の原因を作った綱宗公には、できるだけ暗愚を地でいくような殿様であって欲しい。物語が民衆にもてはやされる程、綱宗公は酒色に溺れ政治を顧みなかったダメな殿様として描かれた訳です。

この辺りの事情については「大学3年生でニートとなった仙台藩3代目の伊達綱宗の隠居の理由」にも書かれてありますので参考にして下さいね。

ちなみに、綱宗には正室がなく、生涯を通して二人の側室がおりましたが「椙原品」が高尾太夫と混同されたように、もう一人の側室で亀千代の生みの母である「三沢初子」もまた、劇中の架空の人物で亀千代の乳母とされる「政岡」と同一視され、彼女のお墓は「政岡の墓」とも言われています。

The冤罪!高尾なんて花魁は存在しなかった!

実際には綱宗公が通った吉原の遊女は、山本屋という遊郭の薫という女であり、更に綱宗公が小石川堀のインフラ整備を始めてから蟄居を命じられるまでの万治二年三月から七月までの間には、三浦屋には「高尾」の名を継ぐ遊女がありませんでした。「高尾」が存在しないからには隅田川での吊し斬り事件も起こりようがなく、よってあまねく仙台に居住する女性に掛けられたという「不美人の祟り」も存在しないのです。

以上の点から、日本三大不美人の内の一つ、「仙台不美人説」は、伊達騒動を題材とした創作物が大流行した江戸時代、作中において綱宗公をより暗君として際立たせるために作られた「高尾太夫の吊し斬り事件」を元にした噂、でっち上げである、と結論付けたいと思います。

綱宗は生涯正室を娶らず、蟄居を命じられてからは前述の三沢初子、椙原品と共に品川の屋敷でひっそりと暮らし、72歳でその生涯を終えました。

明治の文豪森鴎外の史伝「椙原品」では、品川の屋敷に移ることになった時、品は綱宗公に一日の暇を願い出て親類縁者や知人を招き、永遠の別れをしたとあります。

品を取り巻く綱宗公以外の一切の人間関係を断ち、科人となった主に生涯を捧げる決心を示した品。それに心を打たれた綱宗公は伊達家の家紋である雪薄紋を品に贈りました。我が子である亀千代に会う事も禁じられ、世から憎まれ、次第に忘れ去られて行く運命にあった綱宗公にとって、品の存在はどれほどの救いになったことでしょうか。

彼女はその心映えも見事ながら姿も至って美しかったため、綱宗公のその後の乱行も相まって、綱宗公の美しい側室=江戸一の美女高尾太夫説ができたとも言われています。その彼女が晩年帰仙し、今も仙台に眠っているというだけでも、「仙台不美人説」はまやかしだろうと筆者は考えるのです。

「天下くれ~」by政宗(絵・霜月ケイ)

政宗さんは天下に執着して一部貞子化しましたが…(絵・霜月ケイ)

鈴木晶・記(宮城県在住)

 

参考文献

「坂口安吾全集 別巻」 坂口安吾 著 筑摩書房

「鴎外歴史文学集 第三巻」 森鴎外 著 岩波書店

「定本 落語三百題」 武藤 禎夫 著 岩波書店

「宮城県の歴史」渡辺信夫 今泉隆雄 大石直正 難波信雄 著 山川出版社

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「伽羅先代萩 伊達競阿国戯場」 諏訪 春雄 編集  白水社





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