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週刊武春 アメリカ

陰謀論者憤死!ケネディ暗殺事件のオズワルドを殺した犯人に背後関係はなし?!

更新日:

 

ケネディ大統領暗殺でオズワルドと並んで有名な人物と言えば、彼を殺したジャック・ルビー。ユダヤ系のポーランド移民の子として生まれた人物ですが、出身地のシカゴのTVメディアが掘り起こした新証言が興味深い。

「陰謀グループのメンバーなどではない。そんな事できるタマじゃあないって」って言うのですね。「へぇー」って感じ。

 

野次馬精神旺盛だったジャック・ルビー

「オズワルドはニュース・ジャンキーで、刑事におべっかを使う人物でもあった」。

そう証言するのは、テキサスの地元紙の元記者、ヒュー・エインワース氏。「ダラスで大きなニュースになった現場に行くたびに、ルビーを見かけていましたよ」とも話していますから、野次馬精神の旺盛な人物だったようですね。

確かに、こういう人は日本にもいますよね。ワタクシメの知りあいにも「酒鬼薔薇と海上保安庁の尖閣ビデオ漏洩の事件現場の両方に当日に行ったで〜」と妙な自慢する人いますし。

エインワース氏は、事件の各現場に立ち会いました。最初は、デイリー・プラザ。オズワルドが教科書会社の倉庫から大統領を撃ったとされるダラスのダウンタウンですね。その数時間後、オズワルドが警官のJ・D・ティピットを射殺した場所の近くのオーク・クリフにもいましたし、ルビーがオズワルドを殺した現場にもいました。

ジャックルビー(Wikipediaより)

ジャックルビー(写真はいずれもWikipediaより)

そして、ルビーの事も良く知っていました。もっとも、好きではなかったそうですが。

「自慢ばっかりする、嫌な奴でしたよ」。

そんなエインワース氏からすれば、ルビーが陰謀に荷担しているという説など笑止千万なのだそうですって。

「あんなに口の軽い男を実行犯に雇う人間なんていませんよ。秘密を守って貰ってこそナンボだと言うのに」

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「自分もそう思うで」という元裁判官も

こう書くと、いち記者の偏見に思われる向きもあるかもしれませんが、裏書きする証言もTV局側では発掘しています。クリーブランドの元裁判官であるバート・グリフィン氏が、その1人。

グリフィン氏は、ウォーレン委員会のメンバーの一員として、ルビーの背後関係を洗う担当役でした。そのグリフィン氏が曰く。

「もし、事件が組織的犯罪であり、ルビーがその一員だとするなら、その組織は新たなヒューマン・リソースを負う監督役を雇わねばならない筈でしょう」。つまり、黙っているかどうかを監督する役割の人間を追加で配置しておかないと、危なっかしくてしょうがないと。

そして、ダラスの暗黒街の人間から、次のような証言を得ています。

「ルビーはハスラーだったし、色んな人に顔が割れていた。実際、酒の密売人とかやっていた人間は、ルビーの事を良く知っていたしな。そもそも奴がダラスに来た目的は、金を稼ぐためだったんだ」。悪事に手を染めに根を下ろした訳では無いと言うのです。

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カルーセルというナイトクラブを経営

オズワルド射殺犯として知られるルビーですが、暗黒街の関係者が言うように、ダラスでは「カルーセル」と呼ばれるナイトクラブを経営していました。「ショウガール」の1人だったナンシー・マイヤーズさんは、ルビーの事を良く覚えているそうです。曰く。「何時も横っちょに女がいたって感じの人でしたね」。

もっとも、エインワース氏とは違い、今でも好感を抱いているそうです。「タミー・トゥルー」という源氏名で踊っていたマイヤーズさんは、ウォーレン委員会で証言を求められた人物の1人でもありました。

「ジャックは良い人だったわよ。だからウォーレン委員会に出向いて最初にこう言ったの。『あの人についての悪口なら言わないわよ』ってね」。

ナンシーさんも、陰謀グループの一員だったとする説は笑って否定しています。

「地元の危ない筋の人間や、ギャンブラーやポン引きや売春婦が出入りしていたわ。でも、弁護士さんや政治家や堅気の方々も良く来ていた」と言うナイトクラブでのルビーは「シカゴ出身のハスラーだった。だけど法律には全て従っていたわよ。暗黒街の犯罪なんて、とても無理無理!」とまで言い切っています。

地元紙の広告を見て、早合点?

そうなると、次のような疑問がわいてきますよね。「じゃ、何で撃ったんだよ?」。

グリフィン氏やウォーレン委員会のスタッフが調査した限りでは、背後に組織は見当たらなかったとしています。そして、グリフィン氏は、こう続けています。

「ルビーは、大統領を撃った連中は反ユダヤ主義の陰謀家で、事件をユダヤ人のせいにしようと企んでいるに違いないと考えていたようです」

先にも書きましたが、ルビーはニュース・ジャンキー。その情報源として重宝していたのが、地元のダラス・モーニング・ニュース紙でしたが、事件当日の朝刊に、本人にとっては捨て置けない別のネタが掲載されていました。

反ケネディを標榜する広告が、バーナード・ワイズマンと言う個人の名前で掲載されたのです。名前がユダヤ系っぽいですよね。で、これを読んだルビーは反ユダヤ主義の扇動広告だと思い込んでしまいました。

「ルビーは、一連の陰謀論を最初に追跡した人物になってしまったのですよ」(グリフィン氏)。ルビー本人なりに調べもしたようです。

まず、電話帳を手にとって該当する人物がいるかどうかをチェック。ところが、いなかったので、今度は事件2日前にユダヤ教の寺院に行き、ラビ(お坊さん)にワイズマンって名前に聞き覚えがあるか問いただしています。ラビは「知りませんなぁ」と答えたのだとか。

…ラビ御本人に自覚は無かったろうけど、或いはこれが歴史を変える一言だったのかもしれませんね。

大統領の暗殺に気落ちし、落ち着かず

で、事件が起きてしまいました。「ルビーさんは、階段を上がったり下がったりしていたわねぇ。覚えている言葉が1つあるわ。『ユダヤ人にも根性がある所を見せてやる』って」。

…根性の見せ方が問題だと思うけど(汗)。

マイヤーズさんは、ルビーが大統領の死にとても気落ちしていた事を覚えているそうです。ナイトクラブも、弔意を示す為に当日は閉店していたぐらいで、同業者がそうしない事には凄く怒っていたそうです。

「狡い奴が大統領を殺したかもしれないなんて、何て恐ろしい事なんだとジャックは考えていたみたい。大統領が殺された事に、それほど動揺していたのよ」

そんなナンシーさんは、ルビーがオズワルドを殺す所をテレビの生中継で観ていたそうです。

「後ろ姿で分かったの。あっ、彼だって。そりゃもう、私にしたら二重のショックよ。大統領が撃たれたんだし、その上によ、勤め先の男がオズワルドを撃ったんだから!」

一方、エインワース氏にしたら、マイヤーズさんのように驚いてばかりはいられません。記事を書かねばならないからです。オズワルドが撃たれた際には現場のガレージにいており、拘置されているルビーには電話インタビューもしています。

「その場で衝動に駆られてやったんだ、と言ってましたね。動機があっての事じゃあ無かったそうです」

ある種の愛される人物ではあった?

何と言いましょうか、思い込みの激しい人だったようですね。一方で、ある種の愛される人物ではあったようです。と言うのも、拘置されているルビーの元に面会に来た人が少なからずいたからです。普通、知人や友人が人を殺したとしたら、皆さんならドン引きしっぱなしでしょう?

オクラホマのテレビ局が、そうした人物の1人のインタビューに成功しています。

証言しているのはマリー・グレイ・マッコイさんというオクラホマの住民。ルビーとは良き友人だったが、今回初めて証言する事を決意し、テレビ出演したそうです。御年100歳。記憶力は少しも衰えていませんが、車椅子姿での出演。歳月を感じさせますね。

しかも、面会はルビーの死の直前まで3度も行ったというのですから、歴史的にも貴重な証言となりましょうか。

マッコイさんは「カルーセル」の筋向かいにあるホテルで働いていました。もっとも、ナイトクラブの方に客として出向いた事は無かったそうですが。ちなみに大統領が暗殺された日も出勤だったそうです。

「無愛想な人でしたね。仕事の鬼だったし。週に何度か、銀行の営業時間終了後に両替が必要となった際に、ホテルを使ってくれていました」(マッコイさん)。それが知り合う切っ掛けだったそうです。

マッコイさんも、ルビーがオズワルドを撃ったのをテレビで観た1人でした。直ぐに本人だと分かったそうです。1週間後に、面会が許されます。

「ジャックは、逮捕後は人が全く変わってしまいました。凄く親しげになったし、射殺の事や悪事に関する話は一切ありませんでした。至って普通の会話でしたね」(マッコイさん)。

最後の面会は、死の直前でした。健康状態は、マッコイさんの目から見れば良いように思えたそうです。公式の死因は、肺癌による塞栓症だとされていますが、それを聞いた時にマッコイさんは信じられなかったとしています。

「彼は癌になっていなかったわよ。毒殺されたんだわ。誰かが毒を盛ったのよ」と、御本人。事件後も40年以上をダラスで過ごし、故郷に戻った上で、そう発言しています。

じゃあ、死因はどうなのよ?

今回も長い記事となりました。毒殺とは穏やかで無い話ですので、これについても触れておきましょう。テキサスのニュースサイトが、ルビーが死んだ際の医師を捜し出して、インタビューに成功しているのです。

オズワルドが搬送され、死亡したのはパークランド病院というのは、割に知られているでしょう。実は、ルビーが亡くなったのも同じ病院だったのです。

で、現在はテキサス州のハレッツビルという所にあるレベッカ医療センターで胃腸科の専門医として働いているカールトン・トンプソン医師が、ルビーが最期を迎えたパークランド病院で働いていました。1966年の事でした。

当時、ルビーは55歳。「患者としては扱いやすい人でした。礼儀正しく、他人のしてくれた事に感謝する人でもありました。被害妄想と、用心深い傾向が少しばかりありましたが」。

当時のトンプソン氏はサウスウェスタン・メディカル・スクールに在籍していた学生さんでした。ルビーと最初に出会ったのは、救急治療室から出てきた所でした。既に超有名人だったので、思わず「貴方に会いたかったんです」と口走ってしまったのだそうです。

医師として見たルビーは、「慢性疾患状態」でした。「肺のレントゲン写真を見たのですが、雪嵐のように真っ白でした。当初は結核の疑いもあったので、感染予防の為に隔離室に入れられたんです。癌と分かった後も、そのまま隔離室で治療を受けました」(トンプソン氏)。

もっとも、隔離治療には、セキュリティ上の問題もあったようです。「3人の監視と、3段階のチェックを経てから入室が許されていましたし」。

今なお強烈に覚えているのは、新しい医師や看護師やインターンの生徒が配置される度に、ルビーは名前を大声で7回復唱していた事だそうです。

「で、次に入室したら、1週間経っていようと必ず名前を覚えていたんですよ」(トンプソン氏)。

当時のトンプソン氏は24歳。ルビーと同じシカゴの生まれでした。話をする機会があったようですが、ルビーの方からケネディ大統領とオズワルドの事に直接触れようとはしなかったそうです。ただ、何度か「あの恐ろしい週末」とか「身の毛もよだつ週末」と、事件を仄めかす発言をしていました。

トンプソン氏は、ルビーがキャンディ・バーさんというストリッパーと親交を結んでいたのも覚えているそうです。本名はジュアンティア・デール・フィリップス・エンドラという長い名前。ルビーと一緒に働いていた事があるのだそうです。

後に、ルビーは動物のブリーディング業に転職したバーさんに、ダックスフンドのペアをプレゼントしています(バーさんは、2005年に70歳で肺炎による合併症で世を去っています)。

面倒見の良い、それなりに世間から評価される一面のあった人のようですね。

そう状態がオズワルド暗殺の動機?

さて、ルビーが死んだのは1967年1月3日。トンプソン氏が、クリスマス休暇から戻ってきて直ぐの事でした。病院に入院して、1ヶ月も経たない内の出来事でした。

そんなトンプソン氏も、やはりオズワルド暗殺に背後関係は無く、ルビーの単独犯だと思っているのだそうです。「自分自身で考えた陰謀でも無い限り、実行してのけるような人じゃあありませんでした」。

つまり、人のシナリオに従って誰かを殺すような人物では無かったのだと言います。

「病院での振る舞いを見る限りでは、歴史に大混乱を与えはしたものの、好人物でしたよ。当時はそう診断されなかったのですが、今思えば双極性障害(昔で言う躁鬱病)だった可能性があります」(トンプソン氏)。

快活そうに見せかけたのか。或いは躁状態なので、快活そうに見えたかは不明ですが、内臓の状態は嘘を付かず、突然還らぬ人になったというのが真相のようですね。マッコイさんも、或いはそこらを見抜けなかったのかもしれません。

いずれにせよ、これだけ証言が揃うと、大統領本人はともかく、少なくともオズワルド暗殺には背後関係は無いのかもしれません。仮にもし躁状態の時に殺されたとすれば、オズワルドが少し気の毒にも思えてきます。幾ら自業自得とは言え。

takosaburou記

武将ジャパンの「ケネディ暗殺事件」エントリー

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「ケネディ大統領と暗殺犯のオズワルドの両方に会った事のある人がご存命だった!」

 





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