絵・岡本亮聖

豊臣家

秀吉主催の北野大茶会!人がサッパリ集まらずわずか一日で終了す

「大ヒット満員御礼!」という映画の宣伝。

「◯◯反対へのデモに◯万人!(主催者発表)」という報道など。

現代にいたるまで誇大表示というのは後を絶たない。

歴史書でもそれは同じ。「A将軍の作戦大成功」と書かれていたとしても、果たして本当かどうか。

そこで注目したいのが戦国成り上がりのスーパースター・豊臣秀吉だ。

足軽レベルの階級からの立身出世は【庶民にも人気絶大だった】と言われたりもするが、実際はかなり怪しい。

人気があったのは、あくまで江戸時代以降のこと。

秀吉本人はむしろ存命中は逆だったふしがある。

一体どういうことか?

※以下は豊臣秀吉の生涯まとめ記事となります

豊臣秀吉
豊臣秀吉のド派手すぎる逸話はドコまで本当か?62年の生涯まとめ

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秀吉の庶民人気の証明とされた大茶会だが

秀吉が京都の北野天満宮で行った有名なイベントに、北野大茶会というのがある。

1587年11月1日(天正15年10月1日)に開催されたもので、庶民から大名まで興味がある人なら身分の分けへだてなく、天下人・秀吉とお茶ができる――そんな画期的なイベントだった。

北野天満宮

メインは、もちろん秀吉の茶。

とはいえ全員を相手にできるわけもない。

そこで当日、その場で抽選が行われ、

1等 秀吉
2等 千利休
3等 津田宗及
4等 今井宗久

へと振り分けられた。

利休をはじめとする2等以下は、当時最高峰の茶人である。

秀吉は、神社の拝殿に40点もの名物の茶器(一つで城持ちに相当するものばかり)をせっせと並べ、利休らは経堂という建物に茶席を設けた。

 


なぜ1日で終了したのか謎だったが

歴史の教科書では、大勢の人が押し寄せて大成功――そうなっている北野大茶会。

しかし、この大茶会には謎があった。

当初の開催期間は10日の予定だったのに、わずか1日で終わっていたのである。

一体どうした?

事件や謀反など、大きなトラブルでもあったら、それこそ現代に伝わっていてもいいはずなのに、なぜ?

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