歴史戦国でワクワクしたい!

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

柳生十兵衛(くらたにゆきこ・絵)

江戸時代 週刊武春 剣豪・武術・忍者

柳生一族に生まれた酒乱の嫡男 十兵衛はこれでヒーローになりました

更新日:

 

おじさんサラリーマンが小指(女性を示す)を立てて「私はこれで会社をやめました」という、禁煙パイポのCMがむかーしあったことを記憶している人はアラフォー以上であろう。

剣豪・柳生一族で最も有名な柳生十兵衛もトラブルで仕事をやめていた経歴がある。

12年間も行方不明になっていた、その真相は

マンガや小説、映画、ドラマとあらゆるフィクションで登場する「隻眼の剣士」十兵衛は、孤高の剣士として、また、隠密として活躍することが多い。
ほとんどが想像の産物であり、隻眼であることも確かではない。

ただ、ベースとなっている史実に、十兵衛が12年間「行方不明」になっていたということがある。

剣士として初めて大名となる柳生宗矩の長男として生まれた十兵衛は、順風満帆な人生を送る予定だった。13才で、のちに3代将軍となる徳川家光の剣術指南役にもなっている。ここで3才年上の家光の側近として、のちのち幕府でも出生していく……はずだった。が、十兵衛ハタチのとき、とんでもないことを起こし、すでに将軍となっていた家光を激怒させ、クビ。江戸から柳生の里へと戻り、12年も謹慎、修行を続けたのだ。

スポンサーリンク

将軍・家光様「戻ってこいよ」 宗矩「ダメ、絶対!」

ただし家光は、半年ほど後に「もう戻ってこさせよ」と父の宗矩に伝えたが、頑として謹慎を解かなかったばかりか嫡男から外してしまう。柳生にとって、将軍家は生命線。たとえどんな理由であろうと、粗相を働く人間に簡単にチャンスを与えるほど「新陰流」は甘くなかったのだろう。

将軍を怒らせるという大不祥事なので、その理由については本人も直接語っていないのだが、周辺状況で理由は浮かんでくる。
ずばり酒乱である。どうやら、酒に酔って家光と稽古をして、遠慮無くめった打ちにしたというのが真相のようだ(酔ってもそれだけ強いというのが凄いが…)。

柳生十兵衛

絵・くらたにゆきこ

12年後、再出仕が認められたとき、沢庵和尚(タクアン漬けの語源の人)が十兵衛に「江戸での奉公は気苦労が多いが、あなたは酒さえ飲まなければなんの問題もない」と忠告の手紙を出している。

とにかく十兵衛を大名にしたくない厳しすぎるお父ちゃん

結局、弟が夭折したため、嫡男の座も戻ってくるが、宗矩は死に際して、大名であるのに必要な1万石をわざわざ分割して子供たちに分け与え、柳生家は一時、旗本へ格下げになり、十兵衛はついに「大名」になることはなかった(柳生家は3代目から大名に復活)。父ちゃん、厳しすぎる!
ただ、この一連の出来事が、のちに十兵衛の神秘性を高め、柳生一族ではほとんど例外的にヒーロー(宗矩なんて典型的な悪役になることが多い)を演じるのだから、人生は分からない。




スポンサーリンク


川和二十六・記

 




桂小五郎
またの名を木戸孝允


1位 甲斐源氏の重責とは?
武田信玄53年の生涯


2位 ついに登場!
坂本龍馬の生涯マトメ


3位 漫画『アンゴルモア』で
盛り上がる元寇のすべて!


4位 この人こそが幕末王!?
天才・吉田松陰


5位 意外と知らない
源義経の生涯ストーリー


6位 史上最強の出世人だが
最期は切ない豊臣秀吉


7位 ゴツイケメンな幕臣
山岡鉄舟の信念


8位 藤原道長
出世の見込みなかった62年の生涯


9位 大政奉還から戊辰戦争
までのドタバタを分かりやすく!


10位 軍師の枠を超えていた!?
黒田官兵衛、真の実力


注目 金栗四三いだてんモデル
日本人初の五輪選手は驚きの成績!?


注目 まんぷくモデル
安藤百福50歳から再出発!



-江戸時代, 週刊武春, 剣豪・武術・忍者

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2018 All Rights Reserved.