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週刊武春 織田家

なぜ織田信長は「第六天魔王」と呼ばれたか? その正体は欲望の神様!?

更新日:

「我は第六天の魔王、織田信長なり」

どこかのゲームや漫画に出てきそうなセリフですが、読者の方は、この信長公が自分で名乗ったとされるDQN、いやステキなニックネーム「第六天魔王」が、売り言葉に買い言葉の末に思わず出た言葉だと言う事をご存じでしょうか?

今回は、現代のサブカルチャーにおいて、もはや人間をやめちゃった人のように描写される事の多い織田信長公の「第六天魔王発言」についてフォローしてみたいと思います。

ホント、これさえなけりゃもしかしたら伊達政宗真田幸村のような爽やかイケメンに描かれていたかも知れ……って、そりゃないかなw

 

宝くじが当たったり美人と付き合えたりしちゃう 

まず、第六天魔王とはどこのどなたなのか、ここでおさらいをしましょう。

六があるなら一~五もあるのか、だったら六ってあんまり偉くないんじゃ……などといらぬ心配をしてしまうこの方、別名を「他化自在天」とおっしゃいます。

我々人間の住む俗世に一番近い天界、欲天の最上階である第六天にお住まいの神様(天)で、欲天では一番偉い方です。

ちなみに第一~五の下の階層には、閻魔大王や弥勒菩薩、帝釈天など、有名どころの神様がたくさん住んでいらっしゃいます。そのさらに下が私達の住む俗世ですね。

でも彼は「天」ではなく「天魔」です。どうしてなのでしょうか。

それは第六天魔王の別名である「他化自在天」が表す彼の一風変わった性質によるものです。

他化自在天は「人間の望みを叶えたり快楽を与えて、それを自在に自分の快楽とする事ができる」神様で、趣味=仕事という全くうらやましい、ゲフン、人間的にもありがたいことこの上ない神様です。

宝くじが当たったり、美人と付き合えたり、どう考えても遅刻しそうだったのに今日に限って信号が全部青で滑り込みに成功したりと、金運、恋愛運、学業運や仕事運(?)など、人間のありとあらゆる願いのほぼ全てに御利益のある方で、東日本、特に関東には「第六天神社」などの名前で神社もたくさん分布しています。

 

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欲を否定する仏教の教えがいつしか・・・ 

そんなあんな夢こんな夢叶えてくれる素敵な第六天魔王様ですが、どうもこの人間をどこまでも増長させる甘やかし体質がいけなかったようです。

基本、人間の欲望を否定する仏教にあっては、彼の仕事の全てがもうダメ。

「この仏敵が!」と人間の僧侶達から罵られ、「人間の望みを叶えてあげるよ!だって人の喜びが俺の喜びだから!」のはずだった彼のキャッチフレーズは「人間を唆して世の中を混乱させてやるぜ!」に変わってしまいます。。

彼は当時の武士の教養の一つであった「太平記」などにも登場し、後鳥羽上皇を唆して承久の乱を起こさせるという、嫌な役回りを与えられています。でも、一応人間よりは悟りに近いからこそ天にお住まいの彼を、より下の階層に住んでいる我々が仏敵と罵るとはこれいかに。

葛飾北斎第六天魔王450

葛飾北斎の描く第六天魔王/wikipediaより

 

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 信長が自ら名乗ったことなど一度もない

さて、この「第六天魔王」がどうして信長公のニックネームとなるに至ったのでしょうか。

実はこの第六天魔王発言、日本に残る当時の書状や日記、歴史書などには記載がありません。敵には散々天魔天魔と言われていたようですが、自分から名乗ったという記録はどこにもないのです。

ではどこにこんな事が記されていたのかというと、当時日本にキリスト教を広めるために来日していたイエスズ会宣教師ルイス・フロイスが、日本布教長であったフランシス・ガブリエルに宛てた日本の情勢などを記した書簡の中にこのことが書かれてありました。

その内容を抜粋しますと・・・。

「信玄が遠江と三河に来襲する前に面白いことがありました。信玄が信長に書状をしたためた際に、調子に乗って自分の名をテンダイノザス・シャモン・シンゲン(天台座主沙門信玄)と署名したのです。これに対して信長は、ドイロクテンノ・マオウ・ノブナガ(第六天魔王信長)、つまり仏教に反対する悪魔の王と署名して返しました」

ザビエル

こちらは我らがザビエルさん/wikipediaより引用

さすがイエスズ会宣教師。日本史上に燦然と輝く有名戦国武将、武田信玄と織田信長のやり取りを「面白いことがありました」とは、書き方が他人事すぎて逆に面白いです。

所々端折ったり意訳したりしましたが、ルイス・フロイスによる信長の第六天魔王発言に関する書簡の意味は大体こんな感じですね。

 

皇族や貴族、将軍家などが歴任した天台座主 

信玄が自称したという「天台座主」とは、当時一大勢力を誇った天台宗の総本山、比叡山延暦寺の住職(貫主)を指す言葉で、沙門は僧侶、修行僧と言うような意味です。

「天台座主」という言葉は、創設された当初こそ「比叡山で一番偉くて賢い人だよ」という位の意味に過ぎませんでしたが、途中から太政官(政府の一番偉い人です)が任命する公的な職業となり、主に皇族や貴族、足利将軍家出身の僧侶などがこの職を歴任するようになりました。

有名な所では一旦天台座主に就いた後、足利第六代将軍として還俗した義圓=足利義教などが挙げられますね。

あ、この人も将軍宣下の後に比叡山と対立し、やっぱり火付けをして第六天魔と呼ばれています。比叡山に敵対する者はとりあえず第六天魔と呼んでおけ、というローカルルールでもあったのでしょうか。

足利義教

一般的には表舞台に登場のない足利義教さん/wikipediaより引用

この書状がやりとりされたのは、信長公が延暦寺を焼き討ちし、時の天台座主であり正親町天皇の弟であった覚恕法親王が武田領に保護された後の事。

当然、信玄公から信長公に宛てて、焼き討ちを糾弾する書状が送られたのですが、その封筒の辺りに問題の「天台座主沙門信玄」と言う署名がされてあったのだそうです。

 

「勘違いする奴はすればいい!俺は正しい!」 

実際に覚恕法親王が信玄公に天台座主の位を譲ると言ったのか、それとも信玄公が譲ってもらえるだろうと思ったのか、一種のジョークだったのか。

真実は定かではありませんが、「天台座主沙門信玄」の意味を汲み取るとすれば「天台宗は俺が保護するし、天台宗の宗徒は俺に味方する事になってるから!」、だから「お前(信長)は仏敵な」とか、もしかしたら「俺は入道だし、上洛も間近の武田の頭領だ。つまり足利将軍家や天皇家のように、天台座主に就く資格がある男ってことだ」と言った意味もあったかも知れません。

まあ確かにフロイスに「信玄が調子に乗ってる」と言われても仕方がない側面もありますが、信長公サイドでも、いくら当時の仏教組織が腐敗を極めていたとは言え、天皇の弟が座主をつとめていた延暦寺を焼き討ちにした時点でこんな風に非難される事は充分に予想がついたはずです。

普通に考えれば、例え自分を糾弾する書状の封筒に「俺は天台座主!」と書いてあろうとも、「第六天魔王」などと、敵に「コイツ自分を仏敵だと言ってるぜ!」と捉えられるに違いない署名をして返してやるべきではありません。

せっかく内容の方はまともに書けていたのに、最後の署名で色々と台無しです。

とはいえ、信長公の人の噂や世間の常識、建前や偽善、迷信を嫌う清々しい性格を考えると、「勘違いする奴はすればいい!俺は正しい!」と考えてもいそうですね。

「好きだったよ、じい」(富永商太・絵)

(富永商太・絵)

 

小学生にも似た戦国武将の意地の張り合い

そんな訳で、まるで近所の小学生の会話(ポケモン風)

「俺レシラム!」
「じゃあ俺ダークライ!」
「ダークライってあくポケモンじゃん、じゃあお前悪い奴な」

にもよく似た、封筒の上をバトルフィールドとした戦国武将達の意地の張り合いは、信長公がうっかりと言うか確信犯的に暗黒属性のポケモンであるダークライの名を挙げてしまい、さらにひょんな事から近くにいたルイス・フロイスがそれを日記に書き留め、さらにさらにフランシス・ガブリエル日本布教長にそれを提出したら現代まで保存されてしまったという奇跡を経て、ついに体から瘴気を吹き出して白目を剥き、自分で自分の事を第六天魔王とか言っちゃうノリノリの織田信長公を現代に誕生させてしまった、と言うわけです。

まあ、現代的にはそこが面白いのですが。

 

三種の神器がご登場!? 

ちなみに、前述の「太平記」には、もう一つ第六天魔王が活躍する場面があります。

なんと第六天魔王が天照大御神とお話するという、一体どこのクロスオーバー好きがこの話を……と言った内容なのですが、ここで第六天魔王は天照大御神に「日本に仏教が広まったら嫌だから、ちょっと三宝(仏・法・僧のことですね)には近づかないでくれる?」と可愛い(?)お願いをしています。

これに対して天照大御神が「分かった、近づかない」と返事をしたため、彼は「じゃあこれあげる。お前の子孫が日本を治めてる間は俺が日本を守ってやる。だが、お前の血を引く奴以外がここを統治するような事があったら、俺の眷属やら何やら引き連れてここを荒らしに来てやるからな」と、良く分からない脅しついでに彼の血で作られた印章を置いていったそうです。

なんとそれが八尺瓊(やさかにの)勾(まが)玉(たま)。アレですよ、三種の神器の一つです。これを書いた人は一体仏教と神道をどんな関係にしたかったのでしょうか。

 

信長公も武家の教養として知っていたんでは? 

筆者は、信長公が統治の関係上、自分を神として奉らせる必要を感じていたとしても、本心から自分を神だなどとは思っていなかった説に賛成する者です。

が、比叡山を焼き討ちして天台座主を延暦寺から追い出し、足利将軍家はもちろん天皇家までも「ただの人間、そしてかつての統治者」と考えていたらしい信長公が、奇しくもその天皇家の王権を保証した神である第六天魔王の名をかたったのは、面白い偶然だなあと思います。

あ、もちろんこれは「太平記」の中の一つのお話ですよ。

日本神話にはまた違う八尺瓊勾玉のお話があるわけですが、信長公も武家の教養の一つとしてこの話を知っていただろうと考えると、これはこれでとても興味深い話ですね。

鈴木晶・記

織田信長は意外と優しい!? 49年の生涯をスッキリ解説!【年表付き】

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参考文献





1位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


2位 わろてんか主人公
吉本せい波乱の一生


3位 西郷隆盛49年の生涯!


4位 史実の真田幸村とは?


5位 最上義光 名将の証明


6位 ホントは熱い!徳川家康


7位 意外と優しい!? 織田信長さん


8位 毛利元就の中国制覇物語


9位 伊達政宗さんは史実も最高!


10位 最期は切ない豊臣秀吉


注目! 史実の井伊直虎とは?


注目 わろてんか伊能栞
(高橋一生さん)のモデル
小林一三とは?





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