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週刊武春 アメリカ WWⅡ

味方の偏見とも闘った【黒人のアメリカ兵】 敵はナチスだけじゃない

更新日:

今年は、第一次世界大戦100年ということで、WWⅠをテーマに寄稿してもらっている近現代戦史研究家のtakosaburouさん。
今回は第二次世界大戦の歴史秘話です。

 

 アメリカに黒人兵だけの部隊

第二次世界大戦中、アメリカには黒人兵だけによる編成部隊があった事は、割に知られています。今から紹介するタスギギー・エアメンという陸軍航空隊も、その1つ。戦後70年近くになり、当時の隊員も次第に鬼籍に入るようになりましたが、また1人が亡くなられました。

ウォー・ヒストリー・オンラインで追悼しています(2014年1月24日付け)。

亡くなられたのはジェームズ・ボーマン氏。ピッツバーグ近郊で亡くなられました。享年91だったそうですから、戦争に駆り出された頃は20歳になるかならないかという若さだったのですね。

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 公然と法的に差別されながらも戦場に

まずは部隊の成り立ちなどを、サラッとウィキペディアの英語版から解説していきましょう。

当時のアメリカにはジム・クロウ法と言うのがありました。ざっくり言うと、人種差別を規定した法律です。公共の一般施設を黒人などの有色人種が利用する事を禁じていたのです。

で、この法律が軍隊にも適用されており、白人の兵士と有色人種系の兵士とは分離されていました。パイロットの場合、アラバマ州にあるタスギギー陸軍航空隊基地と、モートン・フィールド基地で訓練され、前線に送り出されていきました。

部隊名は、正式には第332戦闘群と第477爆撃群という名称でしたが、こうした基地で訓練されたという事もあって、俗称として使われていたタスギギー・エアメンが定着していったようです。

初陣は1943年4月の北アフリカ。第99追撃群という名称(後に第99戦闘群と改称)で、派兵され、シチリアやイタリアで転戦していきます。

翌年の1944年、第332戦闘群は重爆の護衛任務につくようになります。翌月には、こうした黒人パイロットの戦闘機部隊が4つになった事を見ると、戦績は良かったのでしょうね。

部隊のエンブレム(Wikipediaより)

部隊のエンブレム(Wikipediaより)

部隊のマーク

部隊のエンブレム

 

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第一次大戦での屈辱から「俺達にも戦わせろ」とみずから要求

ワタクシメのような根っからのヘタレで根性が歪んだ身としては「差別されてまで戦うかね」と思ってしまいますが、こうした部隊の編成には黒人層からの要求があったのだそうです。

話は第一次世界大戦にまで遡ります。当時、黒人が軍のパイロットになるのは認められておらず、1917年にはユージン・ブラードという人がパイロットになりたいと志願したものの、拒絶されたのでフランスの航空部隊に入ったというエピソードが残っているぐらい。ちなみに、この方は後にアメリカに戻り、今度は陸軍の歩兵として従軍します。「歩兵なら良いのか」って感じですね。

ともあれ、このような拒否に黒人側が怒り、その後20年間に渡って「俺達にもパイロットとして戦わせろ」という運動に繋がっていったのです。こうした運動を、当時の市民運動家として活躍していたウォルター・ホワイトや有色人種地位向上協会などが後押しし、更にはウィリアム・H・ハスティーという裁判所の判事までが賛同するようになったので、法律の部分改正での編成・運用となりました。

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1939年4月3日、第18公共法予算案が可決され、陸軍省で黒人パイロット養成の学校開設が認可されます。この後5ヶ月足らずで第二次世界大戦が勃発する事を思えば、正にギリギリでの法律成立だったと言えましょう。

もっとも、運用に当たっては白人パイロットと分離されていました。将校だけは白人だったそうですが、任命された方もやりづらかった事でしょう。ちなみに、こうした運用は歩兵部隊にも適用されていました。

 

 黒人の私立大学で訓練されたパイロット

ところで、上記のタスギギーには、黒人が通う私立大学(タスギギー大学)がありました。そこでは1939年から民間パイロット訓練プログラム(CPTP)というのが行われており、当時の多くの黒人青年が参加していました。こうした人達が、そのまま陸軍航空隊のパイロットになっていったのですから、養成に至る道のりはスムーズだったようです。

もっとも、実戦の段階では上層部がおっかなびっくりだった模様。用心深いというか、タスギギーと同じアラバマ州にあるマックスウェル陸軍航空隊基地で専門の心理研究部隊を設け、士官候補生(何しろ将校がいないし)養成やアイデンティティー確立などの教育を施していたと言います。

IQテストまであったとの事ですから、何とは無しに、黒人を見下している感じがしますね。

 

法的に差別中のアメリカVS差別の権化ナチス

…考えて見れば、こうやって差別(当時のアメリカ政府は『分離』と言い直しているけど)しながら兵隊を運用していたアメリカが、差別の権化であるナチスと戦っていたのですね。何だかなぁな構図ですな。

話をタスギギーに戻しますと、この地で第99追撃群が編成されたのは1941年6月。47人の将校と、429人の兵員で構成されていました。

訓練の為に基地も拡張され、地元の黒人系の請負業者(ここらも世論を考えていたのでしょう)が半年の突貫工事でやり遂げたそうです。

ただ、施設建設は上手く行ったものの、基地の司令官が専任の歩哨(黒人兵)や、憲兵の権限が地元の白人によって構成される警察よりも上であると主張し、更迭されるという一幕もあったとの事です。その後任の司令官は、地元の習慣を尊重しつつ分離政策を維持しながらの運用としました。名前がフレデリック・フォン・キンブル。明らかにドイツ系ですね。何の因果なんだか。

 

本当の戦いは戦後 敵は「人種差別」

さて、この辺で、最近、亡くなったボーマン氏の生涯を追ってみましょう。同氏はアイオワの州都であるデモインの出身で、地元のアイオワ州立大学に在学中、1943年に陸軍に召集。同じ州の12人と共にタスギギーでパイロットとしての訓練を受けました。上記のような法的な環境だったため、基地に行く際のバスも、白人とは別だったそうです。また、白人の兵士と同じ食堂での食事をする事や、一緒に訓練する事もありませんでした。

酷い待遇でしたが、992人の訓練生ともども、怒りを呑み込みます。戦果を挙げて、こうした偏見が間違っている事を証明できると信じていたからです。

「みんな若かったし、タフで差別には慣れっこだったんだよ」と、御本人は2010年に行われたアフリカ系アメリカ人レジストリーという黒人の歴史を記録する非営利組織とのインタビューでこたえています。

「最期の1人になっても、自分達には能力があり、飛べるんだと証明しようとしたと思う。そして、何時でも何でも出来るのだと皆が見せつける事で、事態を改善したいと思っていたんだ」

しかし、遂に実戦に出る事はありませんでした。仕上げ段階に進んだのが1945年8月。その8月8日に、サウスカロライナで飛行中に機体が発火し、パラシュートで脱出せねばならない羽目に陥ります。1週間後に終戦ですので、ある意味運の無い人だったのでしょう。ともあれ、除隊時には准尉になっていました。

むしろ、この人にとっての戦争は、第二次世界大戦後にありました。デモインに戻り、ドレイク大学に再入学して学業を真っ当。学校の教員を目指すのですが、「黒人だから」という理由で門前払い。それでも諦めず、テキサスで教職にありつきます。その後、故郷に戻り、再び教職に就きます。1989年まで40年近く務めます。

在職中は教室などで色々と差別される事もありましたが、その都度闘ってきました。

その闘い振りも、「握手とハグを欠かさない」という静かに、かつ紳士的に諭すやり口。それが実って、初の理科教師となり、校長にまで昇進します。同僚だったコニー・クック氏は「断定的な言い方をしないので、臆する事無く相談ができた。寛大で良い人だったし、そのパーソナリティで障壁を取り除いていったんだ」。

一方で、地元の各大学と一緒に教員としてキャリアを積みたいアフリカ系アメリカ人の為に専門プログラムを作成するなどの功績も残しました。雷を怖がる娘さんに、光と音の速度を講義し、落ち着かせるなど、良き家庭人でもありました。

なお、ボーマン氏ら200人のパイロット(物故者含む)には、2009年に議会名誉黄金勲章を授与されます。議会からアメリカ内外で活躍した人(通常は個人が多い)に与えられる、最高の勲章です。

ちなみに、その1人が先日亡くなられたネルソン・マンデラ氏。今頃、天国で勲章を見せ合っているのでしょうか?

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