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ヒムラー(Wikipediaより)

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週刊武春 ドイツ

「嫁LOVE」ナチスの”大悪人”ヒムラーが妻に宛てたラブレターが見つかる。しかもイスラエルで

更新日:

ナチの親衛隊SSを創設し、ユダヤ人の強制収容所を所管した悪名高いナチスの高官ハインリヒ・ヒムラーがなんと妻にたいしてLoveLoveな手紙を大量に残していたことが判明しました。しかも、見つかった場所はイスラエルという歴史の皮肉。近現代戦史研究家のtakosaburou氏のレポートです。

世の中には嫌な因果があるものですね。自分達の祖父母らを虐殺した親玉が書いたラブレターが、よりによって自分達の国で見つかるとは。捨てる訳にもいかないだろうし…。イスラエルのエルサレム・ポスト紙が、困惑した様子で報じています(2014年1月25日付け)。

ヒムラー(Wikipediaより)

ヒムラー(Wikipediaより)

ラブレターは普通、結婚する前に書くのでは?

ラブレターは、妻のマルガレーテに宛てたものでして、1927年から、ヒムラーが自殺する1945年までの長期間。マメマメしい事です。しかも、数百通も見つかっていたというのですから驚き。普通、結婚してからも書くものなのでしょうか? ワタクシメ、1度も結婚してないので良く分かりませんけど。あるいは、これが世界最優秀を自称するナチス流だったのか。

このラブレター、元々はイスラエルの市民が個人的なコレクションとして持っており、銀行の金庫に預けていました。それをドイツのディ・ウェルト紙が特ダネとして報じ、イスラエル・トゥデー紙が追いかける形(いわゆる業界用語で言う『抜かれ原稿』)で報じています。イスラエルの新聞人にしたら、ちと口惜しい展開ですなぁ。

ちなみに、写真の他に料理レシピの本もあったそうです。

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 にっくきヒムラーの史料 ドイツ紙にすっぱぬかれて、ようやく開示

ヒムラーは1923年にナチスに入党。見る見る内に出世していきます。マルガレーテと結婚したのは1928年だったそうですから、一部は結婚前にしたためていたのですね。まぁここらはギリギリ分からなくも無いけど…。親衛隊の最高責任者となったのは1929年からでして、敗戦まで務めます。最終的にはヒトラーに次ぐ地位の高さにまでなります。

そして、アインザッツグルッペンと呼ばれる、ナチスの「敵性分子」を殺戮する部隊を命令する立場にもありました。この部隊が矛先を向けたのが、ユダヤ人やロマ(昔で言うジプシー。今日では差別用語扱いになっていますが、お分かりにならない人がいるかもしれませんので附記しておきます。筆者に差別的な意図はありません)や共産主義者でした。ホロコーストの一翼を担っていた訳です。

という事情を踏まえれば、イスラエルの人達にしたら憎んでも余りある存在だったのですが、歴史的な価値があるのも事実。とうとう、展示する事となったそうです。

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独ソ戦勃発直前に家族サービスで旅行

ディ・ウェルト紙では、見つかったラブレターを8回に分けて、ドイツ語と英語の両方で紹介していくそうです。既に1回目の連載は25日付けでサイトで配信しています。

それによると、ヒムラーは独ソ戦が勃発する3日前に、妻や娘を連れてドイツの景勝地であるヴァレップ渓谷に家族旅行をしていたのですって。ちなみに勃発した1941年6月22日というのは日曜日。つまり、平日に休暇を取っての家庭サービスだったのです。戦端が開かれれば、そうした事が出来なくなるのを意識していたのでしょうか。

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photo by bookhouse boy valepp渓谷

旅行に当たっては飛行機を使い、テガーンゼー湖畔で待ち受けている家族らと合流。1日半かけての奉仕だったそうです。当時、国防軍の幹部が行動予定のキャンセルを余儀無くされるなど、微妙な空気が流れている中での旅行でもあった訳ですから、身勝手と言うか、良い気なものです。

そして、ベルリンに帰任後、親衛隊長官として、配下の警官に敵性分子の掃討に当たらせたのでした。なお、旅行中は家族に来たるべき大作戦については何も語りませんでした。

マルガレーテは後にヒムラーに宛てた手紙の中で「また戦争なのね。(ニュースで)知ったけど、眠れなかったわ」と書いています。なお、手紙では「冷蔵庫にキャビアの缶詰が1つあったので、持って行きなさいよ」と続いています。ソ連相手の戦争なので、もう入手出来ないかもしれないと言う思いを込めていたのでしょうか。

娘のグドルンも、ヒムラーに手紙を書いています。日付は22日。「ロシアと戦争する事になるなんて、恐ろしいわ。彼らとは今まで同盟を結んでいたのに。あの国はもの凄く大きいのよ。征服しようとしても、大変困難な戦いになるでしょうね」。読みようによれば、戦争への批判とも取れなくもありませんが、ヒムラーの娘だからこそ許されたのでしょうね。ちなみにグルドンは、当時12歳でした。

「結婚記念日を初めて忘れてしまったよ」と謝罪

さて、開戦後は当然ながら激務となり、東部戦線を指揮する「狼の巣」に籠もります。この間、7月7日付けで妻に手紙を書いています。

1940年、戦車部隊を視察するヒムラー(Wikipediaより)

1940年、戦車部隊を視察するヒムラー(Wikipediaより)

「結婚記念日を初めて忘れてしまったよ。本当に申し訳無いね。色々とあるよ。戦争は大変困難なんだ。特に親衛隊にとってはね」。

こうした手紙が、今回初めて世に公開された訳です。保有しているのはバネッサ・ラパという人だとディ・ウェルト紙では報じています。ドキュメンタリーのディレクターだそうで、「平均的」というタイトルの作品を2月9日にベルリンの映画祭で上映する予定です。この作品の制作を支援したのが同紙。そういう縁で特ダネとなった模様です。

「ヒムラーが妻に宛てた手紙は、最初の方の分を読むと一見ありふれた内容のようだ。しかし、冷血で凝り固まったホロコーストのオーガナイザーとなった自己中心的な官僚の顔をのぞかせてもいる」と同紙は手厳しい筆致。ま、当然ですね。

入念な鑑定の末に「これは本物だ」と断定

とは言え、書いた人物が人物だけに、鑑定は入念に行われました。別のメディアが、かつてヒトラー日記を発見したと大々的に報じたものの、後で偽物と判明して大恥をかいた事があったからです。

ドイツ連邦アーカイブの理事長を務めるミカエル・ホルマン氏らが鑑定に当たったところ、「このテルアビブにある文書に疑いを差し挟む余地は無い」と結論づけました。手紙には、「貴方のハイニ(ハインリッヒの愛称)」とか「お前の父より」というサインがあり、アーカイブに所蔵されている他の文書などでの署名と筆跡が一致した事が決め手となりました。

…どうも、ディ・ウェルト紙では世間の関心を引こうとして、第1回連載では、こうした手紙が見つかった経緯を詳しく紹介しています。そこも確かに気になる所ですね。

話は大戦末期に遡ります。当時アメリカ第3軍が、上記のテガーンゼー湖畔に進撃。そこでヒムラー一家の家があるのに気づきます。家族は、ここに1934年から住んでいたのだそうですが、アメリカ軍の占領1週間前に避難していました。

で、アメリカ兵が中を物色した所(広壮な家だったそうです)、こうした手紙類が見つかりました。後に残った召使いが物色に協力した可能性もあるとの事ですから、人間、落ち目にだけはなりたくないものですね。

連合軍の諜報将校がアイゼンハワー司令官の命令を受けて、こうした書類の保全に当たりました。見つけた兵士2人に対し引き渡すようにと説得しています。
手紙の他に1914年から24年にかけて書かれた日記も見つかっています。1957年には、米独史の専門家であるウェルナー・トムに存在を明らかにした上で転写させ、分析に当たらせています。なお、妻の日記も見つかっていたそうです。
そして、ヒムラー自身の手紙も含まれていたという訳です。1927年から33年までの手紙と、39年から45年までの手紙だったそうですから、時期的にも貴重ですね。
そんな重要な手紙だったのですが、どこでどうなったのか、一部がベルギーの蚤の市に流出。それをホロコーストの生き残りが1980年代初頭に買ったらしい。ヒムラーの秘書だった人が、その人に売ったとの情報もあるそうです。

後になって手紙を売りたいと思うようになったのですが、その頃に上記のヒトラー日記スキャンダルが勃発し、見合わせます。更に月日が流れた2007年にラパ氏が購入したという次第。
ヒトラーを始め、当時のナチスの高官は、こうしたプライベートな文書を殆ど残しておらず、その意味でも貴重。歴史の空白を埋める事にもなるとしています。

と言う訳で、次回以降の連載に期待したい所ですね。

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