日本初の歴史・戦国ポータルサイト

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

スポンサーリンク

週刊武春 WWⅠ百年 WWⅠ

第一次世界大戦にもてあそばれたタイタニック号の姉妹船の運命

更新日:

 

80年間封印された真実 第一次世界大戦の塹壕は14万人の中国人が掘っていた!」などにつづく第一次世界大戦シリーズ第4弾。近現代戦史研究家takosaburou氏は以前にも「タイタニック号の生き残りのその後」も寄稿してもらいましたが、今回はこの悲劇の豪華客船姉妹と第一次大戦と関わる波乱の歴史秘話です。艦隊これくしょんのように擬人化して読むと、この美人三姉妹の運命に涙なくして読めないことでしょう。

あらすじ

・タイタニック号には姉妹船がいた=三姉妹だった
・元祖ネオヒルズ族が酔っぱらって決めた造船計画
・実はスピード重視ではなかった次女タイタニック
・船にぶつけまくってUボートも沈めた豪毅な長女オリンピア
・タイタニックの沈没時間を大幅に更新した三女ブリタニック

 タイタニック号には姉妹船がいた

さて、第一次世界大戦シリーズものとして、ちょっとした変化球をば。タイタニック号の「それから」なエピソードを紹介していきましょう。

「お姉さんと妹がいたタイタニック号 」

と書くと、「あれが沈んだのは1912年で、戦争勃発前でしょ」という突っ込みがありそうですね。まぁ話を聴いてつかぁさい。

タイタニック号には、お姉さんと妹がいたのです。つまり同型の船が2隻建造されていました。それがオリンピック号とブリタニック号。計3隻あったのですね。

「身内」があのような最期を遂げたものですから、何かと世間の注目を浴びる身でした。そして姉妹もまた、陰影に富んだ生涯を送る事になります。

元々、これら3隻の建造が計画されたのは1907年に遡ります。rmstitanicandhersisterships.20m.comというサイト(下の写真も)が報じている所では、次のような経緯だったそうです。

olympic-titanic-belfast

ベルファストでのオリンピック号(右)とタイタニック号

スポンサーリンク

 元祖ヒルズ族がよっぱらって決めた建造計画

同年後半のある夜の事。大手海運会社のホワイトスター社のJ・ブルース・イズメイ会長と、造船大手のハーランド&ウォルフ社のプライス卿がディナーを共にします。お酒も入っての歓談だったようです。

席上、話題になったのが今日なお有名な海運会社のキュナードが運航するモーリタニア号とルシタニア号による北大西洋航路での新記録。

余談ながら、ルシタニア号は第一次世界大戦中にドイツのUボートに沈められ、大勢のアメリカ人が亡くなった為、同国の世論が激高。アメリカの参戦を招く結果となった因縁の船です。

 

この2隻は、英国のサウザンプトンからニューヨークという航路を取って高速で大西洋を横切り、話題となりました。で、「負けてられないぞ」と言う事になったのです。

「じゃあ、こっちも新しい船を建造しよう。キュナードのより、もっと大きく、もっと贅沢なのを」。ディナーが終わる頃にはプランが練りあげられました。それがオリンピック・タイタニック級客船だったのです。

つまり、飲んだ席上で話が持ち上がり、概要が決められていったって訳ですね。そんな大金が動く話を、酒を飲みながら決めて良いのかという気にさせられますが。元祖ヒルズ族って感じですね(笑)。お金持ちって、そんなもんなのでしょうか?

スポンサーリンク

 実はスピード重視で無かったタイタニック級

さて、映画などでは高速で氷山が浮いている北大西洋を横切ろうとして悲劇に出会ってしまうという筋書き(実際そうだったのですが)なので誤解されている向きもあろうかと存じますが、実はこのシリーズの客船はスピードを重視した設計では無かったのですって。

むしろ、贅沢さで勝負するというコンセプトだったのです。

姉オリンピック号の大階段(Wikipediaより)

姉オリンピック号の大階段(Wikipediaより)

三等船室ですら、他の船に比べると少し大き目。一等船室に至っては言わずもがな。贅を尽くした作りでした。当時の一級品のアートが飾られるわ、内装に24金が使い倒されているわだったそうで、もしワタクシメが乗船していたら、ナイフでそれとなく削っていたかもね(笑)。
出される料理は、勿論おフランスのキュイジーヌ。

でも、救命ボートが少ないぞという作りだった訳です。

そういうコンセプトだったものですから、総排水量が4万6000トンを超す巨大客船となりました。大勢の人を乗せる事で元を取ろうと言う狙いもあったようです。
それがあの悲劇にも繋がっていったわけですね。

 ケチ続きだった姉オリンピック号の出だし

ともあれ、最初に就役したのはオリンピック号でした。1908年12月16日にアイルランドのベルファストのハーランド&ウルフの造船所で起工。1910年10月20日に浸水し、翌11年6月14日に就役します。

ところが、処女航海でタイタニック号同様、やらかしてしまいました。

サウザンプトンからニューヨークには無事着いたのですが、その帰路で英国の巡洋艦「ホーク」と衝突事故を起こしてしまうのです。ホークがオリンピックの後方を横切ろうとし、右舷後方のメインマストを損傷してしまったのです。修理にベルファストに戻りましたが、全治6週間。
妹のタイタニックともども、何だかなぁって感じですよね。しかも、事故原因を究明する海難審判では、オリンピック側が悪いとされていたそうです。

しかも、1912年2月にも、また事故を起こしています。今度もニューヨークからサウザンプトンへの帰航途中。スクリューブレードが損傷し、またもやベルファストで修理。そうこうする間に、妹の方が歴史に残る大事故を起こしてしまいます。

タイタニックの事故原因を重く見た造船所側では、大幅な改造をオリンピックに施します。船殻を喫水部分まで二重底にし、船首の隔壁を小さなものに変えます。いずれも、浸水時のダメージを最小限にする為の措置。そして勿論、救命ボートも全員が乗れる数を追加したのは言うまでもありません。

 魔改造を経てセレブを乗せてゴージャスな船旅のはずが…WWⅠ

と、羮に懲りて膾を吹くというか、吹きまくるというか、魔改造を経て「今度こそ仕切り直し」となるはずでしたが、またしても大きな試練が。
そう、本シリーズのメイン・テーマである第一次世界大戦の勃発です。戦争が起きてしまった以上、セレブを乗せてゴージャスな船旅をするなんぞ「ありえへん」ようになってしまったのです。

1914年8月、オリンピックは英国陸軍に兵員輸送船として徴用されます。そして同年10月、ちょっとした冒険とも言うべき行為に出ます。触雷で損傷した戦艦オーディシャスの曳航を要請されたのです。

この戦艦の排水量は2万3400トンだったそうですから、力仕事ですね。結局、綱が切れてオーディシャスは沈んでしまいましたが。

翌1915年、再び改装されます。9月15日に再就役するのですが、外観は一変。迷彩塗装を施し、大砲まで搭載。兵員輸送船としての任務を完遂する為だったのですが、こうなると、もう立派な軍艦と言って良いですよね。豪華客船だったはずなのに、どこでどう運命が転がっていくか分からないものですな。

元豪華客船 ドイツのUボートを撃沈

さて、運命と言えば、これだけの魔改造を施した御利益からか、軍艦としては武勲を立てます。何しろドイツのUボートの魚雷攻撃にもめげず、逆に相手を文字通り撃沈させたのですから。

でかい船ですので、当然目立ちます。1916年、ドイツ側はUボートで2度魚雷攻撃を仕掛けますが、これが不発。そして1918年5月12日、U-103によって3度目の魚雷攻撃を受けるのですが、これを首尾良く回避。そして船首を103にぶつけ、沈めてしまうのです。

妹は氷山に負けたけど、姉はUボートに勝った訳ですね(笑)。

ドイツのUボート(Wikimediacommonsより)

ドイツのUボート(Wikimediacommonsより)

大戦中に運んだ兵員が20万人。航海した距離が18万マイルにも昇ったそうですから、これまた立派な武勲と言えましょう。

戦後、徴用を解かれたオリンピックはハーランド&ウルフの造船所に戻され、再び魔改造。と言っても今度は平和目的でして、迷彩を止めてオリジナルに戻し、石炭船ら石油で動くエンジンに換装。船室部分も一等船客を750室、二等船客を500室、そして三等船客を1150室と仕切り直します。運行するのは、ホワイトスター社。今度こそ、本来の業務をこなすはずでした。

が…。

 お姉ちゃん またやっちゃいました! しかも2度! ドンくさすぎ!

それは1924年3月22日に起きてしまいました。 ホワイトスター復帰後、オリンピックは1920年6月25日からサザンプトン〜ニューヨーク路線に就航。北大西洋航路を代表する豪華客船として評判を高め、またタイタニックの悲劇もようやく世間が忘れかけていた、正にその頃。

またぶつけちゃったんです。今度はファーネス社が運行するセント・ジョージと衝突してしまいました。もっとも、この時は両方ともダメージが軽くて済んだそうですが。片方は、何しろUボートを沈めるぐらいの強度にしていましたからね。

ところが、その強度が再び仇に。

えっ? そう、そうなんです。3度目の事故をやらかしているんです。

今度は1934年5月10日。月日は流れ、かつての親はライバルと合併してキュナード・ホワイトスターという新会社に。

もともと、ライバルを意識して生まれたのに…てな意識があったかどうか知りませんが、ニューヨークからサザンプトンに向かう途中、船首をナンタケット・ライトシップという船にぶつけてしまいました。深い霧で、視界が悪かったのが原因だったようですが、ナンタケット・ライトシップ側に死者が8人も出たというのですから、申し訳が立たないどころの話ではありませんよね。

それにしても、何べんやらかすんでしょう? ドンくさすぎ!

ちなみに、この航海は新会社となって初のお披露目の意味も込めていたそうです。トホホ。

まぁ、そうやって色々あったものの、1935年3月27日の最期の航海を追え、今度こそ何も無く、1937年9月に解体処分を終えます。タイタニックとは違う意味で、波乱の生涯でした。

タイタニックに負けず劣らずの薄幸だった末娘のブリタニック

さて、もう1つのブリタニック号の生涯はどうだったのか? 実はこちらも、タイタニックに負けず劣らずの薄幸ぶりでした。ちゅーか、こっちの方が悲惨。

起工は1911年11月30日。建造まっただ中でタイタニックの悲報が入ったため、こちらもオリンピック同様の安全対策を施します。そして1914年2月26日に進水式。

ハイ、お分かりのように、第一次世界大戦勃発まで、ナンボも時間が残っていませんでした。

就航は1915年12月23日。もうドンパチが始まっていました。そうなると、お約束の展開が。

豪華客船としてではなく、陸軍の病院船として徴用されたのでした。船腹に赤十字のマークを入れたので、オリンピックのように魚雷で狙われる危険はなかったはずでした。

が…。

エーゲ海のリムノス島のムドロスを拠点に、傷病兵の輸送に従事するというのが任務。あの有名なガリポリ戦にも出動しています。この他、ワイト島で6週間、浮かぶ病院としても活躍しました。

その後、1916年6月16日に軍務を解かれ、一旦は郵便運搬船と客船を兼務する事となり、その為にハーランド&ウルフで改装されていたのですが、今度は海軍省から「病院船として来てちょうだい」とのお座敷が。かくして再びドンパチの世界に飛び込んでいきます。

タイタニックの2時間より早く沈んでしまった…

ね?運が無いでしょ(苦笑)。ところが、これだけに留まらなかったのですね。何と、タイタニックよりハイスピードで沈んでしまったのですから。

1916年11月21日。ギリシャのセント・ニコラス港西方4キロで任務に就いていた際に触雷したのです。

オリンピックと違って大爆発となり、右舷やブリッジ、船首部分などが損傷。船長は港に戻そうとしたのですが、防水扉が閉まらず水がジャンジャン入って来る有り様。船長は浜辺に乗り上げる事で船を救おうとしますが、これも失敗。1125人の乗組員は上甲板に出て、脱出します。

しかし、悲劇は続きます。2隻の救命艇が稼働していたスクリューに巻き込まれ大破・沈没してしまうのです。せめてもの救いとして、付近にいた英国海軍の駆逐艦「フォアサイト」が即座に救助に向かい、死者が30人で済んだ事でしょうか。

タイタニック号が沈没まで要したのは2時間超でしたが、こちらはジャスト1時間での沈没。

原因としては、上記のような防水扉がキチンと閉鎖できなかった事(今日の研究では、電気系統に問題があったのではないかと見られているようです)と、ボイラー室の上の船室で、かなりの数の舷窓が開けっ放しになっていた事が原因だったようです。

暑いので規則違反と知りつつも開けてしまったのでしょう。当時は冷房が普及しておらず、まして戦争中でしたから。

ちなみに、戦争中と言えば、当時のブリタニック号の排水量は4万8158トン。第一次世界大戦中に沈んだ民間船としては、最大だったそうです。つまり、ワースト記録。姉妹揃って、みんな呪われていたのでしょうか?

スポンサーリンク

takosaburou・記

 

 





1位長篠の戦い 注目すべきは…


わろてんか伊能栞
(高橋一生さん)のモデル
小林一三とは?


2位 西郷隆盛49年の生涯!


3位 史実の真田幸村とは?


4位 最上義光 名将の証明


5位 ホントは熱い!徳川家康


6位 意外と優しい!? 織田信長さん


7位 直虎の後を継ぐ井伊直政とは?


8位 毛利元就の中国制覇物語


9位 伊達政宗さんは史実も最高!


10位 最期は切ない豊臣秀吉


注目! 史実の井伊直虎とは?





井伊家 井伊直虎 井伊直政 小野政次 龍雲丸
織田家 織田信長 濃姫 織田信忠 織田信雄 織田信孝 三法師 平手政秀
徳川家 徳川家康 結城秀康 徳川秀忠 松平信康 酒井忠次 榊原康政 本多正信 水野勝成
豊臣家 豊臣秀吉 豊臣秀長 豊臣秀次 福島正則 加藤清正 豊臣秀頼
伊達家 伊達政宗 伊達成実 義姫
最上家 最上義光 鮭延秀綱 山形城 大宝寺義氏 山野辺義忠
毛利家 毛利元就 毛利隆元 吉川元春 小早川隆景 毛利秀元 陶晴賢
島津家 島津義弘 島津の退き口
真田家 真田幸村 真田信之
立花&高橋家 立花宗茂 立花道雪 立花誾千代 吉弘統幸
浅井・朝倉家 朝倉宗滴 姉川の戦い 金ヶ崎の退き口
前田家 まつ 豪姫 前田利長 前田利常
黒田家 官兵衛が長政を叱責の真相
北条家 河越夜戦 小田原征伐 のぼうの城の真実
細川家
仙石家
長宗我部家
武田・上杉家
諸家 足利義輝
剣豪・武術・忍者 宮本武蔵
キリシタン ルイス・フロイス
合戦 桶狭間の戦い 長篠の戦い 手取川の戦い 厳島の戦い 月山冨田城の戦い

◆薩摩藩 西郷隆盛 島津斉彬 大久保利通 小松帯刀 西郷従道
◆長州藩 木戸孝允 木戸松子 高杉晋作 山県有朋


◆古代 安倍晴明
◆江戸 葛飾北斎
◆世界史 クレオパトラ ルイ16世 チェ・ゲバラ


わろてんか あらすじ&感想レビュー

-週刊武春, WWⅠ百年, WWⅠ

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2017 AllRights Reserved.