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週刊武春 WWⅠ百年

戦火で幻となった人類初の世界1周飛行レースとは【第一次世界大戦100年Vol.5】

更新日:

WWImontage

近現代戦史研究家のtakosaburouさんによる、シリーズ「第一次世界大戦100年」の第5弾。
大戦争が始まる前には、そんなびりびりとした空気が世界中にあふれていたのかと思ったら……その半年前には万博の目玉として人類初の世界一周飛行機の旅が計画されていたのです。

 大戦勃発の半年間の新聞はなんだかノンキ~

今年は第一次世界大戦勃発100年。それもあって、英国のテレグラフ紙が「100年前の今日」がどんな日だったかを、新聞の綴じ込みを使って丸まま(PDF、50MBと大きいので注意)紹介しています。

 

ところどころ日付けが飛んでいますが、調べて見るといずれも日曜日。当時は毎週日曜日が休刊だったようですね。

 

驚く人がおられるかもしれませんが、第二次世界大戦とは違って、実は想定外で起きてしまったのが第一次世界大戦。オーストリア皇太子の暗殺を巡る事後処理を誤って起きてしまったという流れでした。

  

1面、字ばかり。老眼いなかったのか?

1面、字ばかり。老眼いなかったのか?

 

この写真は2月3日発行分。ちなみに、戦争勃発が7月28日でしたので、この頃は半年弱を切っていた事になりましょう。にもかかわらず至って平和な日常が繰り広げられていたのでした。

当時の1面は、今と違って文字ばっかりですね。読みづらいと思ってしまいました。

2面は株式市況。左右両端にあるのは広告です。

2面、ここにある株式会社のうちどれだけが大戦を乗り切ったのか

2面、ここにある株式会社のうちどれだけが大戦を乗り切ったのか

当時の面建ては22ページ。テレグラフの解説によると、前日に国王ご一家がウィンザー城で御前公演を楽しまれた事や、アレクサンドラ皇太后の御臨席する中、ワーグーナーのオペラ「パルジファル」が英国で初めて公演された事などを報じています。

その一方で、英国で労使紛争が拡大し、学校の教員が給与アップを求めてストを起こし、学校での授業を放棄。後に残された子供達が大騒ぎしていたというエピソードも紹介しています。

 

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世界初 飛行機で「9日間世界一周」

「へ~」と思わされたのは、地球を飛行機で1周する競争イベントが計画中だと報じていた事でしょう。当時、アメリカのサンフランシスコでパナマ太平洋万国博覧会というのが計画され、その目玉イベントという位置付けでした。

優勝者が貰える総額は7万ポンド。当時の額でこれですから、もの凄いですね。実際、メイン見出しもENORMOUS PRIZES(莫大な賞)ですし。

 

飛行計画の記事

飛行計画の記事

 

1915年の5月1日にサンフランシスコの会場をスタート。周遊地点(セントルイスやシカゴ)などを飛びつつ、グリーンランドやアイスランド経由で欧州へ。ロンドン、パリ、ベルリン、サンクト・ペテルブルグ、モスクワと飛んだ後、シベリア鉄道をなぞるようにして飛びながら、満州と日本の北部へ。

更にそこからカムチャッカ半島とベーリング海峡を抜けてアメリカ大陸に到達し、ゴールのサンフランシスコを目指すという趣旨。

9日間でクリアするのが条件で、全米飛行クラブが大々的に協力すると報じていました。

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10年前にライト兄弟が飛行機を飛ばした発祥の国アメリカ

 

ここで、当時の飛行機を巡る解説をしておきましょう。ライト兄弟が動力式の飛行機を初めて飛ばしたのが1903年。

兄弟がキティー・ホークを飛んだ距離は36.5メートルでしかありませんでしたが、その後、様々な人による改良があり、次第に長距離を飛べるようになっていきます。

ドーバー海峡横断に成功したのが1909年。

この3年前に、今日では世界最大の報道サイトとなっているタブロイド紙の英国のデイリー・メール紙が部数拡張の為に「飛べた人には2万ポンド出します」と大々的に宣伝し、それを受けてフランスのルイ・ブレリオが開発した飛行機が見事ゲットしています。

当時の最先端テクノロジーを上手に商売に使っていた訳ですね。

そんな流れもあってか、同じ英国の新聞として(こちらは一般紙ですけど)、飛行機を意識していたのがこのテレグラフだったのです。現に、この2月3日付けの14面には英国の王室が見守る中をグスターブ・ヘィメルというパイロットが宙返りをしている様子を左上で紹介しています。

なお、ヘィメルは御前飛行をした2ヶ月余り後の1914年5月23日に、パリで新型機を購入して英国に飛んで戻る途中、行方不明となってしまっています。乗る側も命がけだったのですね。

日本の桜島も報道! 西郷隆盛がSAIGO JAKEMORI!

SAIGO JAKEMORIの墓から撮影した桜島

上はSAIGO JAKEMORI(ママ)の墓から撮影した桜島

余談ながら、右横の火山の噴火写真ですが、これは1914年1月10日に発生した桜島地震の様子を紹介したもの。
死者が35人も出たので、同紙でも注目したのでしょうが、発生から2週間近く経ってからの紹介というのに時代を感じさせられます。色んな意味で、のんびりしていたのでしょう。
 

飛行機に話を戻しますと、この同じ年の元旦にフロリダでタンパ(大リーグのデビルレイズの本拠地ですね)とセント・ピーターズバーグという街の35キロを結ぶ定期航空路が開設されたり、メキシコとの紛争にアメリカ海軍航空隊が出撃したりするなど、お遊びレベルから商業的にも軍用的にも使われる段階になっていました。

飛行機発祥の国ならではと言う自負を感じさせられますね。なお、日本でも6月13日に大阪で民間主催による飛行機の競技会が開かれていました。

 

そうした流れの中での一大イベントだった訳です。実現していれば。

 

世界初の飛行機での世界一周の夢…

 

それまで飛行機による世界一周は誰も行っていませんでしたが、1910年に「7日間で可能だ」と主張する書籍が出るなど、機運は高まりつつありました。1913年にジョン・ヘンリー・ミアーズという人物が船や鉄道を利用して世界一周を行っていますが、この時のタイムが36日と21時間36分。
つまり4分の1以下で回るというのですから、大幅な記録更新。そして、何よりも目立つ。

博覧会側でも客寄せの目玉にしたがったのでしょう。
実際、テレグラフだけでなく、アメリカの新聞でも注目されました。

例えば、このインディアナ州で発行されているフォート・ウェイン・ジャーナル・ガゼット紙では、計画の詳細が発表された1914年3月1日付けの紙面で「勇気ある飛行士が世界一周へ」と大々的に報じていたぐらいです。

 

 

この紙面を発掘・紹介しているwingnet.orgというサイトによると、飛行ルートは次の通りでした。

まず、サンフランシスコの会場を後にしてワイオミング州の州都シャイアンに。
次にシカゴ、更にニューヨークを目指します。
以後、カナダ東海岸のベル島、同じくカナダのノバスコシア州にあるケープ・ブレトンからグリーンランドのファラウェル岬、アイスランドのレイキャビク、スコットランドのストーノウェー、英国のヘブリディーズ諸島。
再びスコットランドのエジンバラ、ロンドン、パリ、ベルリン、ワルシャワ、ロシアのサンクト・ペテルブルグ、シベリアのトーンスク、同じくイルクーツク、満州のハルビン、ウラジオストック、ソウル、神戸、東京、カムチャッカ、アラスカのウェールズ岬、バンクーバー、シアトル。
そしてサンフランシスコの会場がゴールとなります。

 

当時の飛行機の性能を考えた、無理の無いルートだと言えるのではないでしょうか。実際、上記の全米飛行クラブがベルギーにあった国際航空連合という団体に掛け合い、当時世界に400以上あった飛行団体の協力を得て設定していたとの事です。

これは当時作成された、飛行予定ルートのマップ。お洒落なデザインにワクワクさせられますね。ちなみに、テレグラフによると、操縦士は前金で2万ポンド貰える予定だったそうです。

 

wingnet.orgでは、「この世界一周という夢は実現する事は無かった」(This round-the-world dream never happened)と、残念そうに書いています。ホント、惜しいですね。

 

戦争勃発でもめげなかった万博主催者の打った手とは?

 

理由は、言わずとしれた第一次世界大戦の勃発。飛行ルートが使えなくなってしまったからでした。1906年に起きたサンフランシスコ大震災から復興した証しとして、この博覧会を開催しようとしていた主催者側にしたら残念でならなかった事でしょう。

 

もっとも、凹んでばかりでも無かったようです。世界一周が無理となると、今度はアラン・ロッキードとマルコム・ロッキードという兄弟を招き、彼らが製作した水上機に客を乗せてサンフランシスコ湾を遊覧して客寄せをしていたからです。

これが大受けでして、開催期間中の5ヶ月で乗せた人が600人。ちなみに、フォード自動車の創業者として有名なヘンリー・フォードは「カリフォルニアで大枚はたいて、誰が作ったか知らない飛行機に乗って高さ4フィートで湾を飛ぶなんて馬鹿馬鹿しい」と言い放ち、乗らなかったのだとか(実際には、高さ300フィートまで上昇できました)。

第一次世界大戦がなければロッキード事件で田中角栄も捕まらなかった?! 

その「誰が作ったか知らない」飛行機の製造元が、兄弟の作ったアルコ水上機会社。

これが後に改名され、ロッキード飛行機製造会社となります。そう、世界的な軍用機メーカーとして今日知られているロッキード・マーティン社です。

飛行で稼いだ4000ドルを会社の運転資金に回して経営を安定させ、しかも社業拡張へと繋げ、文字通り飛躍していきました。この事を、同社のHPは誇らしげに紹介しています。

 

つまり、第一次世界大戦が起きていなければ同社が存続していたかどうか怪しいし、そうなれば同社が開発したP-38によって山本五十六が戦死する事も無かったでしょう。

また、ロッキード事件が日本で起きる事も無かったし、田中角栄が逮捕される事も無かったのかもしれません。歴史とは本当に分からないものですね。

takosaburou・記

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