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週刊武春 明治・大正・昭和時代

都市伝説となっていた「大正デモクラシー」

更新日:

 

「『大正デモクラシー』はどうして戦争を止められなかったのか」という歴史学者成田龍一氏へのインタビュー記事がSYNODOSに載っていました。

http://synodos.jp/politics/7102

大正時代の「大正デモクラシー」は、日清・日露戦争と日中・太平洋戦争の間に、民主主義華やかなる「理想郷」があったというイメージがあります。

1960年代の空気と大正世代の「昔はよかった」から生まれた?

ところが、この「大正デモクラシー」自体、かなり虚構の存在です。
大正デモクラシーの言葉が生まれたのが戦後です。この用語も、「発明者」と言われている信夫清三郎(1909~92)自身が1959年に開かれた座談会において「大正デモクラシーということはだれが言い出した言葉か知らないけれども」と語っているくらいです。

ぶっちゃけると、左翼的な歴史観で生まれた概念です。そのため、最近では大正デモクラシーについての歴史的な評価は忘れられがちになっています。
そんな「大正デモクラシー」の研究の現状を、歴史科学協議会が『歴史評論』の2月号で「大正デモクラシー再考」として特集しています。だれもが知っていた「歴史用語」がわずか数十年で「消えていく」。その移り変りに興味を持っていたところだったので、まとめました。

大正デモクラシー研究の概要は、同誌の「特集にあたって」を見るとだいたいわかります。長いですが一部引用します。

「大正デモクラシー」という視覚からの研究はアジア太平洋戦争後に始まり、一九六〇年代後半から七〇年代前半にかけて隆盛を迎えます。(略)
しかし、一九七〇年代半ばに百家争鳴的な状況を迎えた「大正デモクラシー」研究ですが、一九八〇年代以降はそもそも一般理論(グランドセオリー)や哲学的視点から歴史全体の意味を問おうとする研究が下火となり、研究は個別細分化する傾向を強めます。
「大正デモクラシー」を本のタイトルに冠したもの自体が少なくなり、たとえあったとしても、「大正デモクラシー」現象全体を真正面から扱うような研究はほとんどなくなります。
しかしながら、今まで蓄積されてきた知見ないし豊饒な世界観をこのまま捨て去ることは許せません。
特に、「大正デモクラシー」研究隆盛の背後に、戦後民主主義に対する同時代の危機意識があり、その危機が近年さらに深まっている以上、「大正デモクラシー」を再考することには意味があると考えます。(以下略、引用おわり

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最初の問題提起の時点で大正デモクラシーの評価は低かった

「戦後民主主義に対する同時代の危機意識があり、その危機が近年さらに深まっている」、つまり安倍政権批判なわけですが、大正デモクラシーが安倍政権攻撃への武器となりうるかもしれないと特集してみました、ということですね。(この雑誌の編集方針は左寄りとして業界では有名です)

ここからは最初の論考、千葉功さんの「研究史整理と問題提起」をまとめます。

「大正デモクラシー」の元祖は、先にあげた信夫清三郎氏ですが、1951、52年に刊行した『大正政治史』で、明治時代の自由民権運動に続く「民主主義の第二の胎児」として、「大正政治史を特徴づける最大の事実としてのデモクラシー運動」と指摘したことが始まりです。

ところが、信夫はこの中で、「大正デモクラシー」が歴史上に輝くべくものではなく、「民主主義の正当な嫡子ではなくて実は日本帝国主義の鬼子であった」と、低い評価をしていたのです。

この低い評価に対して、同年代のねづ・まさし氏(1909―86)が「私は、大正時代、軍事教練をさぼった学生として非常に自由な空気の中で成長した。それを回顧し、満州事変以後の日本と比較してみると、歴史家が大正時代を無視したり、過少評価したりすることは誤りではないか」と、批判しました。

千葉さんはみなまで言っていませんが、「俺の青春時代は美しかった」的な、情緒的で感傷的なニュアンスが「大正デモクラシー」という言葉や概念にあったことが伺えます。最近なら、朝ドラ「あまちゃん」が社会の中心にいて発信力ある40代に強く指示されたのと似ている現象かもしれません。

あまちゃんがバブル世代以外には実はあまり受けずに、視聴率的には「ごちそうさん」「花子とアン」に敗北したように、「大正デモクラシー」研究が60~70年代に盛り上がったのも、当時、大正世代が社会とくに論壇や歴史学界の中心的だったということも大きいのでしょう。

現に、21世紀にはいって世代が交代するとすっかり冷めています。

大門正克氏(1953―)は二〇〇六年、「大正デモクラシー研究の背後には、一九六〇年代という同時代的状況があったといっていいだろう。すなわち、政党政治への着目の背景には戦後の自民党政権があり、民衆史から大正デモクラシーを見る視点には六〇年安保と戦後民主主義があり、さらにデモクラシーの解体を議論する問題意識には一九七〇年前後の安保や学生運動があった」と指摘しています。(大門「解説」今井清一『日本の歴史二三 大正デモクラシー』中央公論新社、2006年復刊)

そして千葉さんは、ごく少ないながら最近の「大正デモクラシー」を冠した本をすべて紹介します。すべてといっても1980年代以降で4冊だけ…。

最新の二〇〇一年刊行の源川真希『近現代日本の地域政治構造 大正デモクラシーの崩壊と普選体制の確立』(日本経済評論社)で、源川氏(1961―)は「デモクラシーと普通選挙を抱き合わせた常識的な理解を覆して、大正デモクラシーが崩壊し去った一九四〇年代に『普選体制』が確立したと主張する」とします。普通選挙と結びつかないデモクラシーっていったい……。

ほかの論考は以下の通りです。
住友陽文「デモクラシーのための国体」
三輪泰史「大正デモクラシーと紡績労働者」
加藤千香子「大正デモクラシー」と国民国家」
関口寛「大正期の部落問題論と解放運動」

感想 それぞれを読んでみて、「大正デモクラシー」が歴史研究の主要テーマに返り咲いたり、現在進行の政治的な動きと連動するキーワードになることはなさそうに思えましたが、吉野作造の「民本主義」には再び光があたるかもなぁと感じました。

冒頭の「大正デモクラシー」はどうして戦争を止められなかったのかの問いの答えは、「大正デモクラシー」なんて無かった、という身も蓋もないものになりますが。

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恵美嘉樹・記

 





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