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週刊武春 フランス WWⅠ百年 WWⅠ

世界遺産フランス料理も形無し(´・ω・`) すんごく大変だった仏軍のミリメシ事情【第一次世界大戦100年Vol.11】

更新日:

近現代戦史研究家のtakosaburouさんの第一次世界大戦100年シリーズ第11弾です。やっぱり気になるのは兵士たちの処遇、なかでも食べ物ですよね。戦争中の食事=ミリメシについてです。

 さて、英国の第一次世界大戦中のミリメシ事情が大概悲惨だったことを前回「第一次世界大戦のミリメシ事情…まずいわ、量は少ないわ【第一次世界大戦100年Vol.10】」において紹介しましたが、戦場となった当事国のフランスはもっと大変でした。何しろ、助っ人として来た英国など連合軍と、自分達の軍、植民地からの救援軍の面倒を見なければならなかったからです。しかも、占領されている分、自由になる農産物は限られる訳ですから。

 そうした悲惨な事情を、17thdivision.tripod.comというサイトが紹介しています。

 フランス料理の国だもん 兵士が作って配膳せい!

 当初、フランス陸軍は大隊や中隊レベルで食糧補給していました。つまり、最前線の兵士の場合、順繰りで役割を宛てられては、自分達で調理をしたり、配ったり、塹壕のメンテナンスとかをしていた為、兵卒の間では疲労が蓄積していきました。

 …と言うか、調理できないと悲惨だよね。

 それでも、後方の守備隊や演習レベルでは、こうした役割分担は上手くいっていました。調理エリアというのが設置され、それなりのメニューもあり、兵士達は幸せだったそうです。

フランス兵の様子(同サイトより)

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 最前線で調理は無理ざーます

ところが、最前線だとそうは問屋が卸しません。緊急用の携行食を運搬するのですが、大概は失敗に終わります。上手にやってのけたのは、有名なフランス外人部隊だけだったそうです。酒をきこしめていたともあります。流石って感じですね。 

さて、こうした大隊レベルでのキッチンが、戦場では機能しない事が、やがて明らかになります。特に激戦地では全く使えず、援護されない場所に配置されたら最後、死を意味していたそうです。

最前線で食べながら戦うのはきついざんす

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急激な大動員で、末端への配慮が追いつかず

 開戦前のフランスの陸軍総兵力は82万3000人。これが一挙に372万3000人にまで膨れ上がりました。

しかも、この数には英国の派遣軍や植民地軍、ベルギー軍の残り勢力(本国からドイツ軍に追い出されていました)、外国人の義勇兵を抜きにしたもの。こうなると、末端で綻びが出るのは、ある意味いたし方無かったでしょう。ただ、それが食糧補給という所に大きな問題があったのですね。

そして、もう1つの厄介事が。当初は機動戦とも言うべき様相でしたが、やがて膠着状態になって塹壕戦となると、ユニット・ベース形式でのキッチンという方法では上手く行かなくなってしまうのです。何しろ英仏海峡からスイス国境までの長い長いライン。しかも、冬は当然ながら寒い! 

多くの部隊で新鮮な配給食が出ましたが、肝腎の塹壕に潜む兵士には定期的な調理がされる見込みは無かったのだそうです。

さすがおフランス ワインまであった…けど

ワインがあるなんてさすがおフランスざんす

幸いと言うか、せめてもの救いと言うか、メニューそのものは英国軍よりかマシでした。焼きたてのパン、果物、ソーセージに、何とワインまで出る事もあったからです。
ところが、携行食が補給不足で欠乏していました。先の英国陸軍のミリメシ事情を紹介した際、敵陣を奪取しながら食糧補給が出来ずに放棄を余儀無くされる事例があったと言う下りがありましたが、フランス軍でも事情は似たり寄ったりだったんでしょうね。

それでも、小隊もしくは中隊レベルで間に合わせのキッチンを作って調理し、不規則ながら前線に到着していた食材から温かい料理を食べる事があったそうです。ここらは、おフランスさんらしいですね。

もっとも、スープかシチュー、カップ一杯のコーヒーが飲めれば、その日はラッキーだったそうですが…。

「カロリー摂取量、何ですかそれ?」状態

こないだの記事と読み比べると、何だか英国側に比べて妙にアバウトさがあるなぁ」。そう、その通りなんですね。

 まず、標準的なカロリー摂取量が決められていませんでした。その上、1915年初頭になるまで機能しそうな補給システムすら無かった。ドイツ軍が前進して来たので、彼我のギャップを埋めようと軍需省が立案し、ようやく動き出したという感じだったのだそうです。これによって、連合軍の来援もしやすくなりました。

また、膠着状態になったので野戦用キッチンも新しいコンセプトを求められるようになります。まず、背嚢型のフレームに大きな缶詰を入れて、塹壕に食事を運び込む。そして前線の後方で食事を取るというのが流れでした。

3種類あった携行食=ミリメシ

 

そうやってバタバタしながらも、1915年にはフランス軍兵士向けに3つの携行食(つまりミリメシ)が出来ました。将校と兵士とでは差があったそうです。

 

1 標準ミリメシ。 肉と野菜、デザート、パン、及び火を通した食材とワイン。14日間、それぞれ違ったメニューだったとの事で、概ね好評だったとの事です。もっとも、これは後方の守備隊での話。施設も鉄道の近くや、医療施設や休息用のキャンプ地などに作られていました。前線の兵士には、こうした恩恵は殆ど無し。塹壕戦での軍務が長引き、交代は希。そして、神経をすり減らすというパターンだったのだとか。

2 野戦ミリメシ。 一方、野戦キッチンはメニューそのものが限られます。そして、これがミリメシのデフォルトでした。移動式のキッチンは前線近くで調理を始め、何とか食べられる程度の状態で配られ、そして栄養バランスは全くありませんでした。しかも、こうやって配膳する兵員を狙っての砲撃(しかも大規模)があり、「スープ人」と呼ばれる担当兵士は、最前線の歩兵よりも危険だったそうです。荷物を捨てるわけにも行かず、隠れようも無く、ではさもありなん。

 

かくして、何とか前線に到着した食事は、冷たくなっているのは勿論、味も今一つ。しかも、しばしば不潔でした。パンなどは包装されておらず、コーヒーは空き缶で飲み干していました。もっとも、メニューは貧相でしたが、それでも必ず焼いた肉や塩漬けの魚(辛すぎたそうですが)や、挽肉のパテ、ラードや野菜、米、豆などは入っていたそうです。

 

そして、先にも紹介しましたが、ワイン。安いながらも全員にふるまわれるように頑張っていたそうです。近くに英国軍がいた場合は、分ける事もあったのだとか。

 おフランスの意地って所でしょうか?

 3 保存食 これについては、フランス本国軍と植民地軍との分け隔てはなかったようです。

 不味かったりする場合もありましたが、使っている食材は概ね栄養面で不足していませんでした(つまり、ここでようやく配慮するようになった訳です)。常に食欲をそそるという感じではありませんでしたが。この辺は、英国陸軍がアイアン・ミリメシで済まそうとしたのと対照的だったようです。

 長期化するに連れ、現地調達!戦国時代かっ…一応、合法的に

 ともあれ、長期化し始めると、現地調達その他の手立てが考えられるようになります。

戦いに行くざんす 飯おくってちょ

 まず使われたのが小包による食料の郵送。友人や家族などが出すケースが多かったのですが、出征前の学校や企業が送る事もあったそうです。各種団体も後押ししていたようですね。
家族による郵送は、特に良く使われました。ちなみにドイツでは前線も後方も同じ配給食を割り当てていたそうです。「兵隊さんの苦労を思いなさい」って訳でしょうか? もっとも、それもあって革命となってしまったのかも。

また、「買い出し兵」が、良く出没しました。補給ラインが寸断される事がままあったからです。

こうした買い出しは、最前線ではなく、後方で入院中や検疫を受けている時だったり、占領下の街でだったりしました。低価格で作られたミリメシやタバコ、お菓子、ケーキ、焼きたてのパンなどが人気だったそうです。

最後のケースが、ちょい悪系。補給トラックの後部から盗み出されたアルコールが、食料と交換される事があったそうです。

もっとも、フランス軍は地元で戦っていた為、民間から盗み出す真似は殆どありませんでした。希にこういう事件が発生すると、陸軍側では軍法会議にかけた上、銃殺刑で臨むという厳しい態度を取っていたからです。

食の恨みがあわや国際問題にも?

フランス料理期待していたのにまずいんだよ

 …まぁ、ギリギリこういう不味いミリメシも、自国民の兵士に配膳するだけならアレでしたけど、来援してくれたアメリカ軍や英国陸軍にも出していたのは、ちと問題かなと。よく、3国間で揉めなかったもんだと思わされてしまいます。
 出されたのはニューヨークで編成されたアメリカ州軍第15大隊所属の第369歩兵中隊とハーレム・ヘル・ファイターズという部隊。両方とも黒人を中心にした編成だったようですね。ハッキリと不満を残していたそうです。もっとも、出された中のカフェラテは気に入ったらしく、戦後のニューヨークの食文化に影響を与えていったのだとか。

ハーレムヘルファイターズ(同サイトより)

 一方の英国兵ですが、こちらはフランスのミリメシを「まずいけど、量は多い」と評していました。一応OK? 前回の記事を読むと、そうだろうともと思わされますね。切なすぎるオチが妙に哀しいなぁ(涙笑)。

 takosaburou・記

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