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キュリー夫人(Wikipediaより)

フランス 週刊武春

キュリー夫人が直面した修羅場 「リケジョ」の元祖もスキャンダルに襲われていた!

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「リケジョ」―――これほど短期間のうちに、イメージの乱交下を起こした言葉も珍しいでしょう。個人的には、不正があったなら理研が粛々と処分を下せばよいだけの話ではないか、とSTAP細胞をめぐる過熱報道を見ていて思ってしまいますが。(*2014年4月の記事です)

この件がこれほどセンセーショナルに扱われているのも、渦中の人物が科学研究では珍しい若い女性だからでしょう。そう考えると、100年前のフランスで起きた騒動と、「STAP細胞騒ぎ」が加熱した理由の本質は似ているのかもしれません。つまり、大衆やマスコミは、100年前から進歩していない、ということになりますが……。
今回のヒロインは、誰もが知っている女性科学者、マリー・スクウォドフスカ=キュリー、通称キュリー夫人です。最近の記事(レントゲン車じゃない!胡瓜車だった!レントゲン車の考案はキュリー婦人【第一次世界大戦100年Vol.6】)でも、その生涯は紹介されましたね。

キュリー夫人(Wikipediaより)

キュリー夫人(Wikipediaより)

では、そのスキャンダルとは、一体何だったのでしょうか。ただし、彼女は科学に対する不信を招くような行為はしていません。スキャンダルの要因は、ある意味実に人間的なものでした。

ノーベル賞受賞したのにまさかのアカデミー会員落選

1903年、ひと組の夫妻にノーベル物理学賞が授与されます。ピエール・キュリーとマリー・キュリーの夫妻、功績はラジウムの抽出に成功したことでした。受賞は科学者夫妻にとってこれ以上ない栄誉でしたが、いいことばかりでもありませんでした。女性として極めて珍しい本格的科学者というニュースバリューから、世界中からマスコミが訪れ、社交的な場にも引っ張りだこになってしまったのです。もともと平穏な環境を好んだ夫妻は辟易してしまいます。
それでも、科学者夫妻は経済的にも楽になり、研究環境も良くなりました。しかし、1906年4月19日、突然の悲劇がキュリー家を襲います。夫ピエールが荷馬車に轢かれ命を落としてしまうのです。享年46歳、妻と二人の娘が残されました。マリーの受けた衝撃と悲しみはいかばかりであったでしょうか。

それでも、彼女は前に進みます。ピエールがソルボンヌ大学理学部で受け持っていた講義を引き継ぎ、(初講義には学外からも人がつめかけたそうです)1908年にはフランスで初めての女性大学教授に任命されます。1911年には、科学アカデミー会員に立候補。しかし、女性の社会進出が遅れていた時代のこと、保守派の反対によって落選してしまいます。

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突然降って沸いたスキャンダル

そんなさなかの1911年11月4日。「ジュルナル」という新聞の一面トップに、大見出しの記事が出ます。「恋の物語、キュリー夫人とランジュヴァン教授」。その記事には、「ラジウムの火は一人の科学者の心を燃え立たせた。そして、この科学者の妻子はいま涙にくれている」と書かれていました。翌日、パリの新聞は全て追随してこの件を取り上げました。

マリーより5歳年下のポール・ランジュヴァンはかつてピエールの弟子で、マリーとは旧知の仲でした。当時、仕事に無理解だった妻とうまくいっておらず、別居状態。未亡人のマリーがランジュヴァンに同情して相談に乗っているうちに、恋愛感情が芽生えたのでした。

離婚訴訟を起こそうとしていたランジュヴァンの妻が、夫の引き出しからマリーの手紙を盗み出し、それが記者の手にわたってしまったのです。「キュリー夫人が年下の妻子ある科学者と不倫」―――新聞・雑誌はこぞってこの事件を取り上げ、マリーの手紙が何通も暴露されました。

新聞はキュリー夫人を非難する論陣を張り、彼女がポーランド出身であることから「ポーランド女は出て行け!」とわめきたてる人々も現れます。彼女の家の周りにまで人が押し寄せ、石を投げるものまで出てきました。
ソルボンヌ大学理学部長アペルはキュリー夫人の教授職を解任しようとしますが、娘の猛烈な反対を受け、かろうじて思いとどまります。この騒動によって、キュリー夫人は完全に憔悴しきってしまいます。

彼女が、史上初となる二度目のノーベル賞(化学賞)受賞通知を受けたのは、そのさなかのことでした。しかし、この偉業もマスコミのスキャンダル報道をすぐには鎮めませんでした。

1911年12月、キュリー夫人は気丈にも、ストックホルムでの受賞式に出席、受賞講演をきっちりとこなします。ここでついに心労に限界が来たのか、体を壊し、翌年まで外国で静かに療養することを余儀なくされます。

スキャンダルが風化するには、1914年の第一次世界大戦勃発を待たなければなりませんでした。その後の彼女の活躍は、上記の過去記事に譲ります。(その頃には心身は回復したようで、スーパーウーマンぶりを見せつけてくれます)

スキャンダル報道はパイオニアゆえの試練か

以上で見てきたように、キュリー夫人はスキャンダルによって非常に苦労をしました。しかし、彼女の行いはそこまで責められるべきものだったのでしょうか?夫を失い、孤独を満たしたかった状況。不倫とは言え、相手は離婚寸前。マスコミの報道さえなければ、新たな幸せを掴むこともできたかもしれません。
結局、騒ぎをこれほど大きくしたのは、彼女が珍しい女性科学者で叩きやすかったこと、もっと言ってしまうと男性中心主義の社会ゆえの妬み・そねみゆえだったのでしょう。キュリー夫人は、女性が新たな分野に挑戦する筋道をつけたパイオニアでした。それゆえ、この試練を受けなければならなかったと言えるのではないでしょうか。そして、彼女はその試練を見事に乗り越えてみせたのでした。




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三城俊一・記
参考文献:「二十世紀を変えた女たち」安達正勝、白水社2000年




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