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タイタニック号/wikipediaより引用

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週刊武春 災害・事故

102年前のタイタニック号沈没でも二転三転していた遭難報道

更新日:

当サイトで「タイタニック号生存者のその後」や「第一次世界大戦100年」シリーズを執筆している近現代研究史家のtakosaburou氏からの緊急寄稿です。氏はネット上では、メディア時評のブロガーとして知られており、100年前と現代の「海難事故での報道」についての比較と考察です。

100年前の遭難事故との報道比較

今回の韓国のフェリー沈没事故は、実に痛ましいですね。お亡くなりになられた方々に高校生が多かったというのが悲劇的。いの一番に逃げた船長が、かつて同社のプロモーションビデオで、「我々の船で仁川から済州島まで向かわれる乗客は安全性を享受しながら楽しい旅となるでしょう。そして私は、我々船員の指導に従う限り、他のどの船 よりも安全な船旅だと信じております」と、ヌケヌケと嘯いていた事が明らかになっていますし、一体全体どうなっているのかと思わざるを得ません。

 

死者数が多い事や、事故の時期が共に春先という事からタイタニックと比較する報道も散見されるようになりました。では、タイタニックが遭難した当時は、どのような報道だったのかを紹介してみましょう。

 

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遭難の一報後は、迷走が続いた

 

その前に、改めて当時の社会情勢をおさらいすると、無線というのは一般的に周知されていませんでした。と言う訳で、ラジオもテレビも無し。報道機関は新聞だけだったのです。

 

その新聞とて、遠隔地の事故取材は今のようにはいきません。空撮など絶対無理って時代でした。当時、既にAP通信社は存在し、電信で配信報道を行っていたものの、北大西洋での事故というハンディは、同社を始めとして各社を迷走させる事となりました。

 

アメリカ東海岸で発行するドーリーズタウン・バッキンガム・ニュー・ブリテン・パッチという老舗地方紙の報道(2012年4月16日付け)によると、次のような展開だったそうです。

 

まず、一報を書いたのは、あのニューヨーク・タイムズ。月曜の朝刊にタイタニック号が深夜になるまえに氷山に衝突したと報じていました。その後、沈没が確認されたとの続報を掲載していたそうですから、流石は伝統ある新聞という評判に恥じぬ報道ですね。

 

反面、誤報をやらかしていたのがニューヨーク・サンという新聞。同じ月曜の報道でタイタニック号の乗客は全員救出され、船も損傷を受けたが港に曳航中だと書いてしまいました。韓国のフェリー事故でもそうですけど、こうやって一旦希望を持たされてから絶望の淵に再び突き落とされるという悲劇が、102年前にもあったという訳です。

 

では、ドーリーズタウン・バッキンガム・ニュー・ブリテン・パッチ(長いから、以後は『パッチ』と書かせて頂きます)は、どうだったのか?

 

1面トップは地元の聖職者の集会の記事。遭難事故は2番手で、しかも続報が無かったせいか、そのまま数日間記事を載せていたそうです。

 

別段、手抜きとかでは無く、当時はこういう報道スタイルが普通だったようですね。写真を掲載していなかったので、読者はタイタニック号がどんな船なのか分からなかったそうです。

それぞれの記事はニューヨークで前日に書かれていたものでした。日付も前日になっていたそうです。当時のAP通信が、同紙にも配信していましたが。もっとも配信元が何処かは明記していませんでした。

 

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何故かニューヨークではなく、フィラデルフィアからに

 

時系列に当時の報道を再現してみると、こうなるそうです。

1912年4月16日の午後の版。

この日の見出しは、前日のニューヨークの状況を報じた記事でしたが、途中からはフィラデルフィアを取材の前線基地としたようです。生存者の数について楽観的な見方をしていました。当初は1500人が死亡したと見られていたそうですが、下方修正したのです。

一方、業界用語でいう「盛った」記事も載せてしまいました。タイタニック号を「1000万ドルの浮かぶ宮殿」("$10,000,000 floating palace,")と表現したのです。実際は750万ドル。こういうのは頂けませんな。ちなみに、この額を現在の物価に換算すると約4億ドルになります。

タイタニック沈没、1500人死亡か

【フィラデルフィア=4月16日午前11時発】遅くに入った特電によると、タイタニック号の死者数は当初ほど大きな数では無いと確信させる事が分かった。少なく とも800人が生存している。乗組員の死者数は多い。救出された乗客数のリストは着々と明らかになっている模様。現在までに判明している事として、生存者 は少なくとも900人にいるとされており、今後更に増える可能性も出てきた。

ここらで、「あ、ヤバイかも」って感じで報道しているように取れます。


【ニュー ヨーク=4月15日発】水深2マイルの暗い夜の海域に、ホワイトスター社が偉容を誇る最新鋭の蒸気船であるタイタニック号が今朝方、2時間と20分で沈んでしまった。月曜夜にニューファウンドランドにあるレース岬の無線局に入った特電と、ホワイトスター社のニューヨーク事務所が渋々ながら作ったタイムライ ンなどによると、氷山との衝突でタイタニック号は致命傷を負い、乗り組んでいた2200人の内、1500人が船内に閉じ込められたまま亡くなったのではないかとする関係者の心配に対し、事実の模様である事が判明した。675人が救助されたが、大半が女性と子供だという。

陰鬱な数字が明らかになるにつれ、世界で最も贅を尽くし、他の如何なる船よりも大きく、かつ処女航海で高速を発揮していたタイタニック号の沈没は、海運史上で最悪の記録として記録される事となろう。

実際、世間の理解ではそうなってしまいました。ちなみに、死者数で言えばタイタニックよりまだ酷い事故があるのですが、これは別の機会に紹介しましょう。

一報が入ったのは、本日(月曜)早朝だった。タイタニック号が日曜午後10時頃に氷山と衝突した事を示していた。つまり、この最も輝かしく、安全性に細心の注意が払われた建造費に1000万ドルもかけたこの近代蒸気船は、致命傷を負って4時間少しで沈んだ事になる。かけがえの無い乗員乗客の命と共に、最初の大西洋航海完了を目前に控えながら。

本日(月曜)の夜7時になって、氷山と衝突した海域から700マイルの圏内にあるレース岬の無線送信所から相次いで至急電があった。月曜朝の午前2時20分、死の衝突から3時間と55分後、タイタニック号は沈んでしまったというのだ。このニュースは蒸気船のカルパティア号から発せられホワイトスター社の客船オリンピック号が中継した。ニューヨークに発した無線通信で、時間との競争となったが、残念な事に届いた頃には手遅れとなっていた。

しかし、水上には救命艇が下ろされ、その中に乗っていた生存者の数は、この日遅くに受信した悲惨な報道では675人かそこらいたという。こうした生存者は、助言を受けた事もあり、カルパティア号と共にニューヨークに向かっているという。

残る乗員・乗客はカルパティア号が到着した頃には手遅れだった。1000万ドルかけて建造された浮かぶ宮殿で、1400人もの乗客が豪華な航海を楽しんでいたのだが、何人かは残骸と運命を共にした。超巨大船は沈んでしまったのだ。急速に、数百人の命を巻き込んで。

沈んだ時間とかはアレですけど、ここでようやく事故報道らしき体裁となっているのがお分かりでしょう。

生存者数が「確かな情報」では無かった

17 日になると、報道トーンが暗いものとなっています。しかも、ここでも誤報が。記事では「確かな情報」として、カルパティア号が868人の生存者を救助したとしていますが、実際に助かった710人より多めの数字。どうも乗客と乗組員の数を集計した際、混乱が生じたからだそうです。

そして遂に、こんな記事が掲載されています。

 

タイタニックの乗員・乗客1332人がカルパティア号に救助されたとの望みは捨てよ
【ニューヨーク=4月16日発】時が経つにつれ、タイタニック号の死者数について、より驚愕するような話が舞い込んで来ている。現場海域から発せられた数少ない短いメッセージによると、浮かんでいるのは氷山だけであるとの事で、残されていた僅かな希望を打ち砕いてしまった。

確かな情報として、昨日(月曜)に当初の報道にあった675人の生存者数は、868人にまで増えている。乗客と乗組員を会わせた数だ。つまり、死者数は 1332人となる、生存者はキュナードの蒸気船カルパティア号に載っている。カルパティア号は最速を出したとしても遅い船であり、船長によると汽罐を慎重に操作しながら、危険な氷山の海域を操舵しているという。

日曜夜に起きた惨劇を聞く機会(訳注:つまり無線を受信する機会)が無かった。現在の速度では、金曜朝もしくは木曜夜まで打ちひしがれた生存者を乗せてニューヨーク港に寄港出来そうにないとの事だ。

生存者の圧倒的多数が女性と子供だったという報道は、死の危険に瀕している際にも、「紳士はか弱い女性や子供に場所を譲るべし」との暗黙の海の掟が無視されていなかった事を示しているのである。

カルパティア号での気の滅入る生存者の集計と、死亡者名簿の作成作業が進むに連れ、生存者に含まれる男性の割合が悲しいまでに少ないとの恐れが膨らみつつある。成文法に優先する形で、海の伝統を知る人によって、強い勇気ある男性、つまり海軍や商船の艦長や船長は、最後の1人が船を後にするまで自分も去ってはならない事になっている。既定の結論として、スミス船長は 自らの輝かしい任務をレース岬沖の底知れぬ深みに、船と共に終えたのだ。救命艇を操舵するという例外的任務に就いた乗組員を除けば、多くも船長と運命を共にした模様である。

言いたくは無いですけど、今回の韓国のフェリーの船長とは偉い違いですね。

翌日17日午後の記事には、こんな社説が載ったそうです。沈没2日後の社説です。

タイタニックの残骸(社説)

受信した断片的な特電を組み立ててみると、このホワイトスター・ライン社の客船タイタニック号がニューファウンドランドの沖合で氷山と衝突して沈んでしまった海難事故は、最悪かつ恐るべき災厄であった事が分かる。

船舶建造に当たり、喫水の区画には安全装置が施され、マルコーニの驚くべき無線の利用が救助に役立った筈だから、報道で浮かび上がる膨大な数の死者は受け入れがたいものがある。

タイタニック号でも安全装置は働くと考えられていた。船は乗員や貨物を運ぶ、モダンな浮かぶ宮殿のモデルだった。近代船建造の最新の勝利であり、その処女航海は著名で数多くの乗客が記載されたリストと共に、世界中が注目していた。

しかし、受け入れがたい事が起きた。船の最も脆弱な部分が被害を受けた。無線により救助船が来る前に、水面下2マイルとされる死の床に沈んでいった。熟練した操舵士や造船技師ですら起きる筈が無いと信じていた事が起きてしまったのである。

もっとも近代的な船舶でも、場合によっては沈むと言えそうだ。そしてタイタニック号は氷山が多数浮かんでいる海域を全速力で突っ切っている際、そのような状況に遭遇してしまったのだ。

今までのあらゆる災害で鍛え上げられた乗組員にも、他でならば払っていただろう筈の注意を怠り操舵したのかもしれない。もしくは保守的な船乗りなら取るべきだった針路よりも大きなリスクを取るに当たり、自信があったのかもしれない。

しかし、その結果は恐るべき事となった。凄まじい数の死者が出たという戦慄するべき事実の前では、そして船と運命を共にした失ったものについて考える事無しには、いかなる言葉を発しても無意味であろう。

背景説明が弱いのは、締め切り時点で事実関係が不明だったからでしょう。

そして4月18日の午後の記事。

現在までの集計では、生存者は705人だ。しかし、死者数を1312人以下だとする記事もなおある。一等と二等の「船室」の乗客は、三等 船室の乗客よりも報道価値があるものの見なされているのではないかとする懸念が表明されている。498人の乗客の生存者の内、202人が一等船室の乗客 で、118人が二等船室、178人が三等船室の人達だった。残る212人は乗組員だった。

報道のあり方が、問題視されているのが分かります。ちなみに、見出しでは231人の一・二等船室の乗客が救助されたとあるのに、記事の文頭では328人だとし、更に末尾の方では320人としています。迷走していますね。

迷走と言えば、こんな記事も。

タイタニック号から705人が救出された模様、231人は一・二等船室の客か

【ニューヨーク=4月17日発】タイタニック号から救助された人達の集計が本日(水曜)完了した模様だ。カルパティア号からの受信を特に精査してみたところ、610人の一・二等船客のうち、救助船に助け出された人は僅か328人しかいなかった。

昨日(火曜)に送られてきたリストでは、282人の一・二等船客の名前が無かった。日曜のニューファウンドランド沖での氷山との衝突の際、1312人の方々に譲ったものと思われる。

ア メリカ海軍の通報艦チェスターが本日(水曜)遅くに打電してきたところでは、艦はカルパティア号と更新し、一・二等船客の全てのリストを送信するよう求めた。それに対してカルパティア号側では、既に名前は全部送ったと答えている。残る540人は三等船室の客か乗組員だという。

無線通信担当員のクナーダー・フランコニア氏が送信してきたところによれば「救出した人は全部で705人」だという。

これに先立つカルパティア号電として、868人が助け出されたとしていた。カルパティア号が救命艇から助け出した生存者の中から乗客のみを数え出し、100人以上の乗組員を除外していたからだと思われる。

ジョージ・D・ワイドナー氏やジョン・ジャコブ・アスター氏、ウィリアム・T・スティード氏、イシドール・ストラウス氏などの名士が送信の際にリストから除外されていた可能性は無いに等しい。こうした方々が船と運命を共にされたという事を疑うのは難しい。

お名前の上がっていた方々の御家族は、どんな思いだったのでしょうか…。

やっと直接取材が可能に…発狂していた生存者も

タイタニック号での有名なエピソードとして、乗船していたバンドがパニックを鎮めようと音楽を演奏、最後の演目が賛美歌「主よ御許に近づかん」だったというのがありますが、それが判明したのが、18日。カルパティア号が木曜夜にニューヨークに寄港したからです。

記事には情報源が書かれていませんが、複数の記者がカルパティア号に押しかけ、時間は経ていたものの、生存者と話をして得た可能性があるとしています。木曜付けの記事では生存者は705人となっていましたが、この日になって745人に修正。ところが土曜になると、これが再び705人になります。

記事はこうです。

「主よ御許に近づかん」。タイタニック号、バンドの賛美歌演奏と共に沈む

【ニューヨーク=4月18日発】キュナードラインのカルパティア号は、病院船としてだけでなく、葬送船としても活躍してしまう事となった。船はゆっくりと波止場に今夜(木曜)午後9時35分、キュナードの姉妹船が停泊する第14番通りの波止場に入港したのだった。

カルパティア号は月曜未明にホワイトスター社の世界最大の客船タイタニック号が沈んだとの凶報を受けてから、初めて間違い無く公式のニュースをもたらす事になった。

ここ数日の経験で一時的に錯乱してしまったものとみられる女性~男性も何人かいた~の甲高い笑い声が、まず波止場に響いた。

ともあれ、とうとう事実が救助に当たったカルパティア号から明らかになった。

沈没したタイタニック号と運命を共にした人達は1595人である。助けられた人は当初745人だった。

救命艇や、浮遊している木などに捕まりながら助け出された人の中から、10人がカルパティア号に移乗して苅らなくなった。2人が月曜に、8人が水曜に水葬された。

4人の遺体がカルパティア号の貨物室に安置されている。女性や下級乗組員として救命艇を指揮した乗組員、2人の船乗りが含まれている。

今夜入港した745人の生存者のうち、210人が乗組員だった。その多くがスチュワードや火夫だった。上級乗組員で助け出されたのは4人に過ぎない。

こうして助け出された人にも、酷く苦しんだ。数十人もの女性がカルパティア号で病を得るか、発狂してしまった。

タイタニック号から下ろされた救命艇の2隻が、沈む船の巻き起こした波に呑み込まれてしまった。

これ以外に殆ど女性ばかりが乗っていた救命艇2隻ではタイタニック号から逃れようとした乗客を過剰に乗り込ませた為に沈んでしまった。

タイタニック号が沈んでしまった後、多くの人が救命艇によって助け出された。この巨大な蒸気船は、バンドが演奏する「主よ、御許に近づかん」の賛美歌と共に海に没した。船に残された人達は危機に当たって自らを落ち着かせた。そして沈んだ際、叫び声はなかった。

迷走はしたものの、ようやく正確かつ涙を誘う記事となった。そんな所でしょうか。

運航元の会長、針のむしろに座らされる

事故後、アメリカ上院の小委員会が結成され、全容解明に当たり始めます。こないだの記事でも紹介しましたが、船籍は英国にありましたが、運航元のホワイトスター・ライン社はアメリカのJ.P.モルガンの傘下にあったからです。

カルパティア号が入港後すぐに、聴聞がニューヨークで始まります。証言者の中にはホワイトスター・ラインの会長であり、乗船して生存したJ・ブルース・イズメイも含まれていました。他の乗客が船に取り残され亡くなっていたので、アメリカの新聞で非難されたそうです。文字通り、針のむしろ。

小委員会を率いていたのはウィリアム・A・スミス議員。1週間後、場所をワシントンに移して聴聞を続け、これが5月25日まで続けられました。

小委員会の報告書は5月28日に発表されました。幾つかの結論を出しています。衝突当時、タイタニック号の速度が速すぎた事、氷山警報に注意を払わなかった事などを挙げています。乗組員に非常時の避難関する訓練等が不足しており、これが救命艇の幾つかに乗客を過少にしか載せず、数百人もの命が失われたとしています。

また、無線士の当直を配置させず、救難信号を見ながら反応しなかったとしてカリフォルニア号の船長と乗組員を、小委員会は非難しています。

小委員会の答申を基に、議会では船舶に乗員・乗客全員が乗れるだけの救命艇を配置し、隔壁や船殻を強化して氷山の衝突に耐えられるよう、また無線士を24時間単位で当直させ、救難信号は非常事態にのみ打ち上げるよう指導する法律改正案が成立しました。

1914年には13ヶ国が集まった会議が召集され、国際的な水域での船舶の運用規則や北太平洋での氷山監視に諸国で協力していく事が確認されています。

ちなみに、パッチ紙の最後の記事は以下の通りでした。

200人近い命、救命艇に乗り損ね失われる

【ニューヨーク=4月19日発】タイタニック号の悲劇の詳細が広く伝えられる中、船の乗組員やカルパティア号が本日(金曜)上院小委員会に呼びだされ、歴史的な海難事故の責任がどこにあるかを決める調査に協力する事となった。

調査は朝から夜にかけてニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルで行われ、開始早々に成果を上げた。この特異な事件での責任の所在だけでなく、今後大西洋を往き来する巨大船舶の数千人の安全を保証するのである。

調 査はニューヨークで行われ、その論調や世間の感じている疑問がアメリカ上院の議場でも示された。イサドール・レイナー議員は輝くメリーランド州選出の議員であるが、そのレイナー議員はJ・ブルース・イズメイ氏とホワイトスター・ラインの役員を議場で弾劾した。イズメイ氏についてはどうして救命艇に場を得られたのか。また、有料で乗船した人達や乗組員や船長を含む高級船員が船に残り、死んでしまったのは何故か。またホワイトスター・ラインに対しては運んでいた乗客の3分の1しか助け出せなかった救命設備の不備は何故かといった疑問である。

レイナー議員は「英国の司法」は保証されると請け合いつつ、アメリカの法理に乗っ取って船の沈没に当たっての刑事責任の特定がされるとした。未曾有の大事故の過失者が誰なのかを、これにより決めるという。

実際の生存者数は705人にまで減った。従って、タイタニック号の悲劇は海難史に、気の滅入る碑を刻む事となろう。2340人が搭乗。1635人が死亡。生存者、705人と。

ウィリアム・オールデン・スミス上院議員(ミシガン州選出)は議会での調査の司会を務める。証言者の中にはJ・ブルース・イズメイ氏やC・H・ライトホルダー 二等船員、カルパティア号のローステン船長、カルパティア号の無線通信士のトーマス・コッタム氏、救難に道を開いた無線を考案したシニョール・マル コーニ氏らがいる。

最初に宣誓したイズメイ氏は神経質そうに見え、証言を躊躇しているように思えた。同時にイズメイ氏の地位は状況の中で圧倒的なものだった事を示していた。実際、同氏はこのような危機の中で船の取るべき対処に傲慢で、左舷よりも右舷の救命艇を減らすよう命じていた。これが原因で混乱となり、死者数を200人増やしてしまう事となった。

イズメイ氏には踏み込んだ質問もあった。救命艇に乗り込めたのはどうしてか、と。数百人もの乗客が~その多くは騎士道精神をお持ちの男性であったが、死を選んだというのに。これに対し、イズメイ氏は救命艇に後1人だけ乗れると分かったとき、自分の近くにいた他の乗客がいなかったから乗ったまでだと主張していた。

良くもまぁって感じですよね。ちなみに、事故当時のイズメイの年齢は49歳。実業家として脂の乗りきっていた筈でしたが、以後の人生はこうでした。

 

ウィキペディア英語版によると、事故翌年の1913年にホワイトスター・ラインの会長職を辞任。第1次世界大戦中は英国商船隊の訓練船を建造したり、亡くなった水夫の遺族に寄付したりという贖罪活動に勤しみますが、1920年代に引退。アイルランドのコッテージに隠棲します。

 

やがて、糖尿病を発病。今度はリバプールの小さな家に移り住み、1937年10月17日にロンドンで脳血栓症が原因で死去します。享年74。事故後、四半世紀が経っていました。

 

荒涼たる後半生だった事は間違い無いでしょう。今回のフェリーの運航元の社長と船長の今後の運命も、イズメイに重なるのでしょうか。

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