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【歴史マンガウソホント】手塚治虫「火の鳥 鳳凰編」で古代史を学ぼう!はちょっと待った

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歴史ファンならずとも一度は読み、手に汗を握り、人間の無常に涙したことがあるであろう手塚治虫「火の鳥」シリーズ。その「鳳凰編」で物語を彩った実在の貴族たち、吉備真備、橘諸兄、藤原仲麻呂……奈良時代の権力闘争、最後に笑ったのは誰か?マンガとは違う史実を紹介します。

フィクションながらストーリー力に引き込まれすぎる「火の鳥」

舞台は奈良時代。生まれてすぐ片腕を失った悪党・我王と、その我王に片腕を傷つけられた仏師・茜丸。過酷な運命を背負いながら、二人は仏師としての道を極めていき、運命の対決に至る―――「火の鳥」シリーズの中でも人気の高い「鳳凰編」のあらすじです。
鳳凰編
乱世編
過去を描いた「火の鳥」各編は、史実をベースにしながらもかなり自由に物語を作っているので、大きく史実と異なってきます。特に「鳳凰編」「乱世編」では、実在の人物の名前が多数出てきますが、手塚氏はそうした名前を、あくまで虚構に現実味を持たせるツールとして使っていたように見受けられます。

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「乱世編」は史実通りだけど「鳳凰編」はちょっと…

それでも、源平合戦を描いた「乱世編」の人物は、概ね史実通りに動いていきます。問題は「鳳凰編」。実在の人物の名前を使いながらも、かなり史実から離れているので、この作品を読んだ人が日本史を学ばなかったら、非常な誤解をしたまま一生を終えそうな気がします。(別に実害は何もないのですが)

今回は、「火の鳥 鳳凰編」に登場する貴族たちが、実際はどんな運命をたどっていたのかを検証していきましょう。

 検証 火の鳥鳳凰編の「史実」

・「火の鳥 鳳凰編」での貴族たち

本編に登場し、権力闘争を繰り広げた実在の貴族は3人。橘諸兄、吉備真備、藤原仲麻呂です。彼らの争いに、史実である奈良の大仏建立の事業が重なります。

漫画での彼らの様子はどうだったか。まず、吉備真備と橘諸兄は対立関係にあります。その後闘争に敗れた真備は左遷され、その後奈良の大仏の完成。最後は諸兄の権勢が傾き、藤原仲麻呂に脅かされかける形で終わります。移ろっていく権力の虚しさ、権力闘争に必死になる当事者や周囲の人々の卑小さを表しているかのようです。まさに栄枯盛衰。

・当然ですが、史実はもっと複雑!

では、史実の流れはどうだったのでしょうか。まずは最初の権力者、橘諸兄から。

737(天平9)年、当時権勢を誇っていた藤原四兄弟が、相次いで天然痘で死去してしまいます。翌年、橘諸兄は右大臣に任じられ、彼を首班とする政権が出来上がりました。

物語では諸兄に対抗する勢力として登場した吉備真備ですが、実際には橘諸兄に重用される立場でした。備中国(岡山県)の地方豪族の出身ですが、唐に留学した見識を買われ、次第に朝廷で重きをなすようになったのです。740(天平12)年、諸兄に重用されていた真備らを除こうとする反乱が九州で起きますが、(藤原広嗣の乱)速やかに鎮圧されます。

しかし、橘諸兄-吉備真備のラインにも陰りが見え始めます。藤原仲麻呂の台頭です。749(天平勝宝元)年、聖武天皇が譲位し孝謙天皇が即位。この際、光明皇后の信任厚かった仲麻呂は参議から中納言を経ずいきなり大納言に昇進しました。仲麻呂の権勢の始まりにより、橘諸兄は圧迫されていきます。

翌年、吉備真備は筑前守に左遷されました。大仏の開眼供養(752年)のまえに左遷されたこと自体は史実なのですが、状況が異なっているのですね。橘諸兄自身も、756(天平勝宝8)年、聖武上皇に対する不敬な発言があったと讒言されたのをきっかけに官職を辞し、翌年失意のうちに亡くなります。

諸兄の息子・橘奈良麻呂は藤原仲麻呂排除のためにクーデターを起こそうとしますが、失敗。(橘奈良麻呂の乱)仲麻呂の権勢はここに揺るぎないものとなったのです。

・藤原仲麻呂も最終勝者にはなれなかった

しかし、驕れる者は久しからず。後ろ盾の光明皇太后が逝去したうえ、一族を次々と要職につける専横によって徐々に反感を買っていきます。

仲麻呂政権の陰りは、孝謙上皇が僧侶・道鏡を信任し始めた頃から現れ始めていきました。764(天平宝字8)年、仲麻呂は武力によって道鏡を排除しようとしますが、陰謀は密告により露見。仲麻呂は挙兵へと追い込まれますが、鎮圧され斬られました。仲麻呂の一族は朝廷から一掃され、道鏡の専横が始まるのです。

さて、この「藤原仲麻呂の乱」で功績を挙げたのが吉備真備でした。彼は左遷されたあとふたたび唐に渡り、754(天平勝宝6)年に中央政界に復帰していたのです。唐で得た軍学の知識を活かして朝廷軍を指揮し、乱の鎮圧に貢献した真備は、右大臣にまで昇格します。一地方豪族としては破格の出世でした。その後、真備771(宝亀2)年、高齢を理由に引退、775(宝亀6)年に83歳で天寿を全うします。

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時系列でまとめると

以下に、時系列順に史実の動きをまとめてみました。

橘諸兄、吉備真備を重用

749年頃から、橘諸兄は藤原仲麻呂に圧迫され始める

750年、吉備真備左遷

752年、大仏開眼

754年、吉備真備中央に復帰

756年、橘諸兄失脚、藤原仲麻呂の権力体制固まる

764年、藤原仲麻呂、道鏡を排除すべく乱を起こすも失敗、殺される(藤原仲麻呂の乱)

藤原仲麻呂の乱に功のあった吉備真備、最終的に右大臣まで昇進

771年、吉備真備引退

物語では、橘諸兄、吉備真備、藤原仲麻呂のレースは真備が最初に脱落します。しかし、史実では吉備真備が最終的な「勝ち組」になったのですね。漫画をきっかけに史実を探ると、なかなか面白い発見があるものです。史実での真備のように、挫折に耐え、細く長く生きることが、「最後に笑う者」になる条件なのかもしれません。

三城俊一・記

 

参考文献:「日本の歴史 第4巻 平城京と木簡の世紀」渡辺晃宏、講談社2001年(09年文庫化)




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こちらは2014年に発売された”最新”の「鳳凰編」
角川書店豪華本のカラーページと『COM』連載時の二色ページを再現しており、全扉絵も収録されています。




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