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週刊武春 明治・大正・昭和時代 WWⅡ

こどもの日に子供の命を奪った 和紙とコンニャクで作った風船爆弾の脅威

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第二次世界大戦末期の1944年11月3日、千葉県一の宮上空に飛び上がった戦闘機から、次々に風船が放たれていきました。この日から、翌年の3月までの約5か月ほどの間に、約6000個(アメリカ戦略爆撃調査団報告によれば約9000個)の風船が、千葉のほか、茨城県大津、福島県勿来の3か所から放流され、そのうち少なくとも1000個がアメリカ大陸に到達、うち355個がアメリカ本土26州に命中したのでした。

 

 ハイテクすぎるアナログ兵器

この風船は、和紙をコンニャク糊で張り合わせるという日本の伝統工芸品並みの技術で作られた直径約10mの気球に水素を詰め、4発程度の焼夷弾をぶら下げたもので、砂袋で高度調節を図りながら、偏西風に乗せてアメリカに運んで落下させるという、アメリカ本土の直接攻撃を企図した究極のアナログ兵器だったのです。

コンニャク糊は接着力が強力であり、和紙もまた水分や気温の変動への耐久力があって、1万メートルの上空を、時速100kmから300kmの速度で飛行しても、十分に浮力を維持したというのです。

しかも、可燃物だけで構成されたこの爆弾は、落下後には、そのまま燃えてしまい、証拠を残さないという、実に合理的な設計思想に基づいておりました。

日本陸軍が準備した風船は1万個。これを、戦闘機に積み、上空で放流すると、偏西風に乗った風船は、早ければ2日程度でアメリカ大陸に到達したと考えられています。偏西風は、夏よりも冬の方が速度が速く、このことが、冬を作戦実施の時期に選んだ理由でした。

放流は、風のある天気の良い日を選び、一週間に1回ないし2回、1回あたり200個を限度として実施されました。

作戦開始とともに、陸軍参謀本部は、アメリカにおける被害状況を、あらゆるチャンネルを使って収集しようと試みます。1944年12月中旬にモンタナ州で発生した山火事に関する新聞報道には「日本製の気球らしきものが見つかった」の記事が掲載されますが、その後アメリカのメディアから、風船爆弾の戦果に関する報道が聞かれることはありませんでした。

そして、1945年3月、参謀本部は、やむなくこの作戦を失敗と認め、作戦中止を命ずるに至ったのです。

 

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「特定秘密保持」で乗り切ったアメリカだが子供たちに犠牲も

ところが、当のアメリカは、この風船爆弾という脅威に、どう対応すれば良いのか、有効な手立てを見つけられないまま、とりあえずは情報統制に動きました。すなわち、風船爆弾に関する報道を一切禁止し、日本側に、その効果についての評価をさせまいと企図したのです。

それには、2つの理由がありました。1つは、風船爆弾が、比較的安価で簡易に製作されていることから、作戦の続行が日本の継戦能力にとって大きな負担とはならないと考えられること、そして、もう一つは、その結果として、仮に作戦が夏の日照りの時期まで続いた場合、掛け値なしに深刻な被害を生ぜしめる恐れが懸念されたことにありました。

この懸念は、あながち誇張でもないと思われます。なぜなら、6000個の風船のうち、アメリカ大陸に到達したものは約1000個で放流個数の16%、アメリカ本土に限っても、26州に命中した爆弾は355個であり、この数は放流された風船の5%強を占めます。

これは、当時の高高度からの精密爆撃よりも命中率の点で優れており、広い範囲で同時多発的に爆撃が敢行されるのと同じ意味を持つのみならず、相手は風船ですから、これを見つけて撃ち落としても、結局、日本は目的を達成するという厄介な問題を生じさせるからでした。

結果的には、アメリカによるメディアの情報統制は効を奏し、先述したように日本陸軍参謀本部は、1945年3月に作戦の中止を決定します。しかし、この作戦自体は、風船と爆弾があればいつでも再開可能なため、アメリカでは、対日戦争の継続中は引き続き情報統制を続けなければなりませんでした。そのため、国内に警報を発することもできないというジレンマに陥ることになります。そして、1945年5月5日、遂に、人命が失われる事態が発生するのです。

この日、オレゴン州で遠足に出かけた一団の子供が、遠足先で見つけた風船を手繰り寄せたところ、焼夷弾が爆発、これにより子供4人を含む5名の死者が出ます。それでもなお、アメリカは、国民に向けての注意喚起をすることができなかったのです。

いつの時代にあっても、戦争とは無縁のはずの女性や子供が、戦争の犠牲になる例は枚挙にいとまがありませんが、このケースもまた、戦争がもたらした悲劇であったと言えるでしょう。

みはぎのまりお・記

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参考文献 富永謙吾「風船爆弾、米本土に飛ぶ」、暁教育図書出版編『昭和日本史5 太平洋戦争後期』(1984年)

 





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