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初代新幹線0号(Wikipediaより)

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週刊武春 明治・大正・昭和時代

日本が世界に誇る「新幹線」は、零戦など航空技術者の大量採用で実現した

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今から50年前の1964年10月1日、東京オリンピックの開幕を間近に控えて、東京と新大阪とを4時間で結ぶ東海道新幹線が営業運転を開始しました。 

初代新幹線0号(Wikipediaより)

初代新幹線0号(Wikipediaより)

新幹線は、当時の最新の鉄道技術の結晶ともいえるもので、新幹線の成功は、高速鉄道による大量輸送の新たな分野を開拓する画期的な出来事でした。

鉄道オタではできないブレークスルーを成し遂げた飛行機ヤロー

この新幹線の成功を導いた立役者は、新幹線開業の前年まで国鉄総裁を務めた十河(そごう)信二と国鉄技師長だった島秀雄のコンビなのは有名な話ですが、彼らの構想を実現させたのは、それまでの鉄道技術にしがらみを持たない多くの航空技術者たちでした。

十河真二(近代日本人の肖像、国立国会図書館より)

 

十河は、南満洲鉄道株式会社(満鉄)理事として、高速鉄道の「あじあ」号の営業運転に携わり、島は、国鉄技師として弾丸列車構想に策定した経験を持っています。

弾丸列車構想というのは、戦争のための物流強化を目的として、東京と下関を9時間で結ぶ高速鉄道計画で、1940年ごろから用地買収と一部の工事が始まっていました。東海道新幹線の工事が比較的順調に進んだのは、こうした土台がある程度出来上がっていたからだと言われています。

日本が戦争に敗れ、職を失った軍関係者のうち、特に航空機の設計に携わっていた技術者を、島は大量に採用しました。その数は、500名を超えたと言われています。鉄道の高速化を見越していた島は、高速運転を可能とするための形状や力学、振動工学、電気技術などの様々な先端技術を鉄道の世界に確保しようとしたのです。そして、島が採用した技術者の中に、初代の新幹線0系電車を設計した、元日本海軍技術少佐の三木忠直もいました。

採用された技術者の多くは、日本軍の戦闘機の設計に携わった経験があり、軍籍を持っていた前歴によって、公職追放の憂き目にあった者も少なくありませんでした。

しかし、追放の嵐を凌いだ技術者たちは、十河らの支持も得て、高速鉄道の実現に向けた研究を一気に加速させます。そして、世界銀行からの融資も決まった新幹線計画は、1958年の建設計画の承認から僅か6年で、営業運転に漕ぎつけたのでした。

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