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週刊武春 明治・大正・昭和時代 WWⅡ

もう一つの「8月15日」 北辺の激闘-北海道を守った占守島守備隊

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1945年8月15日、日本が連合国に対して降伏したその日、スターリンの命を受けたソ連極東軍総司令官アレクサンドル・ミハイロヴィチ・ワシレフスキー大将は、千島列島、及び南樺太に対する侵攻命令を発しました。目的は、北海道の領有。

ソ連の想像より早い降伏に

日本に対する降伏勧告を決定したポツダム会議で、アメリカのトルーマン大統領とソ連のスターリン書記長は、敗戦後の日本の国土のうち、ソ連が、北海道を領有することについて合意していたにも拘らず、原爆の惨禍に屈した日本は、長崎への原爆投下から1週間も経たない8月15日に早々と降伏してしまいます。

ソ連は慌てました。
なぜなら、当時の確立された国際法秩序の下では、戦争による領土割譲が原則として禁止されていたからです。
ソ連が、日本の領土を手に入れるためには、日本との戦争状態が継続していることを前提に、停戦合意の条件として、日本側から領土割譲の言質を得る必要があったのです。

日本が降伏してしまったのでは、北海道領有が絵に描いた餅になる……。

慌てたスターリンは、日本降伏に間髪を入れず、日本との戦闘を命じました。
敗北した日本軍に、何が出来よう、既成事実を作ってしまえば、あとは思いのままだ…スータリンは、そうほくそ笑んだに違いありません。

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北海道領有を狙い侵攻

8月18日払暁、千島列島最北端に位置する占守島(しゅむしゅとう)に、突如ソ連軍が上陸を開始します。当時、島には杉野巌少将が指揮する第73旅団を中心として、3,000人の守備隊が駐屯していました。彼らは、終戦の詔勅を受けて、自ら武装を解き、帰国の準備をしていたところを襲われたわけです。

杉野旅団長は、札幌の第5方面軍司令官、樋口季一郎中将に状況を報告し、指示を仰ぎました。
樋口中将は逡巡します。
終戦の詔勅を受けた今、戦闘行動を継続することは、天皇に対しても、また国際社会に対しても、不義をはたらくことになりはしないか…しかし、ソ連は、負け犬を叩いて領土をかっさらうのを常套手段としている、バルト三国もポーランドも、こうしてソ連に併呑されたではないか、そして、その後の住民がどれほどの辛酸を舐めたか…

樋口中将は決断します。

「断固反撃に転じ、上陸軍を粉砕せよ」

樋口中将の命令で、杉野少将は、ソ連軍の水際撃滅を下令しました。

水際撃滅とは、歩兵が上陸する瞬間が、もっとも脆弱であることから、この瞬間まで反撃を自重し、最初の歩兵が上陸した瞬間に、すべての火砲を上陸軍に撃ち込むという、日本陸軍の防衛作戦の戦法です。

しかし、この戦法は、アメリカ軍と戦った太平洋戦線ではほとんど効を奏しませんでした。
その最大の原因は、上陸に先立つ艦砲射撃と爆撃によって、守備隊の火砲が破壊されていたことによるものでした。
しかし、占守島では、そのいずれもないままに、ソ連の上陸作戦が敢行されたのです。

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アメリカに通用しなかった作戦がバッチリはまる

ソ連軍が上陸した、占守島竹田浜に、戦車第11連隊(指揮官:池田末男大佐)の50両の戦車が突撃し、洞窟陣地からの火砲の支援も受けて、上陸したソ連軍将兵を蹂躙し、後続の上陸用舟艇を戦車砲で狙い撃ちするなどして、島内への侵攻を阻止したのでした。

当初、ソ連軍は、占守島を1日で占領する予定だったのが、戦闘は、8月21日まで4日間続き、その間、竹田浜に小規模な橋頭堡を作っただけで、当初の作戦目的を達成することなく、停戦を余儀なくされます。

この戦闘での日本軍の損害は、戦車隊の池田大佐を含む戦死傷約600人、戦車42両。
しかし、ソ連軍艦艇の撃沈14、舟艇の撃沈20、戦死2500人、戦傷2500という、日本軍とは比較にならないほど損害を出して、占守島上陸作戦は失敗に帰したのでした。

北方領土は不法占拠されたが北海道は守った

この結果が、その後の情勢に及ぼした影響は小さくありません。
まず、千島列島の一部が日本統治下に残されたことで、ソ連は、千島の領有を当然に主張することができなくなり、北海道の領有のもくろみは消えてなくなったことです。

次に、東京裁判で、ソ連が戦勝国として名を連ねることがなかったことです。

千島戦は、ソ連にとって、勝利が絶対条件であり、それは、さほどに困難ではないと思っていたにもかかわらず、甚大な被害を出して、目的を達成できなかったことで、日本に対する主張がしづらい状況が生まれました。

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北辺の小さな島で戦われた局地戦が、その後の日本を取り巻く国際情勢を大きく左右する結果を生んだという意味で、占守島の防衛線は、日本にとって、価値ある重要な戦いであったと言えるでしょう。





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