週刊武春 黒田家

黒田家ルーツの謎に迫る意欲作『黒田官兵衛目薬伝説』(桃山堂) 目薬とクロガネをめぐる意外な関係

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目を守りたいという思いから刀鍛冶たちは天目一箇神を信仰

第二章「鉄の地名としての黒田」の浦上宏氏(岡山県瀬戸内市長船町在住)は、備前国(岡山県南東部)の地域史の研究者であり、地名の研究者でもあります。地名のなかでも、鉄や鍛冶に由来する地名を調べ、著書や個人のホームページで発表しています。

岡山県は古代において日本列島を代表する鉄の産地であり、備前長船、福岡一文字派によって知られる日本刀の産地でもあります。福岡藩黒田家の公認家伝『黒田家譜』によると、黒田氏の先祖はもともと北近江(滋賀県長浜市木之本町黒田)にいたが、官兵衛の曾祖父の代に備前福岡に移住し、その後、姫路に移ったとされています。なぜ、日本刀の聖地、備前福岡に移住したのか? 黒田一族をめぐる大きな謎のひとつです。

「私はこの二十年ほど、岡山県を中心として、鉄にかかわる地名を採取していますが、「黒」のつく地名は、鉄あるいは鍛冶にかかわる事例がきわめて多いのです。岡山市の黒尾、総社市の黒尾、倉敷市の大黒山、真庭市の黒取山。いずれも鉄にかかわる地名です。鉄の古称をクロガネといいますが、地名においてはクロ(黒)だけで鉄という意味を表すこともあります」

黒田官兵衛の本当のルーツは、近江国の黒田なのか、それとも播磨国の黒田なのか、それとも別の所なのか、論争はあるものの、結論を出すのは難しいようです。しかし、ほかの多くの武将と同じく、黒田という土地に居住したことによって、黒田を称したはずです。どこの地方の黒田かはわからないまでも、黒田官兵衛の先祖は、黒田という土地に住んでいたのです。それがどこの国の黒田であれ、鉄にかかわりの深い土地であった可能性があります」

「瀬戸内市立の備前長船刀剣博物館のすぐ近くにある靭負神社は天王社ともいい、刀鍛冶の崇敬をうけていた神社です。それほど長くない参道とこぢんまりとした拝殿があり、住宅地にある平凡な神社のたたずまいですが、古来、このあたりは刀工の居住地であり、天目一箇神が祭神のひとつとなっています。天目一箇神は『日本書紀』、『播磨国風土記』、『古語拾遺』に登場し、剣や鑑などの制作に携わっていることから、鍛冶、製鉄にかかわる人たちに信仰されています。

漢字表記のとおり、片目の神であり、片足あるいは足を痛めて歩行が不自由であるとも信じられてきました。製鉄や鍛冶にかかわる人たちは、強い火に目をさらすことが多いので、目を傷めやすく、中には片目あるいは両目を失明することもあったようです。刀鍛冶たちが天目一箇神を信仰していたのは、健全な目を守ってほしいという祈願をかけたものです。

岐阜県の関が今日も刃物産業の盛んな土地であるのとは違い、備前の長船町では産業としての鍛冶は途絶えてしまいました。しかし、靭負神社には「目」にかかわる信仰が残っており、平仮名の「め」の字を書いた半紙が拝殿の壁面などに張られています。太々とした「め」の字もあれば、小さな「め」の字を繰り返し書いて、半紙いっぱいの「め」の字ができているものもあります。もちろん、「め」は「目」のことであり、眼病平癒を祈願するためのものです」(浦上宏)

黒田官兵衛目薬伝説3

備前刀工の守護神であった一つ目の神を、今、眼病快癒を願う人々たちが信仰する。(岡山県瀬戸内市長船町の靱負神社)

 

実は浦上宏さんの奥様は旧姓黒田で、その家には「黒田官兵衛の兄」から続く系図が伝わっています。

官兵衛の兄は、福岡藩黒田家の系図にはもちろん出ていませんが、小和田哲男氏監修『黒田官兵衛』(宮帯出版社)でも取り上げられ、一部で話題になっています。「きわめて個人的な研究」として、浦上さんはこの官兵衛の兄について長年、調査しており、今回その研究の概要を話していただきました。

 

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山中鹿介が官兵衛と縁者だったかもしれない

第六章では、系図研究の第一人者である宝賀寿男氏(日本家系図学会会長)が、江戸時代の豪商で、明治時代には財閥のひとつであった鴻池家の公認系図から、黒田一族にかかわる記述を紹介しています。

これまた史実かどうか判然としない話ですが、鴻池というのは屋号、苗字は山中、その始祖は、大河ドラマ『軍師官兵衛』にも登場した山中鹿介(俳優は別所哲也)の実子だというのです。鴻池の系図が正しければという話ではありますが、山中氏は播磨国の黒田氏の分流であり、もしかすると、官兵衛と山中鹿介は縁者かもしれない──ということになるのです。

鴻池家の系図は一般に公開されているものですが、黒田氏に関する記述はあまり注目されていないようなので、そこにフォーカスしてみました。(以下の引用のなかにある鈴木真年は、幕末生まれの国学者で、系譜研究によって知られています)

「『百家系図稿』は、鈴木真年の集めた系図史料ですが、未整理なところもあるので草稿的なものだとみられます。こちらは三菱系の静嘉堂文庫に所蔵されています。鈴木真年は、鴻池家の系譜の整理に携わったことがあるので、同家に伝わる諸史料をくまなく探索できる立場にありました。昭和期においては、宮本又次氏(大阪大教授など歴任)が同家の協力を得て、一族の歴史を記す『鴻池善右衛門』(吉川弘文館人物叢書)をまとめています」

「『百家系図稿』巻十九にある鴻池家の系図は、山中鹿介幸盛の子・幸元を鴻池家の始祖としており、『諸系譜』巻八の「山中氏世系」もほぼ同じ内容ですが、山中鹿介の祖先は播磨国多可郡の黒田氏から出たとされています。鎌倉幕府滅亡の前後の混乱期、近江国にいた佐々木一族の黒田宗信が、播磨国の有力者赤松円心に属して多可郡のうちに三千五百貫を領し、黒田城に居したというのです。私は近江からの移住には疑問を感じます」(宝賀寿男)

黒田官兵衛目薬伝説4

鹿の角の兜をかぶった山中鹿介は、今も地元の英雄。(島根県安来市提供)

 

黒田家の目薬商いのことが書かれた『夢幻物語』

福岡県在住の歴史家・石瀧豊美さんには、黒田家の目薬商いのことが書かれた『夢幻物語』について解説していただきました。江戸時代に書かれた作者不詳の本ですが、虚偽の内容が多いとして、学術的な研究者にはあまり評判がよくないようです。

「実録体小説という江戸文学のジャンルがあります。現実に起きた事件などを題材に虚実おりまぜて描いた読み物ですが、『夢幻物語』は実録体小説の一種ではないかと私は見ています。実録体小説は将軍家、大名家の内情や秘密に触れることもあるので、発行者、著者がわからないよう、印刷された刊本ではなく、手書きの写本で流布しています」

「『夢幻物語』もこの形態で世に出ており、作者は夢幻老人と称し、本名は不詳です。もしこの見通しが正しければ、『夢幻物語』は虚実混交の中の核心部分に、真実がふくまれている可能性があります。多くの〈虚〉の中にわずかな〈実〉をもぐりこませることこそ、実録体小説の作者の腕の見せ所です。作者は序で、もうひとつの実録体小説『古郷物語』を意識してもいます」

黒田官兵衛目薬伝説5

『夢幻物語』によると、滋賀県近江八幡市安土町に鎮座する沙沙貴神社のお告げで、官兵衛の先祖は近江から備前へ赴く。沙沙貴神社から、織田信長の安土城まで車なら十分足らず

 

「ともすれば真実は一〇〇かゼロか、白か黒か、と判定されがちですが、私は灰色も含めていいと考えているのです。仮に三〇パーセント程度の真実があるとしましょう。それを一〇〇パーセントと強弁しなければ史料価値はあるとみていいのではないでしょうか。家伝の目薬で財をなしたというのは、ほんの少しでも核になる話がなければ成り立つものではありません」(石瀧豊美)

実は石瀧さんの母方は四百年ほどまえから続く眼科医の家系です。江戸時代、福岡県須恵町は眼科と目薬づくりによって著名で、東北、北陸など遠方から来る患者のための宿が建ち並んでいたそうです。

黒田家の目薬商いとは直接かかわりませんが、「目薬の村の記憶」と題して、ふだん耳にしない面白い話を語ってくれました。石瀧さんの父方は、黒田家の家臣団で比較的知られた馬杉氏の分家筋です。

江戸時代以降の武士とは違い、戦国武将については正確な史料が少なく、学者泣かせですが、その分、歴史好きの人たちにとっては突っ込み所が多いという楽しみがあります。主君として仕えた豊臣秀吉と同じくらい、官兵衛は謎の多い人物なので、一般の人が、ああでもない、こうでもないと考えるネタには事欠きません。

『黒田官兵衛目薬伝説』は、官兵衛にまつわるさまざまな「謎」を提示していますが、残念ながらその答えはほとんど用意できませんでした。読んでいただく方には智恵をしぼって、謎解きに挑戦していただきたいと思います。

 

文/蒲池明弘(桃山堂株式会社編集者)

 

編集部より

時事通信による『黒田官兵衛目薬伝説』の紹介記事がYahoo!ニュースにも紹介されております! よろしければコチラも合わせてごらんください。




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大河ヒーローめぐる謎に挑む=「黒田官兵衛目薬伝説」

 


黒田官兵衛目薬伝説 目の神、鉄の神、足なえの神

 

 

 

 



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