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ケネディ大統領の暗殺後にPTSDになったことを明かした妻ジャックリーンの伝記がアメリカで刊行

夫婦仲とは分からないものですね。

夫のジョンFケネディにマリリン・モンローを始めとして数多くの美女と浮気し倒され、腹いせに自らも当時の人気ハリウッド・スターだったウィリアム・ホールデンと浮気していたにもかかわらず、暗殺後は今で言うPTSDに罹っていた事が、ジャックリーン・ケネディの新しい伝記から明らかになりました。

ジャックリーン・ケネディ(Wikipediaより)

ジャックリーン・ケネディ(Wikipediaより)

 


事件後はPTSDでウォッカを手放せないように

報じているのはバニティ・フェア。ここが余りにも長いので(苦笑)、ニューザーという要約サイトの方を紹介させて下さい。

それによると、新しい伝記を出したのは、バーバラ・レミングという作家。こういう本だそうです。

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( 米アマゾンではハードカバー16ドル、キンドルだと10ドルくらいです。)

それによると、暗殺後の数ヶ月間は、来る日も来る日も当日の様子を思い出しては「夫を救えたかもしれないのに」と、自らを責めたそうです。

「今日で言うところの、PTSDになっていたのです」とバーバラ氏。特に、無残な姿となったケネディを静止するのに偲びず、にもかかわらず悪夢に悩まされては悲鳴を上げて起きる日々が続いたのだとか。

勢い、酒で忘れようとします。ウォッカに溺れてしまうようになりました。当然、熟睡出来ません。当日の様子が、フラッシュバックとして彼女に襲いかかります。暗殺の瞬間は、ケネディの方を見ていなかったそうですが「もし見ていたら、気づいて彼の体を引っ張る事が出来たのに。そうしたら、2発目は命中しなかっただろうし、死ぬ事は無かったのに」と、繰り返し自らを責め立てました。

 


なんでも悪い方へと負のスパイラル

最初の銃弾音を聞いたものの、何の音だったか分からなかったそうで、それも彼女を苦しめました。こういうのって、どんどん負のスパイラルになっていきがちですが、彼女の場合も、その例に漏れません。「今にして思えば、あれは不吉だった」と、事件前を回想し出します。ダラス空港で出迎えされた際、歓迎のバラが黄色ではなく(黄色いバラには『あなたを愛しています』との花言葉があります)では無く、赤色だった事にこだわるようになります。花に詳しい方なら御存知でしょうが、赤いバラも花言葉は同じなのに、彼女はそれが「不吉な兆候だった」と解釈し出すのだそうです。

…重症としか言いようが無いですね。

かくして、「もし、銃弾音が何か分かっていたら、夫の前に我が身を投げ打つなり、策があった筈だ」と、スパイラルが続いていきます。

 


浮気相手マリリンモンローの自殺が命を救った

PTSDは後々まで回復しませんでした。何しろ、臨終の席で神父さんに「もし私が自殺していたら、神は私を天国で再会させて頂けたのかしら?」と問いかけたぐらいです。

なお、そうした考えを実行しなかったのは、ケネディの愛人だったマリリン・モンローの存在があったようです。モンローは自殺したとされていますが、その動機をジャックリーンは、「惨めな自分から逃れる為」だったと解釈し、「自分だけはそうなってはならない」との思いが、何度となく襲われた衝動から踏みとどまる結果となったそうです。

マリリンモンロー(Wikipediaより)

夫婦仲というより、女の意地だったのでしょうか? それにしても、男女の仲は分からないものです。

南如水・記


 



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