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週刊武春 明治・大正・昭和時代

一般人「金沢県なんてねぇよ!」歴史マニア「あるよ。そう廃藩置県直後ならねドヤ」

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どこかのテレビ番組が「石川県」のことを「金沢県」とテロップで流してツイッターで失笑されています。
しかし、歴史マニアはそこで立ち止まって「うむ、このテレビマンはよく歴史を知っているな」とドヤ顔したいものです。

明治4年(1871年)に、廃藩置県によって「加賀藩(金沢藩)」はなくなり、「県」になるのですが、このときに「石川県」なんてものは存在しませんでした。
加賀藩(支藩の富山藩と大聖寺藩を含む)は3分割されて、

「金沢県」ドン!
「大聖寺県」
「富山県」

ができたのです。

ところが、いちおう新政府側に立ったとはいえ、どちらかというと徳川寄りだった前田家に新政府は警戒。薩摩藩出身の知事(大参事)内田政風(まさかぜ)という人が、わずか半年後の1872年2月に、県庁を金沢から手取川の河口にある美川(金沢より西にある港町、現・白山市)に移します。
この美川は、手取川を挟んで東が「石川郡」、西が「能美郡」なのですが、県庁は東側においたので、「石川県」になってしまいました。

石川県HPに加筆

石川県HPに加筆

なんたる適当。でも、この美川という地名自体も「石川」+「能美」を合体したなんというかゆるい地名なのです。

ともかく、北前船の寄港地ではありましたが、暴れ川手取川の河口なので人口も多くありません。
内田知事は、「能登半島を七尾県にするんで、金沢だと能登に近すぎるから」という、どうみても言い訳にしかならない言い訳をしていたそうですが、風も強いし、茶屋町はないしで、なんと県庁は翌年1月に、また金沢に戻るのです。1年もなかった幻の「石川県」だったはずが、金沢県には名称は戻らず、今に至るというわけです。

このため、旧・美川町には「石川ルーツ記念館」という資料館があります。

白山市観光サイト「うらら白山人」より

川和二十六・記




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