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イギリス 週刊武春

ナポレオンが敗れたワーテルローの戦いの200年後になってようやく戦勝国イギリスが表彰

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世の中、何事によらず、遅すぎる行為は鼻白むものですが、これはその典型的な悪例となりましょうか。

1815年のワーテルローの戦いと言えば、ナポレオンの没落を決定づけたという意味でフランスには屈辱的な歴史上のエピソードである事は論を待たないでしょう。

逆に英国にしたら、フランス革命後20年以上に渡る混乱と、フランスの執拗な攻撃がようやく終わった栄光の戦い…のはずなのですが、どうした訳か、当時この戦いに従軍した各国代表への表彰がされずしまいでして、昨年(つまり2014年)になってようやく英国政府から「良くやった」とのお褒めを頂いたのですって。

遅すぎますわなぁ。

160年たってようやく「殊勲大なり」の記念メダル完成

 

ガーディアン(2014年11月9日付け)が呆れた調子で報じています。それによると、この記事の書かれた週に、英国の王立造幣博物館が「貨幣のアートに値する、粋を凝らした彫刻」を施した、ワーテルロー・メダルというのを世に披露しました。リンク先の博物館のHPから引用させて頂きます。

勇猛な騎兵の突撃する様が描かれた、確かに素晴らしいメダルです。直径は140ミリ。実はこのメダル、ワーテルローの戦いの2年後から制作が着手されていました。イタリアから移民したベネデット・ピッツルキ(1783-1855)が手がけたのですが、完成したのが1850年。実に33年もかけての制作だったのです。

 

このピッツルキという人、職人肌が昂じすぎて、「メダルは純金で無ければ駄目だ」と頑固に言い張っていたのだとか。イタリア人という事で、当時は造幣局の彫刻師のトップになれず、それが本人の鬱屈となっていた節もあったそうです。また、完成したら造幣局側からクビになる事を恐れて、意図的にズルズルと伸ばしていたそうです(実際、その予感は当たり、クビになり、1855年に世を去っています)。松本清張なら、小説のネタにしそうな展開ですね(苦笑)。

 

「ピッツルキが完成させた頃、貰えるに値する英国とオーストリア、ロシア、そしてプロイセンの王や皇帝は、既に世を去ってしまっていた。また、ピッツルスキ氏は純金で鋳造するように命じていたのだが、それを実現させるだけのテクノロジーがなかった事も大きい」としています。

 

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英国の指揮官のウェリントン公ゆかりの家跡でお披露目

 

さて、色々とあったものの、11月11日にはお披露目されていました。場所はロンドンのアプスレーハウスという所。英国側の指揮官だったウェリントン公の屋敷跡です。現在はウェリントン美術館として使われています。

ウエリントン博物館(Earthtoryより引用)

重い腰が上がった後は、遅れを取り戻そうと、派手な展開にしています。例えば、ワーテルロー200委員会というHPが、こんな展開をしています。

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ウェリントン公から8代目の子孫に当たるドゥーロ公爵と、屋敷跡の存続などに尽力した委員会の会長を務めるエヴェリン・ウェブ・カーター氏、ロシアとオーストリア、ドイツ(プロシアの後継国家という位置付け)の大使やベルギーのウォータールー委員会の代表に贈呈されました。

ちなみに、11月11日というのは第一次世界大戦の休戦記念日に当たりまして、過去を振り返るのに良いだろうとの考えがあったそうです。ワーテルローでも多くの戦死者が出たという事情(第一次世界大戦で有名なソンムの戦いの初日の死者の20倍だったそうです)もありました。

なお、メダル授与の他、ナポレオンが作戦本部を置いた現場の農家の跡の修復や、戦死した英国兵のモニュメントの建築などの計画もあるのだそうです。

「もし我々が、今あの場にいたとしたら、何をするべきなのだろうと考える事があります。欧州がこうして統合した今では、ワーテルローの戦いは、過去として忘れるべきなのだろうかと。答えは違います。1815年6月18日に、多くの国々の数千人もの兵士が勇敢に戦い、戦死した事は記憶に留めておくべきでしょう。その勇敢さと犠牲があればこそ、その後の欧州に50年もの平和をもたらしたのです」とドゥーロ公爵は話しています。

なお、ドゥーロ公爵は、この授与を見届けるかのように、昨年12月31日に逝去なさいました。ご冥福をお祈りします。

南如水・記

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トップ画像はワーテルローの戦い(Wikimediaコモンズ)

 





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