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週刊武春 WWⅠ百年 アメリカ

「アメリカン・スナイパー」で注目の狙撃兵が脚光を浴びたのは第一次世界大戦から

更新日:

 

2015年2月21日に公開が始まったクリント・イーストウッド監督の映画「アメリカン・スナイパー」が話題を集めていますね。映画の主人公は米国史上最多の160人を狙撃した人物ですが、この狙撃兵は、第一次世界大戦から注目を浴び始めていた事を御存知でしょうか。

そうした歴史的事実を、ニュージーランド・ヘラルド紙が報じています(2015年2月19日付け)。

 

1日に30〜40人も狙撃される

第一次世界大戦が塹壕戦となったのは皆様も御存知でしょうが、その際に重視されるようになったのは、遠くからの狙撃。ドイツ側では、モーゼルの7.92ミリ狙撃銃とスコープを兵士に支給した事もあって、優れた腕前を発揮する兵士が出現しました。

ウィキペディア日本語版より)

この狙撃銃は、厳しいテストが課された信頼性の置ける武器でした。

前線では、塹壕の中に目標の敵を見つけると、観測手が場所や着弾点を狙撃兵に伝え、撃たせていました。

これが実に効果的でした。有名なガリポリの戦いでは、トルコ軍が夜半に配置されたオーストラリア・ニュージーランド兵30人〜40人を見つけ出しては狙撃し、血の海を作っていたほどです。

 ガリポリの戦い:第一次世界大戦中、連合軍が同盟国側のオスマン帝国の首都イスタンブル占領を目指し、エーゲ海からマルマラ海への入り口にあたるダーダネルス海峡の西側のガリポリ半島(現トルコ領ゲリボル半島)に対して行った上陸作戦。(Wikipediaより)

もっとも、連合軍側もやられっぱなしではありませんでした。同じように狙撃し、戦果を上げていたのです。その1人がオーストラリアのクィーンズランドから派兵されたビリー・シング。中国人との間に生まれたシングは、ガリポリ戦で150人もの敵兵を血祭りにしました。同僚からは「暗殺者」と呼ばれたそうです。なお、こうして倒した敵兵を確認するのも観測手の役割だったそうです。

このシングは敵の狙撃手で「アブドラ・ザ・テリブル(恐怖のアブドラ)」と呼ばれていた兵士も倒したそうですから、さぞかし味方からは感謝された事でしょう。

シングのような連合軍の狙撃兵が使っていたのがリー・エンフィールド303。

 

ウィキペディア日本語版より)

この銃は、西部戦線だけでなく、数多くの戦場で使われました。愛用していた1人に、ニュージーランドから派兵されたディック・トラビスがいました。少人数の編成チームによって、偵察しては敵兵を倒すやり方を採用して多大の戦果を上げ「最前線の王様」との異名を取るのですが、運が尽きて戦死。それでも死後にビクトリア十字勲章を授与されたところを見ると、倒した敵は相当な数だったのでしょう。

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 下級兵士だけでなく、将軍も犠牲に

ドイツ側は狙撃手を前線にひそかに派遣し、長いときは5日間も忍ばせては狙撃をしていました。これは英国などの連合軍に大変な脅威となり、後に作家となるヘッケシュ・プリチャードが狙撃手の養成校を設立するまでなす術が無かったそうです。プリチャードはスコープの使用を推し進めたり、敵の狙撃をひきつけるためにダミーのヘルメットを塹壕から上げてみたりするという作戦を考案をしていました。

しかし、そうなるまでに大きな犠牲が出てしまいました。イギリス軍のフランシス・アール・ジョーンズ准将が狙撃され、戦死してしまったのです。

ジョーンズはサンドハースト王立士官学校出身のエリート(ちなみに、パイロットのムアーズ・カサースベ氏が生きたまま焼き殺された際に激怒し、ISに全面報復すると言明したヨルダンのアブドラ国王も、同校を卒業しています。つまり後輩に当たるのです)。マフディー戦争や第二次ボーア戦争にも従軍した歴戦の強者。第一次世界大戦の勃発時にはニュージーランド軍の歩兵の指揮を執っていました。

image006

(サイトより引用)

ジョンストンはスエズ運河に侵攻してきたトルコ軍を撃退したものの、その作戦指導を巡っては非難される事もあったようです。

そのせいかどうかは不明ですが病に倒れ、回復後はニュージーランド遠征軍の第三ライフル旅団の指揮を任されてフランスに赴きます。

そして、運命の1917年8月7日を迎えます。フランスのメシネスの最前線を視察中に、敵に狙撃されて戦死してしまったのです。

その2日後にはニュージーランド師団を指揮していたアンドリュー・ラッセル卿も頭部を狙撃され、危うく後を追いそうになります。軍帽に穴を開け、頭に傷が残ったそうですから、よほど優秀な狙撃兵が当時いたのですね。

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ジョンストン准将は、ベルギー国境に近いバイユールに埋葬されました。上記の写真は、葬儀の模様です。100年近くが経った今、准将の墓に参る人はいるのでしょうか?

南如水・記

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トップの画像は映画「アメリカンスナイパー」より引用

 





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