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週刊武春 中南米

古代マヤ文明はジャングルを「里山」に共生していたとの新説!焼畑し過ぎで滅びたのではない

更新日:

メキシコなどの中南米に栄えた古代マヤ文明と言えば、ジャングルの中にひっそりと放棄された都市やピラミッドの遺跡を想像しがちですよね。この原因とされてきた過剰な人口や焼畑農業のし過ぎで文明が滅びたという説に異論を唱えている人が出てきています。ちょっと面白い展開かも。

ポピュラー・アーケロジーというサイトが報じています(2015年7月16日付け)。

 

提唱しているのはアナベル・フォードという名前の考古学者。ここ数年、古代マヤ文明の人達が、土地の熱帯環境を上手に生かしながら大規模な人口を維持してきたと主張していました。従来の説では、8世紀から9世紀にかけての古典期に建てられた都市やピラミッドが相次いで放棄されたとされてきましたが、そうした時期でも人口が維持出来ていたという新説を唱えています。また、従来の定説である人口過剰と焼畑農業のやり過ぎで耕作地が疲弊したとする原因についても異論を唱えています。「大がかりな焼畑農業は無かった」とまで言っています。

 

当時の人達の「焼畑農園」の手法を数年間かけて研究した結果だそうです。この焼畑農園の耕作は、持続的アグロフォレストリー呼ばれる手法でして、早い話が農業と林業を組み合わせる事でして、「ミルパ・サイクル」と呼ばれてきました。

具体的には、小規模の農家を分散させ、多様な生物環境がある密林の中で自然のサイクルを生かしながら、地域の植物相や動物相を最大限まで上手に組み合わせるというもの。先古典期のマヤ文明の勃興前に確立されていただろうと推定されています。密林や野原を配列させる事で有効に働いたのだそうです。野原で農作物が収穫されれば、1年後は再び手を加えず、やがて元の密林に戻っていくようにしていました。「こうして、全ての段階で人間が管理しながら密林は多年、生植物を保存し続ける事に成功したのです」(フォード氏)。

つまり、従来言われて来たような、環境破壊の元祖と言うような位置づけは間違いだとなるようです。

サイトより写真を引用させて頂きます。このようなイメージです。

フォード氏は、「マヤの森林農園:800年もの持続的な密林農耕」(The Maya Forest Garden: Eight Millennia of Sustainable Cultivation of the Tropical Woodlands)という新著を、メキシコの社会人類学研究所のロナルド・ナイ教授と共同で執筆した新著で、こうしたプロセスを詳しく説明しています。

 

書籍では、考古学・農学・生態学・民俗誌学などが学際的に研究した結果を要約しています。当時の環境を解析した他、ユカタン半島やメキシコ、グアテマラなどの歴史データを活用したものだそうです。

「生態学や農学、及び植物学による研究から、マヤの密林は経済的に価値があり生態的にも多様だった庭園だった事が明らかになりました。大規模な人の手による賜物です。それが共生を可能とし、マヤの『森林庭園』と呼ばれる風景を作り出したのも資源のマネジメントがあればこそだったのです」

 

こちらはミルパのサイクルのチャート図です。これまた引用させて頂きます。

なお、フォード氏によると、このミルパ・サイクルのお陰で、古代のマヤの密林が作られただけでなく、今なおマヤの密林の光景となっていると指摘しています。それ自体がモニュメントだと主張なさっています。

 

「マヤの密林は、かつて野生で原始のそれだと思われていたが、実際はスペイン人の到達前も、植民地時代も、そして今も、人の手による賜物なのだ」とフォード氏は新著で主張なさっています。

サイトより、チャートを引用させて頂きます。こんな感じで農作をしていたのですね。

 

なんか、今日の里山に通ずるものがありますね。サイトでは「言い換えるなら、こうしたミルパのサイクルを通じて密林の現状を維持発展させる事によって、マヤ文明は食糧だけでなく、避難所として、また医療その他の需要に応えられる人口の増大状況に応えられるようになり、マヤは熱帯でも文明が発生する事を証明してみせたのだ」と結論づけています。密林があればこそだったというのです。

となると、「では何が崩壊の鍵になったのか」となりましょう。このミルパ・サイクルはマヤ文明の長寿を保証する結果となりましたが、フォード氏とナイ氏は「古典期のマヤ社会で政治危機が発生し、人口の多くが森林庭園に避難し、それが中心部分の崩壊となったのでしょう」と結論づけています。

 

少し弱いなぁとも思えますが、今後の調査に期待したいですね。

南如水・記

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【TOP画像】マヤ文明/Wikipediaより引用

 





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