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イラスト・富永商太

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週刊武春 真田家

新説・真田信繁「逆転の大戦略」! 城郭考古学が浮かびあがらせた大坂夏の陣とは?

更新日:

 

1614年の大坂冬の陣で、真田信繁が築いた出城「真田丸」によって徳川軍に痛打を与えた豊臣方。

しかし、和平を結び真田丸をはじめとする大坂城の鉄壁の防御網はほぼ破壊されてしまう。

翌年1615年の大坂夏の陣では、大坂城が「平城」となった豊臣方は、勝敗を度外視して、武士として華々しく散るために、大軍の徳川軍に大会戦をのぞんだ、というのが定説だ。

ところが、NHK大河ドラマ「真田丸」はどうも様子が違う?

なぜか?

どうやら、放送2日前にNHKの歴史秘話ヒストリアで紹介された、新たに第4の「真田丸」の監修者となった城郭考古学者で奈良大教授の千田嘉博氏の新説が反映されているようだ。

真田丸を巡っては、冬の陣の真田丸についても、千田氏の新説が取り入れられて、従来の常識である大坂城に付随した「出丸」から、大坂城から独立した出城となった。また形状も、従来の半円形から方形にもなった。

冬の陣に続いて、出された夏の陣の新説は、PHP出版が刊行する歴史月刊誌で最大部数をほこる「歴史街道」1月号(2016年12月6日発売)の特集「夏の陣!真田信繁、幻の勝利」で、千田氏みずからが2本の論考を寄稿している。

詳細な論と図版は雑誌をぜひ購読していただきたいが、ざっくりまとめると大きなポイントとなったのが以下の戦闘だ。

【緒戦の道明寺・誉田の戦い】
後藤又兵衛が戦死したことで有名な戦いだ。
徳川方は、大和盆地と河内平野を結ぶ隘路であるこの場所を進軍してきた。
豊臣方は、この狭い場所で迎撃するという作戦であった。

しかし、又兵衛が孤立したまま孤軍奮闘するも戦死した。通説では、又兵衛以外にも、真田信繁らも時間を合わせて合流するはずだったが、又兵衛のみが定時に到着して、ほかは遅参したということになっている。

だが、千田氏の新説では、
この戦いはそもそも遭遇戦ではなかった。
又兵衛が布陣した場所の背後には、南北に巨大な古墳群が並んでおり、
この古墳群を利用して、敵を分散させて、
古墳と古墳の間から出てきた徳川軍の各隊を、
さらに後方に、本格的な城として整備した岡ミサンザイ古墳を司令塔に、信繁が次々に各個撃破する作戦だった。
とする。

この説では、又兵衛は作戦に反して武功を焦り突出したのか、それとも信繁が張った罠のある場所に徳川軍を引き寄せる餌として自ら犠牲となったのいずれかになる。(心情的には後者であってほしいが)

実は、ここの戦いで又兵衛は戦死しているものの信繁らは負けていない。むしろ被害が多かったのは、伊達政宗ら徳川軍のほうだった。信繁たちが撤退せざるをえなくなったのは、別の方面(八尾方面)の豊臣方が敗れたために退路を断たれる可能性があったからだ。

【天王寺・岡山の戦い】
信繁最後の戦いの場である。
大坂城の南側で、家康の本陣にあと一歩まで追いつめて、家康に切腹の覚悟をさせたとされる。
これも、豊臣軍が最初から命を捨てた切り込みというのが通説だ。

しかし、千田説では、これも城(砦)と人工の堀を使った大戦略があった可能性が城郭考古学から明らかにされる。

千田氏は今年松江市で発見された真田丸の古地図に、さらに茶臼山と岡山の古地図の計3つがセットになっていたことを明らかにして、これまでバラバラに知られていた情報と合わせて新説を展開する。

1)上町台地を東西に分断する防御ラインを古代の堀を再度掘り直すことで「岸」を構築する
2)東西両端の茶臼山と岡山には「真田(武田)の丸馬だし」を外側に設置する
3)防御ラインでは、豊臣軍はとにかく守りに徹底する
4)防御ラインを突き破ろうと徳川軍はどんどんと前にでてくる
5)後ろにいる家康と秀忠の本陣との前線の間に空白ができる
6)この空いた空間を茶臼山の信繁隊、岡山の大野治房隊が、両端にあり隠れた丸馬だしから出撃
7)一気に家康と秀忠の2将の本陣を倒す
8)そこへ大坂城から豊臣秀頼が後詰めで出陣して一気に勝利を狙う

という、まさに「大戦略」が準備されていたというのだ。

ところが、実際は「岸」で防御に徹する役目だった毛利勝永隊が徳川軍に突撃してしまい、混戦となってしまい、信繁の戦術は発動することがなかった。

作戦が失敗したにもかかわらず信繁は家康をあと一歩のところまで追いつめている。もしも、作戦通りならば、家康は戦死していた可能性はかなり高かったことだろう。

秀忠VS大野治房の結果はわからないが、大御所戦死の報が流れ、プリンス秀頼が出陣してくれば徳川方に相当な動揺が走ったことはまず間違いない。

各部隊の意思疎通は、第2次世界大戦であっても非常に難しかった。戦国時代の兵卒たちに戦術を徹底させるのはなおさら難しかったであろう。

しかし、最後まで信繁が「潔く散る」ことを念頭においた江戸時代的な武士ではなく、「最大の軍功をあげる」を常に意識していた戦国のもののふであったことを示すこの新説はまことに魅力的である。

ぜひ、本誌を読んでもらいたい。

編集部

 

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