スコッチウイスキーの歴史

イギリス

田舎者の密造酒がイギリスの名産品に~スコッチウイスキーの歴史

2014年から2015年にかけての放送で、酒好きの心をざわつかせ続けた朝ドラ『マッサン』。

日本産ウイスキーの生産に賭けた主人公夫妻の物語であり、思わず居酒屋やBARで一杯!と頼まれた方も少なくないでしょう。

琥珀色した魔法の液体を、香りに酔いながら、チビリと味わう、あの恍惚感――。

あぁ、もう一杯……。

とまぁ、実際はドラマ関係なく飲んでしまうわけですが、ウィスキーの本場と言えばスコットランドやアイルランドです。

意外なことに、かつては同地方の「田舎者が飲んでいる密造酒」でした。

今や英国の大切な名産品がいかにしてその地位を築くようになったのか?

スコッチウイスキーの歴史を振り返ってみましょう。

※以下は朝ドラ『マッサン』の関連記事となります

朝ドラ『マッサン』の見どころは?本物のウイスキー作りを学び酔いしれよう

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医薬品から密造酒へ

蒸留酒の技術は、中東から始まったとされています。

それがアイルランドやスコットランドに伝わったのは、15世紀のこと。

修道院で作られ、はじめのうちは香水や医薬品として扱われていました。それが大麦で作り、飲料にできるよう転用されたとされます。

当初は「アクアヴィッテ」と呼ばれていました。ラテン語で「命の水」という意味です。

現在も北欧やドイツにアクアビットというジャガイモを原料とした蒸留酒がありますね。それが「ウシュケ・バハ」、やがて「ウイスキー」と変化してゆきます。

伝来から1世紀強を経て1627年、ロバート・ヘイグが蒸留業を開始。

これがのちにジョン・ヘイグ社となります。

大麦を手っ取り早く金に換えることのできるウイスキー作りは魅力的な産業であり、1644年、スコットランド議会はウイスキーへの課税を開始しました。

酒造りの変化が訪れるのは1707年。

この年、スコットランドの議会が廃止され、イングランドに統合されると、同議会はウイスキー製造者にガッツリと課税しました。

半ば嫌がらせとも思えるその税率。マトモに払えば、原価の20倍から30倍ほどになってしまいます。

そこで、スコットランドの人々は考えました。

と言ってもコトは単純です。ウイスキーを密造することにしたのです。

かような動きは加速度的に広まり、スコットランドで製造されるウイスキーの半分は密造酒だった時期もあるとか。

 


「馬鹿野郎! ブランデーだって色はついてるだろうが!」

密造酒業者たちはスコットランド北部・ハイランドの高地に逃げ込み、密造酒を盛んに造るようになりました。

彼らが深く考えていたかはわかりませんが、ハイランドはウイスキー作りに最高の条件が揃っていました。

美味い水、高低差のある地形。

そして、ピート(泥炭)がたっぷり!

ピートは燃料としてはあまり効率がよろしくないうえに、燃やすと独特の臭いがします。あまり使い道がありません。

今なおウィスキー作りには必須ですが、換言すればそれ以外に用途がない――ということになります。

ともかく当時の密造業者たちが麦芽の乾燥にピートを使うことにすると、あら不思議、独特の煙臭さがつくではありませんか。

「なんだこりゃあ、煙くせえなあ。こんなの誰が飲むんだよ」

「馬鹿野郎! せっかくピートを使って経費節減しているのにつまんねえケチつけんな。いいか、ウイスキーの香りはこういうもんだってことにすりゃいいんだよ!」

想像ですが、そんな発想の転換があったのでしょう。

ピートを使うのはスコットランド発祥です。アイリッシュにはスモーキーフレーバーはありません。

マッサンこと竹鶴政孝がこだわった「スモーキーフレーバー」は、こんな節約対策から生まれたものだったのです。

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さらに彼らは密造を誤魔化す&経費節減のため、できあがったウイスキーを空になったシェリー樽に詰めました。

こうして出来たウイスキーの蓋を開けてみて二度ビックリ!

今度は琥珀色に染まっていたのです。

実は出来たてのウイスキーは、ジンや焼酎と同じく無色透明です。

それにシェリー樽の色と香りがついたワケで、初めて見た人は、さぞかしギョッとしたことでしょう。

「げええっ、変色している! こいつぁ売り物にならねえなあ……」

「馬鹿野郎! ブランデーだって色はついてるだろうが。せっかく綺麗な琥珀色になったんだ。ウイスキーの色はこういうもんだ、ってことにすりゃいいんだよ!」

今度はそんな発想の転換でもなされたのでしょう。

ちなみにアメリカで密造酒として作られた安価なウイスキーは熟成しないため無色透明でした。そのためアメリカ英語の月光(moonshine)には「密造酒」という意味もあります。

かくして密造酒の過程を経て、ウイスキーは現在の姿になったわけです。

イングランド議会も税徴収のため、何度も密造酒を取り締まりますが、いたちごっこ状態でなかなか取り締まることができませんでした。

 


ジョージ四世が所望だと!?

スコットランド人が黙々と密造ウイスキーを飲んでいる頃。

イングランド人はジン、ビール、ワイン、ブランデー等を飲んでいました。

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ウイスキーは「スコットランドの田舎者がちまちま作る密造酒」というイメージしかなかったのです。

この状況を変えたのが、ジョージ四世です。

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ろくでもない国王として人気のないジョージ四世ですが、芸術センスはなかなかのもの。

そしてもうひとつ、1822年のスコットランド行幸があげられます。

このスコットランド訪問でジョージ四世が脚光を宛てたのがキルト。

そしてウイスキーでした。

「リベットの谷(グレンリベット)に住む、ジョージ・スミスという男の作るウイスキーは美味いと聞くぞ。是非飲んでみたいのぅ」

これを聞いてスコットランドの人々は仰天しました。

なにせ、ジョージ・スミスのウイスキーは密造酒です。

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国王から指名されたスミスは貧しい男でした。

家族を養うため、様々な仕事をこなしながら、ウイスキーを密造していました。

それが一躍有名になったのです。まさに天の与えたチャンスでした。

スミスは、1824年に政府公認を得ました。

政府公認初の蒸留所はこうして誕生したのです。

グレンリベットの日本語サイト(→link

※同じ頃スミスにつづいて名乗りを挙げたグレンリベットは、二世紀の歴史を誇るウイスキーメーカーの元祖として現在も人気を集めています。

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