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シャルロッテ/wikipediaより引用

週刊武春 中南米

メキシコ皇后シャルロッテ(カルロータ)のド狂気 毒殺に怯えながら60年間も生き永らえる

更新日:

シェイクスピアの悲劇『マクベス』。
昨日の記事で、彼はさほど悪くはない、それはあくまでイングランド人が見た話であり、スコットランドでは必ずしも愚王ではない――。

マクベスはそこまでワルじゃない? 実はよく頑張ったスコットランド王の統治事情

と著したばかりですが、それはさておき、シェイクスピアの物語で印象的なキャラクターが「野心で夫を焚きつけるマクベス夫人」でしょう。

夫をそそのかし、王位に就かせたまではよいものの、そのあとは強迫観念にかられてしまう哀れな夫人。
やがて彼女は神経を病み、手に血が付いていると思い込んで、夜毎こすりあわせて洗い……まさしく狂気に取り込まれて、その底へ落ちてゆくのです。

しかし、こうした強迫観念のような業(ごう)は、もしかしたら人類にとって権力の裏側に潜むトラップなのかもしれません。

メキシコ皇后・シャルロッテ(カルロータ)――。

彼女もまた野心を燃やした結果、狂気に呑まれた哀れな王妃です。
夫であるメキシコ皇帝マクシミリアンは非業の死を迎え、彼女自身も悲惨な末路を辿るのでした。

 

野心に燃える、小国ベルギーの王女

1840年、シャルロッテ・フォン・ベルギエンは、ベルギー国王レオポルド一世の王女として誕生しました。
メキシコ皇后としてはスペイン語読みのカルロータとなりますが、本稿ではシャルロッテで統一します。

ベルギーという国は歴史が浅く、夫のレオポルドは、彼女の誕生する9年前に即位しました。

歴史の浅い小国であったせいなのか。ベルギー王室の人は大きな夢を抱いたようです。

「小さな国なんてないんだ、小さな心があるだけさ!」

シャルロットの兄であり、ベルギー国王レオポルド二世はそう考えていました。
しかし、この狂った王こそが、強引に「コンゴ自由国」の植民地化を進め、地獄絵図を生みだしてしまうのですからシャレになりません。

コンゴ自由国は自由どころかガチ地獄! 天然ゴム採取のため住民は酷使され、手首や性器を斬り取られ

こうした兄同様、シャルロットも大きな夢を抱いていました。

「絶対に私は、絢爛たる王冠を被る存在になる! そしてよりよい社会を実現するわ!」

野心に燃えたこの王女が望むことは、ただひとつ。
名門男性との結婚です。

父はベルギー王、母方の祖父はフランス国王ルイ・フィリップ、いとこはヴィクトリア女王
血統的に申し分ない彼女です。

そして、その夢をかなえるための努力も惜しまず、聡明だった彼女は四カ国語を操るまでになりました。

野心に燃える彼女のもとに、縁談を持ち込んだのはヴィクトリア女王でした。
お相手はポルトガル王室。
普通に考えれば、十分に格式を備えているでしょう。
しかし……。

「そんなちっぽけな国になんて、絶対に嫁がないわよ」
シャルロッテは申し出を一蹴したのでした。

 

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文句なし! 旦那はハプスブルク家の御曹司

シャルロッテが16歳になった1856年。
彼女の要求にあう男性が花嫁捜しをしておりました。

オーストリア皇帝フランツ=ヨーゼフの弟、24才になるマクシミリアン大公です。

華やかなイケメンで、魅力的な男性として注目を浴びる存在。
この美男美女カップルは、たちまち恋に落ちました。

シャルロッテが気に入ったのは、その血統でしょう。
なんといっても彼は、五百年の歴史を誇るハプスブルク家の御曹司です。

しかも兄のフランツ=ヨーゼフは意志薄弱で世継ぎができない可能性がありました。
もしもこのまま世継ぎに恵まれなければ、マクシミリアンはオーストリア皇帝、そしてシャルロッテは皇后になれるのです。

1857年に結婚式をあげた後、シャルロッテは嫁ぎ先で歓迎されました。

美しい妃でした。
気品溢れるたたずまいも、やや高慢な表情も、独特の魅力に満ちあふれています。
イタリア語も完璧にマスターしており、流暢な受け答えができました。

夫妻がリベラルな考えに共感していることも、高い人気の背景にありました。

しかし、シャルロッテはどこまで気づいていたのでしょう?

彼女も共感を示していたリベラルな考え方は、君主制度と相性がよいわけではありませんでした。

シャルロッテとマクシミリアン夫妻/wikipediaより引用

 

エリザベートごときが皇后で、なぜ私が

新婚夫妻はヴェネツィア総督として北イタリアへ。
そこでは、共和政に目覚めたイタリアの人々が、ハプスブルク家の支配に反発しておりました。

イタリア貴族たちは、イタリア統一運動の中心であるサヴォイア王家を支持し、ハプスブルク家に顔を背けます。

舞踏会を開けば、招待客は喪服を身につけている。
オペラに招けば、代理人として使用人がやってくる。

それでもシャルロッテは、イタリアの人々から好かれようとしました。
リベラルな考えにもより一層理解を示しました。

しかし、これは保守的な考えを持つハプスブルク家からすれば、背反行為です。
ハプスブルク家は統一運動の軍相手に敗北が続いていて、フランツ=ヨーゼフからすれば、リベラルな弟夫妻は目障りでもあります。

こうした状況で、マクシミリアンとシャルロッテ夫妻は総督の任務を解任されてしまいした。

さらにフランツ=ヨーゼフとエリザベート皇后夫妻に、待望の世継ぎが誕生。
これでマクシミリアンが皇帝、シャルロッテ皇后となる可能性は消えました。

「あの女……よくも余計なことをしてくれたわね!」

シャルロッテの怒りの矛先は、エリーザベト皇后に向けられます。
シシーの愛称で呼ばれ、その美貌と悲劇的な生涯で知られる、あのエリザベート皇后です。

この二人はそもそも相性が悪かったのですが、シャルロッテの憎しみは強まるばかりでした。

「バイエルンのちっぽけな家に生まれたエリザベートごときが皇后で、なんで王女の私が大公妃どまりなのよーッ!」

そんな嫉妬が、シャルロッテの中に渦巻いているのですから、憎たらしくないわけがありません。

夫との仲もぎくしゃくし出します。
ミラマーレ城で鬱々とした日々を送るマクシミリアンは、娼館の女たちに癒しを求めるようになります。

シャルロッテは読書で気を紛らわせるのですが、その奥には野心のマグマが滾(たぎ)っていたのでした。

 

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メキシコ皇后に、私はなる!!

1864年。そんな夫婦に、うまい話がころがりこみます。

「マクシミリアンくん、きみ、ちょっとメキシコ皇帝になってみんかね?」

革命を経て独立しようとしている中南米のメキシコ。
ここに介入し、傀儡政権を樹立しようと、ナポレオン三世がたくらんだのです。

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そのために適当な王はいないだろうか。
そういえば王冠を欲しがっている王族がいたっけ。ということで白羽の矢がマクシミリアンに立ったわけです。

マクシミリアンはためらい、その尻を熱心に叩いたのがシャルロッテでした。

「こんなチャンスは二度とありませんよ。ハプスブルク家に生まれた一員として、ここで話を断ってどうするんですか?」

シャルロッテの脳裏には、バイエルンの王家出身でありながら皇后となったエリザベート、スペイン貴族出身でありながらフランス皇后になったナポレオン三世妃のウジェニーらの姿がチラついていたことでしょう。

「あんな格下の女でも皇后なのに、ここでくすぶるわけにはいかない……!」

聡明な彼女でありながら、なぜ王冠の危うさに気づかなかったのか。
わかっていて敢えて無視したのか。

「かわいそうに、死にに行くようなものよ」

憐れむように首を振り、そう忠告する人もいました。
さらにフランツ=ヨーゼフは弟に要求をつきつけました。

「メキシコ皇帝になるのであれば、オーストリアの皇位継承権を剥奪するが、よいのか?」

それでもシャルロッテはひるみません。

「これは近代史の中でも素晴らしい一ページになるわ。メキシコこそこの世界でも有数の美しい国よ」

マクシミリアンが逡巡し、ウツ状態寸前まで陥るにも、シャルロッテは意気軒昂でした。

 

そこはリアル『北斗の拳』の世界だった

1864年5月。
メキシコ皇帝夫妻は、メキシコ・ベラルクスに上陸を果たします。

しかしそこは、リアル『北斗の拳』&『マッドマックス』のような世界でした。

歓迎の群衆はまばらで、歓迎パーティは襲撃され、銃声が響き渡ります。
王宮はズタボロで、眠れば虫にたかられる始末。
栄光とはほど遠い、蒸し暑い、「死者の街」。

マクシミリアンはそれでも統治しようと頑張るも、努力は空回りするばかりです。
それもそのはず、そもそも皇帝なんて歓迎されていないのですから。

それでもシャルロッテはあきらめません。
夫が不在の際は摂政を引き受け、各地を歩いて周り、なんとか治世を軌道に乗せようと努力を続けます。

しかし、全ては虚しい努力……。

1866年、ナポレオン三世はメキシコ統治に見切りをつけました。
マクシミリアンが未熟というだけではなく、南北戦争を終えたアメリカが独立派を支持するようになっていたのです。
フランス国内でもメキシコ介入に反対する声が高まり、もはや限界でした。

ナポレオン三世は駐留するフランス兵を引き揚げると告げ、マクシミリアンに退位を促しました。
もはや彼もその意向に逆らおうとは思いません。
潮時だったのです。

しかし、シャルロッテは違います。

「ここで神聖なる統治権を放棄するなんてとんでもない!」

優柔不断なマクシミリアンは妻に押し切られ、彼女は決意を固めます。

「私がフランスでナポレオン三世にかけあって、メキシコへの支援継続を頼むわ!」

 

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「こんなものを飲むくらいなら死んだ方がマシよ!」

シャルロッテはフランスへ乗り込み、ナポレオン三世に直談判を試みました。
しかしナポレオン三世は仮病を使い、彼女との会見を避けます。

代わって対面したのは、皇后ウジェニー。
彼女から差しだされた飲み物を、シャルロッテは顔をしかめて飲み干しました。

それから、突然こう語り始めたのです。

「私が馬鹿だったわ! ブルボン家の血が流れているこの私が、ボナパルト家の連中と交渉しようとすることそのものが間違いだったのよ!」

せっかくの相談相手に、いきなりこんなことを言ってしまったシャルロッテ。
何かが彼女の中で、壊れ始めていました。

「誰かが命を狙っている。食事も、飲み物にも、すべて毒が入っている。眠りに落ちれば喉を切り裂かれてしまう!」
そんな妄想に取り憑かれたのです。

ヴァチカンの法王庁では、さらに症状が悪化します。
教皇ピウス九世から勧められた飲み物を前に、シャルロッテは錯乱してしまったのです。

「毒が仕込まれているッ、こんなものを飲むくらいなら死んだ方がマシよ!」

どう考えても精神に異常をきたします。
なだめられ、やっと落ち着いたシャロッテは、メキシコの窮状を訴え続けました。

ピウス九世もウンザリしてしまい、その場からそっと退出。
それでも彼女は法王庁に居座り続け、ついには法王庁内の図書室に一泊することになってしまいます。

「法王庁に女性が宿泊するなんて、風紀が乱れたボルジア家時代以来のスキャンダルだ……」

法王庁はシャルロッテの嘆願を聞くどころか、スキャンダルに頭を抱えてしまいました。彼女の嘆願は逆効果にしかならなかったのです。

メキシコ皇后になったシャルロッテ/wikipediaより引用

 

ヴァチカン市民も(・o・)「あれは一体何なのか」

「ありとあらゆる飲み物に、毒が入っているッ!」
ヴァチカンで差しだされる飲み物を全て断り続けた彼女は、馬車でトレビの泉に駆けつけると、ごくごくとその水を飲み出しました。
何も飲めず、喉がかわききっていました。

食事は屋台で買い込んだものか、侍女が目の前で作った粗末なもののみ。
それでも安心できず、猫を毒味のために連れていました。

何をしても疑いが晴れない彼女は、いくら洗っても手の汚れが落ちないと嘆くマクベス夫人のようです。

「眠っている間に私の喉は切り裂かれるのよ!」

ついにシャルロッテは暗殺者を恐れ、夜も眠れず、あたりをうろつきました。
しかも、時には裸。
ヴァチカンの市民は狂気の皇后の姿をおそれ、一体あれは何なのかと噂します。

周囲の人々は、彼女がろくに食事を口にしないことから、もはや長くは生きられないだろう。そんな風に囁きあいました。
シャルロッテ自身も死を覚悟し、ついに遺書まで書く始末です。

そんな彼女を案じた兄フランドル伯フィリップが駆けつけ、妹を精神科医に診察させました。
目はうつろ。
美しかった髪はもつれ、やせ衰えたシャルロッテからは、かつての美貌も聡明さも失われていました。

「お気の毒ですが、皇后陛下は発狂されておりますな……急性パラノイアでしょう」

そう診断がくだされた彼女は、ミラマーレ城に幽閉されたのでした。

メキシコにいたマクシミリアンにも、シャルロッテの一報を知らされます。

そして1867年、彼は「最期に見たのは妻の姿だったよ」と言い残し、反メキシコ皇帝軍に処刑されたのでした。

 

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狂気の中で生き永らえること実に60年

ミラマーレ城からベルギーに連れ戻されたシャルロッテは、居城を転転としながら狂気の中を生きていました。

夫の死すら知らず、狂気の中を生きる日々。
彼女の周囲に群がるのは、財産を狙う山師同然の者たちでした。

彼女は20代後半で精神を病んでから半世紀以上、実に60年という歳月を生きることになります。
その狂気の中で、野心は溶けて消え、ただ夫への愛だけが残りました。

狂気の世界の中で、彼女の夫は皇帝であり、彼女は皇后でした。

そして1927年、彼女は86才という、当時としては飛び抜けた長寿でこの世を去るのです。

レオポルド一世の子女の中で、最も長く生きたのが彼女。
野心に生き、溺れ、狂気に呑まれた長い生涯でした。

文:小檜山青




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【参考文献】

 

織田信長 武田信玄 真田幸村(信繁) 伊達政宗 徳川家康 豊臣秀吉 毛利元就 




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