トマ=アレクサンドル・デュマ/wikipediaより引用

フランス 週刊武春 作家

猛将トマ=アレクサンドル・デュマ~ナポレオンに背いた英雄はあの文豪の父

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人馬一体の姿はケンタウルス、勇猛さはヘラクレス

五万人の兵が参加したこの遠征に、アレクサンドルは当初から違和感と不快感を覚えていました。

酷暑の砂漠を行軍するというのに、将兵たちはウールでできた軍服を着込んでいます。
装備は18キロ。

イタリアならば喉が渇けば小川なり井戸を探せばよいですし、食料だっていざとなれば調達できます。ところがエジプトの砂漠では飲み水も食料もありません。

兵士は暑さと飢えに苦しみ、バタバタと斃れていきます。この現状に多くの将兵が怒り狂い、遠征軍の状況は悪化していきます。革命の理想を掲げるアレクサンドルは、人の命を平然と消費するナポレオンに嫌悪感を抱き、「己の野心で無謀な遠征を行っている」と厳しい批判をするようになります。

一方、ナポレオンにとってもアレクサンドルは目障りでした。

この遠征軍の中でひときわ目立つ将軍はアレクサンドルです。現地の人々は、痩せて顔色が悪い小男であるナポレオンを見ても「なんだ、あんな男が指揮官なのか」と失望しました。

しかし、背が高く見栄えがして、砂漠でも堂々と馬を乗りこなす彼は超人的な印象を与えました。

味方からはその人馬一体の様をケンタウルスにたとえられ、勇猛さはヘラクレスにもたとえられ。
反抗的な現地の人々も、アレクサンドルが来ると言うことを聞きます。

 

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その絵にアレクサンドルの姿はない

ナポレオンはそんなアレクサンドルを活用する一方で、その存在感を不快に思っていたのです。

この遠征中に起きたカイロの反乱で、馬にまたがったアレクサンドルが敵を蹴散らしに現れると、人々は「天使だ! 天使が来たぞ!」と逃げ散りました。

イスラムの教典にあらわれる「死の天使アズラーイール」と彼を重ね合わせたのです。

彼はこのときめざましい活躍でナポレオンを救ったにも関わらず、その活躍は抹消されました。
1810年に描かれたこの戦いを主題とした絵には、アレクサンドルの姿はありません。

Révolte du Caire, 21 octobre 1798. Huile sur toile/wikipediaより引用

サーベルを振り上げる竜騎兵は、白い肌の持ち主として描かれています。

活躍を見せる一方で、歯に衣を着せぬ言葉でナポレオンを批判し続けたアレクサンドル。有能さを認めながらも、彼の反抗的態度に怒りを覚えていたナポレオン。両者は決裂し、アレクサンドルは遠征軍から解任され、1799年3月にエジプトから離れます。

しかし彼を乗せた船は、フランスにたどり着くことはなかったのです。

 

無実の罪で収監され、人種差別に苦しむ

アレクサンドルを乗せた船は遭難し、結局フランスではなくナポリ王国に入港します。

当時のナポリ王国の妃はマリー・アントワネットのすぐ上の姉にあたるマリア・カロリーナ。妹を処刑したフランスに対し、彼女が好印象を抱いているわけはありません。この敵国でアレクサンドルは罪もないのに収監され、劣悪な環境に置かれます。

家族に窮状を示す手紙を書くこともできません。毒を混ぜた食事を与えられ、じめじめした牢獄で過ごし、運動すらろくにできず、ヘラクレスのようだった体躯は蝕まれてゆきます。
そして1801年、ようやく釈放され母国に戻った時、デュマはすっかり変わり果てた姿になっていたのでした。

母国も家族もすっかり変わっています。
アレクサンドルの投獄期間、その給与は支払われてはおらず、残された妻子は困窮していました。1799年、ナポレオンはエジプトから帰国するとクーデターを起こし、執政として権力を握っていました。
アレクサンドルを嫌うナポレオンは、未払い給与の支払いにも、軍務の復帰にも反対しました。

もはや祖国は、革命の理想を捨てていました。アレクサンドルのような有色人種にとっては、革命前より状況は悪化していたのです。

ナポレオンは異人種間の結婚を禁じ、有色人種の将校への道を閉ざし、さらには居住区域を制限。アレクサンドルは軍務に復帰することどころか、このまま祖国で暮らすことすら危うい状況に陥ったのです。かつて彼と親しくしていた軍の同僚たちも、誰も彼を庇わないどころか、次第に避けるようになっていきました。

ナポリで衰えた肉体は回復してきたものの、軍務に復帰する道を絶たれたアレクサンドルの精神は絶望に打ち砕かれました。

1806年、かつて猛将とうたわれ、ヘラクレスのようだと賞賛されたアレクサンドルは、失意のうちに世を去ります。

享年43。
彼の死後、遺族は年金すら支給されず、残された妻子は困窮の中で暮らすことになるのでした。

 

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英雄は文豪の作品の中で甦る

差別に悩み、苦しみ、無念のうちに亡くなった父・アレクサンドル。
その姿を、彼と同じ名を持つ幼い息子はジッと見つめていました。

父や母が話してくれる昔話、父の同輩であった将軍たちと出会った話。そうした思い出を彼は生涯大切にし続けました。
彼はのちに作家となり、数多くの作品を生み出してゆきます。アレクサンドル・デュマ、フランスを代表する文豪です。

アレクサンドル・デュマ/wikipediaより引用

デュマの描く作品には、彼が理想化してあこがれ続けた父の姿が反映されています。

剣に強く、弱きものを救うダルタニャン。
無実の罪で投獄されるも、復讐を遂げるエドモン・ダンテス。
文豪デュマの描く快男児の中には、アレクサンドルの人となりや経歴が投影されているのです。

ナポレオンはアレクサンドルの姿を戦争画から消し、経歴をも抹消しようとしました。

しかし息子のデュマが作品を通して父の姿を甦らせたのでした。

そして21世紀の現在、アレクサンドルの生涯が別の意味でも注目を集めています。
差別はアレクサンドルの軍人としての経歴を奪いましたが、差別によってフランスも偉大な将軍を失ったのです。

アレクサンドルの生涯は、没後二百年を経た今も、様々な意味で色褪せることはないのです。

小檜山青/記

【参考文献】

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猛将にしてプレイボーイ。
アレクサンドルの一生を描いた作品です。

 



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