織田家 豊臣家 週刊武春

南蛮甲冑が似合うダンディーな武将といえば信長さん……じゃなかった!

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南蛮ヨロイというと誰を思い出すだろうか?

99%の人(当編集部の推定)は織田信長と断言するはずだ。

なにしろ、信長が天下布武を発したJR岐阜駅の駅前には岐阜市公認の黄金の南蛮ヨロイを着た信長像が飾られている(TOP画像)。

モデルとなったのは山形・天童藩織田家伝来の南蛮胴具足。
現在、岐阜市博物館が所蔵するものだ。

南蛮胴具足(岐阜市歴史博物館蔵、図録「変革のとき桃山」より引用)

南蛮胴具足(岐阜市歴史博物館蔵、図録「変革のとき桃山」より引用)

ところが、である。
肝心の信長は南蛮甲冑を見たこともなければ、ましてや着たこともなかった。

南蛮甲冑は、その見た目から鳩胸胴とも呼ばれている。
胸部がとがって弾丸をうまく反らせてくれそうだ。

長篠の戦いで鉄砲隊を使った信長ならば、鉄砲への防御面からも導入していそうだが…。

実はこのタイプの鎧が日本に入ってきたのは豊臣秀吉が天下を取った後、つまり信長の死後のことだったことが歴史研究で判明している。

そう。
あの格好いい南蛮ヨロイを着ていたのは、猿だったのだ!

淀君も惚れる、そう、このスーツならばね(絵・くらたにゆきこ)

ちょっとイメージ的にガックリだが、天正15年(1587)にポルトガルのインド福王から秀吉に贈答されている。

もう一人着ているのが確実なのは、徳川家康で、日光東照宮と紀州東照宮に今も重要文化財としてまつられている。
猿と狸が着ても似合わないって?
しゃあない、それが史実から伝わることなのだ。

ちなみに、岐阜駅の信長像は当然、歴史研究者や担当者からは異論が出たが、観光的に押し切られたらしい。
まぁ歴史マニアにとっては、岐阜駅に下りたときにドヤ顔で説明できる格好のネタともいえるけど。

ちなみに岐阜市歴史博物館蔵の南蛮胴具足は、信長の息子・織田信雄の代以降に日本で制作されたものと見られている(兜は南蛮製)。

信長の生涯については、以下の記事をご参照いただきたい。

織田信長の生誕から本能寺まで49年の生涯をスッキリ解説【年表付き】

川和二十六・記

 



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