明治・大正・昭和時代 週刊武春

今日も「新幹線」が活躍できるのは零戦など航空技術者たちのお陰です

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ゴールデンウィークの時期になると、なんとなーく気になってしまうのが
【新幹線の乗車率】
でしょう。

テレビのニュースでは、「150%だ、200%だ」と大騒ぎして。

【我々は新幹線が無ければ生きてはいけません!】
というのは半分冗談だけど、半分以上はマジです。

では、この新幹線がいつから開通したか、ご存知ですか?

答えは今から50年前の1964年10月1日。
東京オリンピックの開幕を間近に控え、東京と新大阪とを4時間で結ぶ東海道新幹線が営業運転を開始しました。

新幹線は、当時最新の鉄道技術の結晶ともいえるもの。
その成功は、高速鉄道による大量輸送という、新ジャンル開拓の契機となったのです。

 

「弾丸列車構想」という下地はあった

この新幹線の成功を導いた立役者は?

新幹線開業の前年まで国鉄総裁を務めた十河信二(そごうしんじ)と、国鉄技師長だった島秀雄です。

鉄道ファンの間では有名な二人。
彼らの構想を実現させたのは、それまでの鉄道技術にしがらみを持たない多くの航空技術者たちでした。

十河信二/国立国会図書館蔵

十河は、南満洲鉄道株式会社(満鉄)理事として、高速鉄道「あじあ」号の営業運転に携わり、島は、国鉄技師として弾丸列車構想に策定した経験を持っています。

弾丸列車構想というのは、戦争のための物流強化を目的として、東京と下関を9時間で結ぶ高速鉄道計画。
1940年ごろから用地買収と一部の工事が始まっていました。

東海道新幹線の工事が比較的順調に進んだのは、こうした土台がある程度出来上がっていたからだと言われています。

では、人的資源は?
列車の開発に際して島が求めたのは、従来の鉄道技術者ではなく、航空機関連の設計技術者でした。

 

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航空機の開発技術者 その数、500人以上

日本が戦争に敗れ、職を失った多くの軍関係者たち。
島が、新幹線の開発で雇い入れたのが、主に航空機の設計に携わっていた技術者たちでした。

その数、実に500名を超えたと言われています。

鉄道の高速化を見越していた島は、それを可能とするために飛行機の
・形状
・力学
・振動工学
・電気技術
など、様々な先端技術を鉄道の世界に確保しようとしたのです。

そして島が採用した技術者の中に、初代の新幹線0系電車を設計した、元日本海軍技術少佐の三木忠直もいました。

採用された技術者の多くは、日本軍の戦闘機の設計に携わった経験があり、軍籍を持っていた前歴によって、公職追放の憂き目にあった者も少なくありません。

しかし、追放の嵐を凌いだ技術者たちは、十河らの支持も得て、高速鉄道の実現に向けた研究を一気に加速させます。

世界銀行からの融資も決まった新幹線計画。
1958年の建設計画の承認から僅か6年で、営業運転に漕ぎつけたのでした。

みはぎのまりお・記

【参考】




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不屈の春雷〈下〉―十河信二とその時代

 



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