風船爆弾/wikipediaより引用

週刊武春 WWⅡ

こどもの日に子供の命を奪った~脅威の風船爆弾は和紙とコンニャクで作られた

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第二次世界大戦末期の1944年11月3日。
千葉県一の宮上空に飛び上がった戦闘機から、次々に風船が放たれていきました。

この日から、翌年3月までの約5か月ほどの間に、約6000個(アメリカ戦略爆撃調査団報告によれば約9000個)の風船が、千葉のほか、茨城県大津、福島県勿来の3か所から放流。

そのうち少なくとも1000個がアメリカ大陸に到達し、うち355個がアメリカ本土26州に命中したのでした。

 

 ハイテクすぎるアナログ兵器

和紙をコンニャク糊で張り合わせたという風船爆弾。
まるで日本の伝統工芸品並みの技術で作られた直径約10mの気球には、水素と一緒に4発程度の焼夷弾がぶら下げられておりました。

攻撃対象は、もちろん戦争相手のアメリカです。
砂袋で高度調節を図りながら、偏西風に乗せて米国本土まで運んで落下させるという、究極のアナログ兵器でした。

コンニャク糊は接着力が強力であり、和紙もまた水分や気温の変動への耐久力がある。
ゆえに1万メートルの上空を、時速100kmから300kmの速度で飛行しても、十分に浮力を維持したと言います。

しかも、可燃物だけで構成されたこの爆弾は、落下後には、そのまま燃えてしまい、証拠を残さないという、実に合理的な設計思想に基づいておりました。

日本陸軍が準備した風船は1万個。
戦闘機に積み、上空で放流すると、偏西風に乗った風船は、早ければ2日程度でアメリカ大陸に到達したと考えられています。

偏西風は、夏よりも冬の方が速度が速く、このことが、冬を作戦実施の時期に選んだ理由でした。

放流は、風のある天気の良い日を選び、一週間に1回ないし2回、1回あたり200個を限度として実施されています。

作戦開始とともに、陸軍参謀本部は、アメリカにおける被害状況を、あらゆるチャンネルを使って収集しようと試みました。

1944年12月中旬にモンタナ州で発生した山火事に関する新聞報道には「日本製の気球らしきものが見つかった」の記事が掲載されます。
が、その後アメリカのメディアから、風船爆弾の戦果に関する報道が聞かれることはありませんでした。

そして、1945年3月、参謀本部はやむなくこの作戦を失敗と認め、作戦中止を命ずるに至ります。

 

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「特定秘密保持」で乗り切ったアメリカ 子供たちに犠牲も

ところが、当のアメリカは、この風船爆弾という脅威に戸惑っておりました。

どう対応すれば良いのか、有効な手立てを見つけられないまま、とりあえずは情報統制に躍起。
風船爆弾に関する報道を一切禁止し、日本側に、その効果についての評価をさせまいとしたのです。

理由は2つありました。

1つは、風船爆弾が、比較的安価で簡易に製作されており、作戦の続行が日本にとって大きな負担とはならないこと。
もう1つは、その結果として、仮に作戦が夏の日照りの時期まで続いた場合、掛け値なしに深刻な被害が懸念されたことです。

この懸念は、あながち誇張でもないと思われます。

なぜなら、6000個の風船のうち、アメリカ大陸に到達したものは約1000個で放流個数の16%に到達。
アメリカ本土に限っても、26州に命中した爆弾は355個であり、この数は放流された風船の5%強を占めました。

これは、当時の高高度からの精密爆撃よりも命中率の点で優れていたのです。
広い範囲で同時多発的に爆撃が敢行されるのと同じ脅威であり、しかも相手は風船ですから、見つけて撃ち落としても、結局、日本は目的を達成するという厄介なシロモノだったのです。

 

1945年5月5日子供4人を含む5名の死者

結果的、アメリカによるメディアの情報統制は効を奏しました。

前述のように日本陸軍参謀本部は、1945年3月に作戦の中止を決定。
しかし、作戦自体は、風船と爆弾があればいつでも再開可能なため、アメリカでは、対日戦争の継続中は引き続き情報統制を続けなければなりません。

そのため、国内に警報を発することもできないというジレンマに陥ることになります。

そして1945年5月5日、遂に、人命が失われる事態が発生するのです。

この日、オレゴン州で遠足に出かけた一団の子供が、遠足先で見つけた風船を手繰り寄せたところ、焼夷弾が爆発。
これにより子供4人を含む5名の死者が出ました。

それでもなお、アメリカは、国民に向けての注意喚起をすることができなかったのです。

いつの時代にあっても、戦争とは無縁のはずの女性や子供が、戦争の犠牲になる例は枚挙にいとまがありませんが、このケースもまた、戦争がもたらした悲劇であったと言えるでしょう。

みはぎのまりお・記




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【参考】
富永謙吾『風船爆弾、米本土に飛ぶ』
暁教育図書出版編『昭和日本史5 太平洋戦争後期』(1984年)

 



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