絵・富永商太

織田家 麒麟がくる特集 週刊武春

本能寺の変 真相は? 光秀の動機諸説マトメ&信長の遺体はドコ行った?

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秀吉黒幕説

『古舘トーキングヒストリー~戦国最大のミステリー 本能寺の変、完全実況~』で、世間的にも著名な研究者・磯田道史さんも「証拠はないが」とした上で【秀吉黒幕説】に触れておりました。

イラスト/富永商太

光秀は秀吉の援軍として中国へ向かう予定だったので、両者の間でやりとりはあった。
そのパイプで光秀が事前に秀吉に知らせることは可能という趣旨です。

秀吉黒幕説 答え合わせ

あくまで可能であって何ら裏付けはありません。
そもそも確たる裏付けがあれば、磯田先生も提示されていたでしょう。

実際に磯田先生は「証明は今後も不可能」だとされています。

なぜなら、仮に秀吉が黒幕だったとしても、その後天下人になっていますから証拠はすべて消しているはずです。
関わった全員を殺すぐらいのことは平気でやるでしょう。

ただし、事件の背景に豊臣秀吉が絡んでいるってのはフィクションでは最高に面白いですよね。

最近の小説では
『信長の棺』(→amazon link
『秀吉の枷』(→amazon link
『明智左馬助の恋』(→amazon link
あたりがこれに近い説ですね。

マンガでは
へうげもの』(→amazon link
でしょう。

読んでいると面白すぎて、同時に秀吉が恐すぎて震えてしまいます。
ブラック秀吉って、やっぱり迫力あるんですよね。

 

四国動乱説

かつて織田信長は、長宗我部元親に対し
「四国は好きなだけ領地にしていいよ、取れたらね」
と認めました(1575年)。

そのとき取次役を担っていたのが光秀。
当初は何ら問題なかったのですが、元親が破竹の勢いで四国各勢力を制圧していく中で、次第に状況が変わっていきます。

元親の勢力を邪魔くさく感じた信長が、元親に領地の返還命令をくだしたのです。

「土佐と阿波南部の領有は認めるけど、伊予と讃岐は返せや!」

「ああん? 自分で取った土地を返す必要なんてないやろがい!」

当然ながら信長に反発する元親。
間に挟まれた光秀は、元親を説得すべく石谷頼辰(いしがいよりとき)を派遣しました。

石谷頼辰は、光秀の腹心・斎藤利三の兄。
しかも長宗我部元親の義兄にもあたり(義理の妹が元親の正妻だった)、何かと繋がりがあります。

それが結局、説得できず、光秀はメンツを潰されてしまったのでした。
以来、光秀は信長にないがしろにされつつあり、苦境に陥ってしまったために謀反を起こすというものです。

長宗我部元親像

四国動乱説 答え合わせ

四国説を裏付けるものとして、2014年6月と2015年5月、歴史的意義が深い新史料が提示されました。

林原美術館と岡山県立博物館が発表した書状です。

本能寺の変直前に明智家と長宗我部家がヤリトリしていた内容に加えて、信長と旧知の間柄だった近衛前久まで絡むというお熱いもので「本能寺の変・四国説」を強めるかと思ったら、否定する一面を備えておりました。

「領地を減らせ」という信長の無理難題を受け入れ、長宗我部が織田の軍門に下る意向を示していたのです。
要は、元親が折れたんですね。

すると新たな疑問が湧いてきます。

このころ織田信長は、織田信孝丹羽長秀に命じて「四国方面軍」を編成させておりました。

ほらやっぱり攻めようとしてたんじゃん。
元親との交渉がうまくいったならば、そんな必要ないでしょ。

という疑問もさらに湧いてきますが、信孝と長秀が【使者】であると考えればナゾが氷解するという指摘もあります。
うわーーーー、一体、どっちなんだよーーーー!

やっぱり信長は長宗我部の「四国切り取り」を認めていた!裏付け史料解明

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光秀高齢説

本能寺の変当時、55歳前後と考えられていた光秀が実は67歳だった。

「老い先短きゆえに実力行使にでたのではないか?」という見方です。

佐久間信盛や林秀貞のように、譜代の重臣といえども、働きが満足でないと躊躇なく解雇してきた信長。
それを間近で見てきた光秀が将来に不安を感じてクーデターを起こしたというものです。

確かに明智軍団も所帯が大きくなっており、突如、お役を奪われたら、残された一族と家臣が悲惨な末路になりかねません。

光秀高齢説 答え合わせ

確認したいのは2冊の史料です。

55才の根拠となる資料が『明智軍記』で江戸中期に編纂。

67才の根拠となる資料が『当代記』で江戸初期に編纂。

著者なども含めると『当代記』の方が史料的価値が高く、67才である可能性も高まってくる――とのことですが、単に歳をとったから殺すというのも根拠の薄い話ですよね。

ただ、一因にはなったかもしれません。
老い先短く、子孫たちを心配するのは致し方ないことでしょう。

 

家康謀殺計画からの発展説

明智家のご子孫・明智憲三郎さん執筆で、ベストセラーにもなった書籍が『本能寺の変 431年目の真実』(→amazon link)です。

当書籍では、主に5つの定説に疑問を投げかけ進んで参ります。

・ 信長は、何故わずか数十人の少人数で本能寺に入ったのか。

・ 光秀はなぜ謀反に走ったのか。

光秀は、本能寺での家康討ちが6月2日であることをいつ知ったのか。

・家康は本能寺の変にどう関わっていたのか。

・秀吉の「中国大返し」は何故可能だったのか。

家康謀殺計画からの発展説 答え合わせ

ここで引っかかるのが3です。

突然、「光秀は、本能寺での家康討ちが6月2日であることをいつ知ったのか」という提言がありまして。
これ、要は、織田信長は「本能寺で家康を討とうという計画を持っていた」ということが前提になっているのです。

最大の読みどころであり、かつ、最大の弱点とも言える論点ながら、人気の一冊。
説としては可能性が低く感じます。

ただし、最近はマンガもヒットしており、エンタメとして読むにはオススメです。

文庫『本能寺の変 431年目の真実』(→amazon link
マンガ『信長を殺した男~本能寺の変 431年目の真実~』(→amazon link

最後にちょっとした疑問にも触れておきましょう。

 

結論:突発的単独犯行説

事前にアレコレ手回ししたとか。
計画を連歌に詠んだとか。

物語に描く以上、そういったディティールが必要なわけで、これまで数多の諸説が語られてきた本能寺の変。

個人的な結論は
【突発的な単独犯行説】
です。

千載一遇のチャンスが来たから襲った。
京都近くには、味方になってくれるであろうと踏んでいた細川幽斎細川忠興・筒井順慶たちがいたので、まずは行動を起こして巻き込もう――。そう考えたのではないでしょうか。

重要なのは【千載一遇のチャンス】というところです。

織田家の最高権力者たる【織田信長】と【織田信忠】を同時に討てる機会であり、それはほとんど偶然やってきたものでした。

逆に言えば、事前にそんなことは予測できないから、計画的な犯行はハナから無理だと感じます。
呉座勇一先生のご著書と同様の結論なので、なんだか乗っかってしまったみたいで気が引けるのですが、とにかく光秀が事前に誰かに話してしまうようなアホには思えません。

恨みもあったかもしれない。
老齢だったかもしれない。

たしかにそういう要因はありますが、だからといって背中を押すほどの熱量ではなく、とにかく信長・信忠親子が揃って初めてなし得るものでしょう。

 

信長 直接の死因は?

信長の死因は、確認されておりません。

自刃の可能性が高そうですが、中で誰か介錯したのか、しないのか。
あるいは燃え盛る本能寺の中で、首尾よく自害などできたのか。

その辺の疑問を考察しているのが以下の記事です。

本能寺の信長は一酸化炭素中毒で死んだ?リアルな死因を現代医師の目で考察

6 ...

続きを見る

現役の女医が死因を合理的に分析していますのでよろしければ。

 

信長の遺体はなぜない?

前述のとおり、光秀は信長の遺体を回収できず、それがクーデター失敗の遠因の一つになったとも考えられます。

おそらくや跡形もなく燃えたのでしょう。
小説『信長の棺』では、信長が秘かに設置していたトンネルで脱出しようとしたら、途中で道が塞がれており、その場で絶命した――という仰天のクライマックスとなっておりましたが、そうでもなければ寺の中で焼失したと考える方が自然です。

しかし!
前述の通り、それとは別に清玉上人が遺灰を阿弥陀寺へ持ち去ったという説もあります。

よろしければ以下の記事をご参照ください。

信長の遺体が消えたのは清玉上人が埋葬したから?本能寺もう一つのナゾ

天 ...

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信長に襲いかかった武将の行く末が面白い

本能寺の変と言いますと、ほとんど信長と光秀の話に収束されてしまいます。

死ぬ前に『人間五十年~』とか舞ったのかな?
とか
「敵は本能寺にあり!」って本当に言ったのかな?
とか、そういう場面が気になってくるでしょう。

しかし、ここで一つ注目しておきたい方がおられます。

安田国継です。
またの名を天野源右衛門と言いまして、斎藤利三につかえていた武士です。

地味な名前ではありますが、この安田国継が信長に【一番槍】を突き刺したとされているのです。
それが致命傷だったとしたら、死因はこの槍になってきますよね。

他には森蘭丸も討ち取っているとされ、なかなか大活躍されているのに、その後はほとんど注目されませんよね?

その辺も含めたマトメたのが以下の記事になります。

鳥居強右衛門と競るぐらい面白い、この無名なツワモノ。
本能寺の変からちょうど15年後の6月2日に亡くなるという数奇な運命の持ち主でもありました。

信長に一番槍を喰らわせた安田国継、本能寺の後は?立花宗茂や水野勝成と共に

安 ...

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文:五十嵐利休

【参考】
『陰謀の日本中世史』(→amazon link
『人物叢書 織田信長』(→amazon link
『戦国武将合戦事典』(→amazon link
国史大辞典

 



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