ペテルブルグの秘密警察に秘蔵されていたスターリンの写真/wikipediaより引用

ロシア 週刊武春

ルパン顔負けの銀行強盗 若き日のレーニン&スターリンがマジでやっていた

投稿日:

「働けど働けど、我が暮らし何とやらな生活は、これ即ちブルジョア社会が原因だぁ!」
と怒って起ち上がったレーニンやスターリン。

しかし、後世の我々がよく知る革命だけでなく、彼ら自身がトンデモナイ重大犯罪にも手を染めていたことがありまして。

それが【銀行強盗】です。

 

レーニンもスターリンも馬車襲撃にイイネ!

当時、ボルシェビキとの異名を取った、後のソ連共産党のメンバーは、過激な人が多かったようです。

優れた捜査能力と抜群の弾圧力(って言い方もヘンですけど)を持つ、ロシアの秘密警察「オフラナ」に絶えず追いかけ回されているのですから、稼ぐ間も無しってのもあったのでしょう。
とにかく慢性的な金欠状態。

そこで考えついたのが、「政府のカネを積んだ馬車を襲撃しようぜ!」という、超過激な計画でした。

しかも、参加した面子を見ると、レーニンとスターリンの名前が!
超ゴージャスです。

決行場所は、現在グルジアの首都となっているトビリシ。

エレバン広場(現在は『自由広場』と改称)で、ロシア国立銀行の支店から出てくる馬車を待ち伏せて、掠め取ろうとしたのでした。

 

ロシア共産党の華々しい「銀行強盗」

言うなれば、日銀の支店を出てきた現金輸送車を襲うようなもんですね。

当然ながら、カネを運ぶ方は丸腰ではありません。
警官隊によって物々しく防護されていたのですが、凄いと言うか何と言うか、爆弾を投げつけたりして見事に奪取しているのです。

グルジアに関するQ&Aサイトである「グルジア・アバウト」では、当時の様子を次のように報じています。

ロシアに共産党が産声を上げたのが1898年。
つまり、当時は出来て9年目だったのですが、その間ずーっとカネに困っていました。

そこで何とかしようと、ベルリンでレーニンとスターリンが協議して
「やっちまおう!」
と計画を練ったのが、1907年4月。

グルジア育ちで土地勘があるという事で選ばれたのが、上記のトビリシだった訳です。

 

主犯は鴨ならぬカモ 幕末っぽいな

襲撃に当たってはカモ(Kamo)と言う暗号名の共産党員も加わりました。

アルメニア系の共産党員でして、文字通りの武闘派。
各種の武器を操る男だったのだそうです。

カモ (ボリシェヴィキ)/wikipediaより引用

で、このカモが主犯となって、事件の指揮に当たります。

どうしても「鴨」という字が頭をよぎって、カネを取られる方じゃないの?と勘違いしそうですね。
カモは取る側です。強奪犯の一人。

パッと見た限りでは、知的な感じの人物ですよね。

ちなみに、こちらは当時のペテルブルグの秘密警察に秘蔵されていた、スターリンに関する資料です。

スターリン/wikipediaより引用

こっちの方が、よほどお尋ね者っぽいですね。
ちゅーか、実際にお尋ね者だったし。

 

内部に共産党のシンパがいる

襲撃目標となった貨物馬車について。
白羽の矢が立ったのには上記以外にも理由がありました。

トビリシの郵便局に、共産党のシンパの職員がいたのです。

で、そのシンパが「6月27日に大金を載せた貨物馬車が銀行と郵便局を往復しますよ」との秘密情報を寄せました。

現在の米ドルに換算して400万ドルという大金。
そりゃあ「やっちまえ!」となりますわな。

スターリンとカモらのメンバーは広場で待ち伏せし、そうとは露とも知らぬ馬車が通りかかったのが午前10時30分。

スターリンらは、手榴弾や爆弾を投げつけ、行く手を塞ぎます。

image005

そして、現場で誰1人逮捕される事も無く、すばやく逃走したそうですから、お見事としか言いようが無い(汗)。
後に残されたのは40人の死者と50人の負傷者が出たそうです。ただただ凶悪やんけ。

 

世界各地の新聞に鮮烈デビュー

実に血なまぐさいこの事件。
死傷者の数だけでなく金額の規模も凄かったため、当時、世界中の新聞が書き立てました。

例えば、ロンドンのデイリー・ミラー紙は
【爆弾の雨:テロ集団、衆人環視の中を爆弾を投げつける】
と、大衆紙らしく生々しい見出しを付けたかと思えば、高級紙であるタイムズ・オブ・ロンドンでも
【ティフィルスで爆弾による非道行為】
と報道。

フランスのラ・テンプスでは【大災厄!】等と報じました。

image007

こういう見出しだと強盗事件だと分かりづらいですよね。

新聞社でレイアウトをしていた身としては、如何なものかという気がしますが、あのニューヨーク・タイムズでは「
【爆弾で死者多数:17万ドル奪われる】
との見出しで報じています。
流石ですなぁ。

 

華麗な強盗も番号控えられ使えず

と、ここまで書くと共産党側の大勝利と思えますが、結局このカネの大半は使えませんでした。
というのも、銀行側が札のシリアル・ナンバーを控えており、それを警察側に通報したからです。

「ならば海外で使うまでじゃぁ」
と、レーニンらはロシア国外の銀行で現地通貨と交換を試みますが、照会が回っていた事もあって、地元の警察に通報され、大勢の党員が逮捕されます。

また、こうした逮捕劇が各国の新聞で報じられると、それまで共産党にシンパシーを感じていた欧州の社会民主主義者らからも非難される結果となりました。
「悪銭身につかず」ってことですかね。

主犯格のカモもドイツでお縄となり、3年超の懲役刑を宣告されます。

が、その後ほどなくして脱走。
再び強盗を計画していた1909年に、今度はロシアで逮捕されました。

一旦は死刑を宣告され、その後、終身刑に減刑。
そうこうする内にロシア革命が勃発し、大活躍(?)が認められて釈放されます。

その後、政府機関で働き、1922年、自転車に乗っているところをトラックに轢かれ、世を去ります。
事故説とスターリンによる謀殺説があるそうです(ウィキペディア英語版より)。

結局、スターリンの独り勝ちって所でしょうか。

それにしても、凄い行動力ですね。
世が世なら、大親分になっていたでしょうなぁ……というか、ソ連自体がヤ●ザのようなもんだったか。こりゃ、お後が宜しいようで。

南如水・記

 



-ロシア, 週刊武春

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2019 All Rights Reserved.