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まり先生の歴史診察室 イギリス

致死率8割の死神コレラ! 止めたのはビクトリア女王に麻酔をかけた男だった

更新日:

 

【編集部より】

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【本文ここから】

人気の歴史漫画(ドラマ)『仁─JIN─』で気になる病気ってなんです?

乳ガンやら脚気やら、いずれも象徴的なエピソードが続く中、やっぱりインパクトが大きかったのは、皆がウ◯コを漏らしまくる「コロリ」こと「コレラ」ではないでしょうか。

ただ、現代日本ではあまりリアルに語られることはないため、もしかしたら切迫した恐怖はないかもしれません。

昭和時代には、まだ身近だったんですけどね。平成の世じゃ仕方ないかなぁ……。

しかーし! コロリ is still alive!

もしも感染すれば重度の下痢で脱水症状になり、命に関わる怖い病気であることは今も変わっておりません。

それが、とある英国人の活躍で劇的に改善されるようになり、後の医学にも大きな影響を与えたのです。

本日は、コレラとその歴史を診てみましょう。

死神として描かれたコレラ。かつては、さほどに恐れられるほど死亡率が高かった/Wikipediaより引用

 

未治療の場合は致死率75~80%に達する

コレラは、コレラ菌の産生する毒素により重度の下痢をおこす疾患です。

主に2タイプあり、古典型と呼ばれる方は症状も激しく、未治療の場合、致死率は75〜80%に到達(かつて世界的流行=パンデミックを起こしたのもコチラですので、本稿では古典型を中心に話を進めます)。

菌は、患者の排泄物や、吐物に汚染された食物や水を介して経口感染し、ほとんどが胃酸で滅しますが、小腸まで達すると爆発的に増え、激しい下痢と嘔吐をおこします。

まさにマンガの世界で、通常2〜3日潜伏した後に突然、下痢と嘔吐に襲われるのです。

そのときの便は「米の研ぎ汁」に似た水様便となります。回数は一日20~30回に及び、ヒドイ時には1時間で1リットルの水分を失ってしまいます。

すると、どうなるか?

水分と電解質(特にカリウム)の喪失により脱水症状、血圧低下、筋痙攣などをおこし、最悪の場合、死に至るのです。ちなみに、意外かもしれませんが腹痛はありません。

 

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紀元前から認知されながら大流行したのは19世紀

強い感染力を持つ古典型コレラ。その起源は古く、紀元前からあります。

が、幸か不幸か、世界的流行(パンデミック)が起きたのは19世紀に入ってからで、第1回流行は1817年〜1823年、インドに始まりアジア全域からアフリカに達しました。この流行は日本にも波及し、江戸に達する前に治まっております。

第2回流行は、それから数年後の1826年〜1837年。今度はアジア・アフリカだけでなくヨーロッパと南北アメリカにも広がり、全世界的なものとなりました。日本は?というと、なぜかセーフ。仁先生が瀬戸際で止めてくれたんですかね。と思ったら、まだこの時代にはタイムスリップしてないか。

第3回は1840年〜1860年。この時の流行は1858年に日本に上陸しています。

さて、紀元前に存在が確認されながら、19世紀までパンデミックせず、突如世界に広まったコレラ。

各地の医師が混乱に陥ったことは想像に難くないですが、この大流行のさなか、イギリスで1人の医師が今まで無かった方法を使いコレラの原因を突き止め、なんと流行に終止符を打ちます。

その名もジョン•スノウ。ビクトリア女王に麻酔をかけた男でした。

1892年、ハンブルグで撮影されたコレラ患者の病棟/Wikipediaより引用

 

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14才で外科医に弟子入り そしてビクトリア女王のもとへ

1813年、スノウは貧しい労働者の家に生まれました。

医師を志し、外科医に弟子入りしたのが14才。まずは炭鉱医となり、その後、医学校で正式な教育を受け、ロンドン大学で学士を取得すると、エーテル麻酔、クロロホルム麻酔を研究し、麻酔専門医に。

そして、ビクトリア女王の分娩時に麻酔をかけるという大役を授かるのです。まさに大出世と言えるでしょう。

スノウが、単なる成り上がり者で終わらず、スーパードクターになった所以は、それからのこと。1854年、コレラが流行していた地区に自ら出向き、患者の発生状況の調査を行ったのです。

疫学の祖ジョン・スノウ/Wikipediaより引用

 

当時、コレラは汚れた空気が原因とされておりました。

が、この説に疑問を持っていたスノウは、「患者の出た家が飛び飛びである」ことに着目、その発生状況をマッピング(地図に記していく)し、最終的にブロードストリートにある井戸が原因だとの結論に達しました。

実際、この報告を受けた行政が井戸のポンプを外すことで、コレラの流行は終息を迎えたのです。

スノウがやったように、「集団においての健康や病気に関わる要因」を調べる方法は『疫学』と呼ばれ、この方法を初めて用いた彼は『疫学の祖』と呼ばれています。

そうそう、コレラ菌に汚染されていたこの井戸の跡には、その業績を称えるモニュメントが作られています。近くには「ジョン•スノウBAR」もあるようです。スノウは酒嫌いだったのにね(笑)。

そして約30年後、1884年にドイツの細菌学者コッホがコレラ菌を発見。その後、医学の発展や防疫体制の強化などで、古典型コレラの世界的流行は起こらなくなりました。

ただし現在も、主に発展途上国でコレラは発生しており、根絶やしにされたワケではありません。

 

仁先生! カリウムが足りないので昆布だしを足して!

ここからは、ちょっとしたオマケを。

コレラの治療のメインは「下痢、嘔吐で失われた水分と電解質を補う」ことです。

点滴が可能な環境であれば腸管安静をはかり、点滴で水分を補給。点滴物品が不足する国ではコレラの脱水治療に経口補水液を用いることもあります。WHOが推奨する補水液の組成は1リットルに、ブドウ糖 20g、塩化ナトリウム3.5g、炭酸水素ナトリウム2.5g、塩化カリウム1.5gの割合で溶かしたものになります。

ドラマ『仁─JIN─』でも仁先生がコレラ(コロリ)患者に使っていましたね。

ここで生意気にも馬ちゃん先生がアドバイスしちゃいます。

仁先生のレシピで水1升に、塩2匁、砂糖10匁ではコロリ患者に対しカリウム不足です。柑橘類の果汁も考えましたが、「昆布だし」を加えるとカリウムが補ますよ!

……まぁ、その後に江戸時代点滴やっちゃうウルトラCは私じゃ無理ですけどね。

 

文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【参考】

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コレラ/Wikipedia 疫学/Wikipedia 日本BD MSD 厚生労働省 対訳医学史

 

 





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