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日本史悪ミシュラン

紙のメンタルを持ったニート体質の日本三悪人 他人振り回し度★★★★★の足利尊氏です

更新日:

室町幕府の初代将軍・足利尊氏
明治から戦前においての彼は、道鏡、平将門と並ぶ『悪人』でした。

理由は後醍醐天皇に反旗を翻したため。

となると、いかにもイケイケドンドン!といった猪武者なイメージが浮かんできますが、果たして彼は悪人と呼べるほどに悪いヤツだったのか?
調べると「むしろ逆じゃん!」と言いたくなってくる。

今回は、少し毛色の違う足利尊氏さんを悪ミシュランです。

足利尊氏/wikipediaより引用

 

元を辿れば将軍家の親戚

足利尊氏は鎌倉幕府御家人である足利家に生まれました。

御家人と言っても、かなり血筋は良く、武田信玄さんの記事からこんな系図を借りてきちゃいました。

源頼朝源義経の直系の祖先であり、関東武士に大人気だった八幡太郎こと源義家さん。
その息子の代から別れていった一派が、後に足利家になるんですね。

尊氏は、若い頃に、鎌倉幕府の執権・北条高時から一字をもらい『足利高氏』と名乗り、幕府の中でも優遇される立場でした。
血筋の良さから優遇されたのですね。

とはいえ北条氏に依る鎌倉幕府の独占状態は凄まじく。
元寇の恩賞不足や、制度疲労からくる不満は爆発寸前でありました。

そこで立ち上がったのが後醍醐天皇ですね。

背景には、いささか複雑な天皇家の事情がありました。
この頃の皇室は『大覚寺統と持明院統から10年交代で天皇出してね』という「両統迭立」だったわけですが、ずっと天皇を続けたくなった後醍醐天皇が「鎌倉幕府倒して俺らの系統がずっと天皇!」と倒幕の挙兵したのです。

えっ、何言ってるかわからない?

では今度は、南北朝時代の記事からこんな系図も借りてきました。

受験生でなければ覚える必要もないので、ザックリと
「亀山天皇から始まる南朝と、後深草天皇から始まる北朝があるんだなぁ」
ぐらいに覚えておけばよろしいかと。

 

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女装して御所を抜け出し、山城国で挙兵って

話を戻します。

正中元年(1324年)。
後醍醐天皇による最初の倒幕計画は事前にバレ(正中の変)、天皇は「全部、部下がやりました!」と側近に罪を押しつけ、ナァナァで逃げ切りました。
幕府にはバレバレだったのかもしれませんが、押し切ってしまうところに後醍醐天皇のキャラの良さが見えますね。

後醍醐天皇/wikipediaより引用

そして元弘元年(1331年)には、女装して(おい!w)御所を抜け出し、山城国で挙兵。
楠木正成などが味方に付くのですが、今度も幕府軍に鎮圧され、天皇は隠岐へ流罪となりました。

髙氏もこのとき幕府軍として活躍しました。

しかし、
「親父の喪中なんで行きたくないっす!」
という意見を却下されたため、幕府に対して不満を抱きます。

流罪になった後醍醐天皇ですが、残った護良親王(後醍醐天皇の息子)や楠木正成が各地で頑張りました。
その間に天皇も島をだっしゅーっつ!
髙氏が追討軍として出撃するのですが、土壇場になって後醍醐側に寝返ります。

そして幕府の西の拠点である六波羅探題を攻略、時をおかずして新田義貞が鎌倉を陥落させ鎌倉幕府は滅びたのでした。

鎌倉幕府の倒幕後、高氏は勲功1位とされ、天皇の諱「尊治」から一字を貰い「尊氏」と名前を改めました。
それだけでなく武士への恩賞も十分にしておけば良かったのですが……。

 

強気と弱気、勝利と敗北が二転三転

後醍醐天皇が「建武の新政」を始めると、たちまち不平不満が噴出しました。

冷遇された武士だけでなく、公家や寺社からも不満が爆発。
そんな折、尊氏の弟・足利直義の駐屯する鎌倉が、鎌倉幕府の残党に襲われる事件が勃発いたします。

弟を助けたい尊氏は天皇の許可を得ぬまま出兵、反乱を鎮圧するとそのまま鎌倉に拠点を置いて恩賞を出したり、なんだか武家政権っぽいことをしはじめました。

これを危惧した後醍醐天皇は新田義貞に尊氏を討つように命令を下してしまいます。

腹をくくって後醍醐天皇に反逆したかといいますと、尊氏さんって、実は結構な紙メンタルでして。
怖くなってしまったのか。

・寺に入り隠居を宣言

味方からは「なんでやね~ん!」の総ツッコミ状態だったことでしょう。
そうこうするうちに、尊氏抜きで戦う足利軍は大ピンチに陥ります。

ここでようやく
「弟が死んじゃったら俺が生きてる意味はない!」
と立ち上がる尊氏。しかし、負けて九州に落ち延び~。どんだけ~!

 

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早く隠居したいのよ(´・ω・`)

なんとか軍を立て直した尊氏は、光厳上皇から院宣をもらい
「オレ、賊軍じゃない!」
と元気になります。

そして湊川の戦いで新田義貞・楠木正成の軍を撃破。
京都を制圧するのですが、やはり紙メンタルが発揮されてしまい……。

・早く隠居したいのよ(´・ω・`)
・今生の果報は弟に行き、弟が幸せになりますように

なんて願掛けをしております。
そして後醍醐天皇の顔を立てる形で和議を結び、【三種の神器】を光厳上皇の弟・光明天皇に譲ることで手打ちとしたわけですが。

「あの神器は偽物だったんもんねー♪」
と吉野に逃げた後醍醐天皇が南朝を宣言、さらに政治は混乱する結果となってしまいました。

そして出来たのが室町幕府。
しかし、スグに真面目な弟・直義と、チャラい部下・高師直が対立してしまい、尊氏は師直に付いて弟と対立します(観応の擾乱)。

一体なんなんだよ!と言いたくなってしまいますよね。

足利尊氏の肖像とされていたが、近年では「高師直だ」という説が根強くなった一枚/Wikipediaより引用

 

人として美点 政治家として欠点

直義も、禁じ手を使いました。
なんと南朝と手を結んでしまうのです。

結果、師直と尊氏は直義に負けて和議を結び、師直は尊氏に見捨てられた形で暗殺されてしまいました。

それだけじゃありません。
再び、尊氏と直義の争いが始まり、捕らえられた義直は急死。
尊氏による暗殺とも囁かれました(というか状況からしてそうでしょうね)。

その後も南朝方との戦いは続き、合戦で受けた矢傷が元で54歳の生涯を閉じました。

足利尊氏が師事した坊さんが彼を評してこう言っております。

「1つ勇猛果敢で、2つ慈悲深く敵であった相手も赦す、3つ物惜しみをせず金品を皆に分け与える」

これは美点でもありますが政治家としては欠点。
後醍醐天皇を流罪にでもしておけば南北朝の争いは起きなかったわけですし、弟がたてついてきたときに粛正すれば幕府の内乱も起きなかったわけです。

勇猛果敢さにしても物怖じしない代わりにピンチになると「よし、自害だ!」とあっさり死のうとするため周りは大変。

こうして見ると尊氏は悪人と言うよりも、人が善くて周りを振り回してしまった人なんだろうなと思います。
少なくとも日本三悪人ではないですね。

悪人度  ★☆☆☆☆
影響力(権力)★★★★☆
まわり振り回し度 ★★★★★

なお、お騒がせ後醍醐天皇や足利尊氏の生涯をダイジェスト版でお知りになりたい方は以下の記事がオススメです♪

後醍醐天皇と建武の新政 こうして南北朝時代は始まった

合戦に明け暮れた足利尊氏の生涯 尊氏を知れば鎌倉幕府の滅亡から南北朝~室町幕府の成立まで全部見える

イラスト・文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【編集部より】
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【参考】
国史大辞典「足利尊氏」
足利尊氏/wikipedia

 



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