歴史戦国でワクワクしたい!

BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

日本史悪ミシュラン

天智天皇の「天」と「智」って実は良い意味じゃない!? 政敵粛清の徹底っぷりが圧倒的で★★★★★

更新日:

第38代天皇である天智天皇。
【大化の改新】立役者の「中大兄皇子」時代からして、横暴な蘇我入鹿を倒したNEWヒーロー!というイメージもあるかもしれません。

しかし、彼の素顔はかなりクセがあります。

政敵になりそうな者たちは身内の者でも粛清粛清。
その徹底っぷりたるや戦国時代の宇喜多直家も斎藤道三も顔負けで、手口もかなり鮮やかと申しましょうか。

今回の悪ミシュラン、天智天皇で行ってみよっ!

 

父も母も天皇というプリンス

天智天皇は舒明天皇の皇子。
母は、その皇后であり、自身も天皇の位に就いた皇極天皇(重祚して斉明天皇)です。

母・皇極天皇は、蘇我入鹿が討たれた時(乙巳の変)の天皇で、変の翌日に位を自分の弟・軽皇子(かるのみこ)に譲っております。

そもそもこのクーデター、入鹿が横線をしていたというより単なる朝廷の内紛ととらえる向きが強いのですが、そのことにつきましては「蘇我入鹿」のページをご覧下さい。

実は秀才?な蘇我入鹿は★2つ 古代の悪人代表なれど捏造部分も多そうでチョッピリ同情

さて入鹿を倒した中大兄皇子。
自分が天皇になっては私欲のためにと思われると感じたのか、叔父にあたる軽皇子を孝徳天皇として即位させ、自分は皇太子となり政治を行いました。

年号を「大化」に改め、天皇を中心とした支配体制を確立するため様々な改革を断行するのです。

有名な政策として、土地や私民はすべて天皇のものとする「公地公民」や戸籍を制作し、民に土地を貸す「班田収授法」、その代わりに税や労役を課す「租庸調」、今まであった国や県、郡を再編成した「令制国」などがあります。

ここまでですと理想に燃える若きリーダーって感じなのですが、問題はその背景。
邪魔者は徹底排除の姿勢を見せます。

・異母兄(母は蘇我氏の娘)に謀反の疑いをかけて殺害
・乙巳の変の協力者であった、蘇我倉山田石川麻呂に謀反の疑いをかけて自殺に追い込む

 

スポンサーリンク

病んだフリして南紀白浜へ

政治の実行にあたっては孝徳天皇を無視することもあり、次第に2人は反目するようになります。

天皇が難波宮に遷都したことが気に入らなかった彼は653年に都を飛鳥に戻すよう提案し、天皇がこれを拒否。
結果、天皇を残して飛鳥に行っちゃいました。

家来も殆ど中大兄皇子に付いてしまい、皇后までも飛鳥に行ってしまうと、天皇は寂しく亡くなってしまいます。

孝徳天皇の跡を継いだのは前述の母(前・皇極天皇)で、天皇に返り咲いて斉明天皇に。
中大兄皇子は皇太子を続投しますが、この治世でも、孝徳天皇の息子・有間皇子(ありまのみこ)を罠に掛けようとします。

「政争に巻き込まれてはまずい!」
と判断したのでしょう。有間皇子は病んだフリして南紀白浜へ湯治に出かけます。

そして飛鳥に戻った有間皇子が斉明天皇に「温泉、超良かったです!」と報告したところで斉明天皇も温泉にお出かけ。

飛鳥に残った皇子に有力貴族が近づきささやきます。

「斉明天皇と中大兄皇子の政治はダメですよねー。私は有間皇子の味方ですよ~」

フラグでした。

 

「俺、あの2人を倒そうと思ってるの!」

中大兄皇子のせいで父親が不遇の死を遂げた有間皇子。

貴族たちの囁きを真に受け「俺、あの2人を倒そうと思ってるの!」と話してしまいます。

はい、フラグ成立です。

実はその貴族とは中大兄皇子の手先で「天皇に謀反をしようと企んだ」と密告された有間皇子は哀れ、縛り首となってしまいます。
呆気にとられるほど鮮やかな手際です。

その後、斉明天皇が崩御されても何故か天皇を置かず、皇太子のまま政治をして6年半。
ようやく即位します。

元号では、斉明天皇の崩御翌年を天智天皇元年となっております。

ここで自分の弟(一説には庶兄)である「大海人皇子」が皇太弟に。
しかし、天智天皇が自分の息子「大友皇子」を皇位に付けたい意図を察した大海人皇子は皇太弟を降り、大友皇子が皇太子となります。

大海人皇子は兄の性格をよく分かっていたのでしょう。
病床で「次の天皇はお前に~」と言われた時も辞退し、しかも剃髪する念の入れようです。

ここでウッカリ「Yes!」なんて言ったら殺されるかもしれませんからね。

史実かどうかは怪しいところですが、大海人皇子の恋人だった額田王を天智天皇が奪ったなんて話もあり、兄が生きている間は刺激しないように耐えていたのでしょう。

まぁ、いざ兄が亡くなったら【壬申の乱】で大友皇子を倒し、天武天皇になっちゃうわけですし。

 

スポンサーリンク

森鴎外の『帝謚孝』では『天智玉』に由来

最期に諡(おくりな)の話。

「天智天皇」は死後に贈られた名前です。
「天」とか「智」という、なんだか良さげな意味の漢字が並んでおり、ともすれば「智恵があり立派な天皇」ってイメージしますよね?

森鴎外の『帝謚孝』では、この諡、殷の紂王(ちゅうおう)が持っていた『天智玉』に由来するとしております。

紂王といえば暴君の代名詞。
贅沢を好み、残虐な刑罰を行い最期は英雄に殺されて殷は滅んでしまいます。

紂王を滅ぼしたのは『武』ですよね?

天智天皇の次に即位した大海人皇子は……そう「天武天皇」です。

そう考えると天智天皇は日本史一の大悪人だった可能性もあると思いませんか?

悪人度  ★★★★★?
影響力(権力)★★★★★
粛正度 ★★★★★

イラスト・文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
本人のamebloはコチラ♪

【編集部より】
アマゾンの戦国本ランキングで1位を獲得した、まり先生の初書籍『戦国診察室 お館様も忍びの衆も歴女医が診てあげる♪』が発売中です!




スポンサーリンク


【参考】
国史大辞典
ウィキペディア
天智天皇 天武天皇 皇極天皇

 



-日本史悪ミシュラン

Copyright© BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン) , 2018 All Rights Reserved.