藤原兼家/wikipediaより引用

日本史ワル査定

【寛和の変】藤原兼家(あの道長のお父ちゃん)は出家詐欺で天皇ダマす

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藤原兼家(ふじわら の かねいえ)平安時代の貴族。
ご本人の知名度はイマイチながら、あることで彼は、日本史上かなり稀有な存在として認知されています。

そうです。実は兼家さん
「この世をば~」
の歌で有名な藤原道長さんのお父上なんですね。

何人かいた妻の1人に「右大将道綱の母」がおります。
彼女は『蜻蛉日記』の作者であり、その中で夫・兼家が別の妻に通う苦しい心情を描いていて、まぁ浮気性の男性には耳が痛い話かもしれませんので、今回は政治に注目。

兼家の、いかにも藤原長者(藤原氏のTOP)らしい手腕をワル査定してみましょっ!

 

兄弟ケンカは続くよ、死ぬまでも

兼家は右大臣・藤原師輔(ふじわら の もろすけ)の三男として生誕。

長兄にあたる藤原伊尹(これただ)とは仲良しで、伊尹が摂政になると次兄の藤原兼通より出世させてもらいます。

・藤原伊尹(長兄)
・藤原兼通(次兄)
・藤原兼家(本人)

兼通はコレを根に持ちます。

伊尹の辞職後に兼通が摂政になると、この次兄は全力で兼家の出世を潰しにかかります。

「できることなら九州にでも左遷したいけど罪がないから出来んわ」

母が違うならまだしも、同母兄のお兄ちゃんにココまで嫌われるのもなかなかです。

そして、その5年後。
お兄ちゃんが病に倒れ、明日をも知れぬ状態となったときに兼家がとった行動は……。

・病に伏せる兄ちゃん宅を素通りして仕事に行った

しょーもなっ! 子供かっ!
って思うところですが、まぁ、いくら仲が悪くても兄が最期を迎えそうなときには見舞いぐらい行くもんでしょう。

と、感じたのは兄ちゃんも同じだったようで。
この兼通お兄ちゃん、最後の力を振り絞って参内すると、仲良しの叔父・藤原頼忠を関白にし、兼家には【降格人事】を突き付けて冥土に旅立ったのでした。

いやぁ、怖い。
恨みのパワーって本当に凄まじいです。

 

待てない!1ミリも我慢できない!

見舞いに行かず、関白の座を逃した兼家。
しかし、宿敵の兄が死んだら、さすがに【俺のターン】がやってきます。

時の帝・円融天皇は兼家の妹の息子であり、兼家は天皇の伯父の立場、かつ次女も後に円融天皇の皇子を産んでおります。
ここで次女を中宮にしたかったワケですが、天皇は関白・藤原頼忠の娘を中宮にしてしまい、兼家さんは拗ねました。

そして
・娘、皇子も巻き込んで引きこもり
ます。

慌てた天皇が、気を遣って使者を送るもガン無視。
しまいには天皇に
「今の皇太子が即位したら、兼家の孫を皇太子にするつもりだ」
と言わせます。

その言葉通りに円融天皇が譲位し花山天皇が即位すると、兼家の孫が皇太子になります。

花山天皇/wikipediaより引用

待っていれば、いずれ次の天皇の外祖父になれるワケですが、1ミリも我慢できない兼家さんは凄まじい行動に出ます。

・天皇を騙して出家させた
のです。

一体どうやって、そんな風に持ち込んだのでしょう?

 

「スグに出家しましょう! 俺も付き合います!」

一刻も早く自分の孫を天皇にしたい兼家さん。
チャンスはすぐにやってきました。

即位してすぐに寵愛していた女御が死んだ花山天皇は『出家しちゃおっかな……』と思っておりました。
そこに付け込んだのです。

では、どうやって?

天皇のお側付きだった兼家の三男・藤原道兼を使います。

道兼に
「スグに出家したほうがいいっス! 俺も付き合います!」
と花山天皇を寺に誘い出させたのです。

そして天皇が出家したところで
「あ、俺、最後にとーちゃんに会ってきますわ」
と言って三男はそのまま逃亡します。

天皇が『騙されたっ!』と気づいても、時既に遅し。
花山天皇、わずか19歳で引退となってしまいました。

 

左大臣と太政大臣が邪魔ならば……

兼家の作戦は大成功でした。
自身の孫にあたる一条天皇が即位して、自らも摂政かつトップオブ藤原氏となったわけです。

ただ、この時点での彼は右大臣です。

立場的には上に太政大臣と左大臣がおり、この2人を追放したかったのですが左大臣は前々天皇の信頼が厚く、太政大臣は皇位継承に関わる皇子と親戚関係がないので陥れにくい。

【平安時代の官職ランキング】
・太政大臣(臨時のポジション)
・左大臣(平時のトップ)
・右大臣(二番手)←兼家ここ

ザックリ言うと上記の順番ですね。
そりゃあ、そう簡単に蹴落とせる相手ではありません。

ならばこうだっ!
と兼家が仕掛けたのが

・摂政の位を底上げ

という強引なワザでした。

摂政というのは
【幼い天皇に代わり政治を行う】
のが仕事です。

それまでは他の官職と兼務されるのが常でしたが、兼家は従一位、準三宮をもらったタイミングで右大臣を辞め摂政オンリーになります。

右大臣を辞めれば太政官の序列からは抜けるわけで。

「摂政って太政官とは別格なわけ。ま、摂政が上ってことよ! ウハハハハ」
ということにしてしまったのです。

まぁ、結局、藤原頼忠が死んだ後に太政大臣になるんですけどね。
いったい何なんでしょうか。っていうか、平安時代の藤原長者って皆さん似たような道筋を辿っている気がします。

その後一条天皇が成人すると兼家は摂政から関白に位をチェンジ。
病気を理由にその関白をわずか3日で長男・藤原道隆に譲って自らが出家、2ヶ月後に享年62でこの世を去りました。

道長の栄華は兼家の某略があってこそですが、天皇を騙しちゃいけませんよね。

悪人度  ★★☆☆☆
影響力(権力)★★★★★
兄弟仲悪い度 ★★★★★

イラスト・文/馬渕まり(忍者とメガネをこよなく愛する歴女医)
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【参考】
国史大辞典「藤原兼家」
日本大百科全書「寛和の変」
wikipedia「藤原兼家」→link
wikipedia「寛和の変」→link

 



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