イラスト・富永商太

信長公記

焼香投げつけ、政秀自害~戦国初心者にも超わかる『信長公記』第9話

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信長公記』首巻9節は、いよいよ信長が織田家の家督を継ぐことになったときのお話。

まだ41歳だった父・織田信秀が突然亡くなり、慌ただしくその日がやってきたのでした。

 

病死説から暗殺説まで死因定まらず

まず父・信秀の死因について。
これがハッキリしておりません。

流行り病による病死説や暗殺説、はたまた腹上死や腎虚(じんきょ)など。
現代でもいろいろな仮説が立てられていますが、流行り病ならば、もっとそれらしい記録が残るはずです。

信秀一人が亡くなった程度では「流行」したうちに入らないでしょう。

織田信秀/絵・富永商太

当時、最も栄養状態や体力が優れていたであろう武家の当主が亡くなるような病なら、一般人や城内の女子供などに、もっと被害が出ているはずです。
そういうときはだいたい何らかの記録が残されますし、地元で神仏や妖怪と結び付けられて、訓戒めいた伝説ができることもあります。

腹上死と腎虚の意味がわからない方は、グーグル先生か辞書サイト等をご活用ください。
ここで説明するのはちょっと^^;

 

常識的な弟と非常識無礼な兄

というわけで、この節では信秀の葬儀でのことが主に書かれています。
若い頃の織田信長を表す逸話として、一二を争うほどに有名なエピソードですね。

葬儀において。
信長と弟・織田信行は、それぞれの家老にお供されて出席しました。

そこで信行が葬儀にふさわしい振る舞いでいたのに対し、信長は
【父親の位牌に焼香を投げつけてさっさと出ていってしまった】
とされます。

あまりに劇的な展開で、フィクションとかでも欠かせないシーン。
元ネタは信長公記だったワケです。

 

父への愛情の裏返しだとしても

果たしてその真意は何だったのか?

信長の身になって好意的に考えると、
『まだ尾張一国すらまとめられていないのにさっさと死にやがって、バカオヤジ、チクショー!』
と愛情の裏返し的な行為だったようにも取れますね。

しかし、家臣や参列者には信長の心中などわかりません。

もともと評判の良くない「うつけ」のすることですから、眉をひそめたり、陰口を叩いたり、信行への支持を強めるなどの反応をした人が多かったでしょう。

信長付きの家老の一人・平手政秀あたりは、胃を痛めていたかもしれませんが……。

 

息子と信長の仲違いに心苦しめていた?

『信長公記』では、
「筑紫から来たとある旅の僧侶だけが、『あの方はただ者ではない』と信長を褒めた」
と書かれています。

古い時代の偉人伝ではよくありますね。
こういう「全くの他人が若い(幼い)頃の偉人に出会い、素質を見抜いた」みたいな話。

信長の素行に胸を痛めていた政秀が切腹してしまったのは、信秀の葬儀から1年近く経った後のことでした。

現在では、こんな見方が強くなっています。

「かつて信長と政秀の息子・五郎右衛門が名馬を巡って言い争いになり、仲が悪くなってしまったことを悩んで自害した」

小説などの創作物では、美談として「命をかけて信長の奇行をやめさせるため」という諫死説を採ることが多かったので、そちらのイメージが強いですかね。

他にも、信行派との政争の末に……という説もありますが、これはやや少数派です。

 

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